ケータイのある風景―テクノロジーの日常化を考える

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制作 : 松田 美佐  伊藤 瑞子  岡部 大介 
  • 北大路書房 (2006年10月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784762825323

作品紹介

歴史的,社会的,文化的文脈の中でケータイを検討する。日本のモバイル・コミュニケーションに関する歴史的,統計学的な概要を示し,新しい日本のコミュニケーションの特徴を強調するだけでなく,特定の集団が特定の状況においてどのように利用するのかに関する詳細なケース・スタディにもなっている。

ケータイのある風景―テクノロジーの日常化を考えるの感想・レビュー・書評

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  • 日本のケータイについて歴史的な経緯やら文化について述べている。ケータイ、モバイルが文化のように扱われるようになってしまったのか、と少し違和感すら感じる。
    そもそもただのテクノロジーだったのが、コミュニケーションのあり方、文化まで変えてしまったのか。

  • それぞれ全くと言っていいほど、別角度からケータイに光を当てている論文。どれも読み応えのある。よくぞうまくキャスティングしたものだと思う。2006年発刊にもかかわらず、一過性に終わらない射程の長い本になっている。

    気になった記述。

    序文
    ・移動体通信メディアは対面接触を活発化させる傾向がある。
    ・ケータイメールの利用が多い学生ほど、友人数が多く、社交的で、自己開示性が高く、対人不安が少なく、孤独感が低い。

    1章
    ・服という感じの語源も、この両義性(半ば強制、半ば自発的)を指し示している。
    ・ボードリヤールは、「ガジェット」という言葉で、嗜好品や電化製品などのジャンルに関わりなく、「機能や実用よりコミュニケーションや遊び、面白さ、アイデアに価値を持つモノ」すべてを表現する。
    ・ケータイは、かつて近代西欧の新聞やコーヒーが担った、知的でファッショナブルな情報収集装置として、他人との距離を絶妙に保つ「個体間距離の生成・維持装置」の直系の子孫として、現在も発展中の「テリトリーマシン(居場所機械)」である。

    2章
    ・場所・時空的制約からの解放
     社会的場面分裂からの解放
     対面(メディア)至上主義からの解放
    →顔からの解放と制度からの解放

    4章
    ・インターネットは既存のコミュニティを破壊するのではなく、新たな関係をも加えた。
    ・ケータイを積極的に使うことで、新しい友人や直近家族との連絡が増えるという。
    ・メディア機器を使えば使うほど、コミュニケーションの総量は増える。
    ・地域と遠距離-ケータイとパソコン-これらはすべて1つの流動的で複雑な社会的ネットワークなのである。

    5章
    ・カステルによれば、アイデンティティ自体は、社会的行為者が、自己やその構成的意味を理解するために文化的特性を利用する過程である。
    ・最近、「面と向かって電話をしてやった」という新たな言葉の使い方が、テレビで放映された。

    6章
    ・今日では愛情とセクシュアリティを結びつけているものは「婚姻」から「純粋な関係性」へとへんかしたとギデンスは主張する。

    7章
    ・ゴフマンの言う「関与シールド」の概念

    8章
    ・主婦にとって、ケータイは移動を伴わない空間において、他のことをしながら同時並行的に使うという利用スタイルを可能にした点で重要な意義を持つ。
    ・社会技術的存在としての「主婦」
    ・ケータイという新しい存在にもかかわらず、それは既存の社会的な秩序を再生産するプロセスである。

    11章
    ・ケータイで撮影された写真は、日常的、偏在的で、短命である。従来が三人称であったことと対比して、一人称のカメラである。

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