蒼蝿

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著者 : 熊谷守一
  • 求龍堂 (2004年12月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784763004475

蒼蝿の感想・レビュー・書評

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  • 『絵を描くより、ほかのことをしているほうがたのしいのです。欲なし、計画なし、夢なし、退屈なし、それでいていつまでも生きていたいのです』(わたしのことなど)
    『そんなときは一人でベソをかくんですね。そのベソをかいているほうに「このバカヤロー。」っていうんですね。それが面白いんです』(九十六の春)
    『面倒だから頼まれれば色をつけますが、わたしは好きじゃない。絵には色がない方が上品です。もっといえば白いキャンバス、白いままの紙の方が何か描いたものよりはずっとさっぱりして綺麗です。それよりよくはできないです』(硯墨筆紙)
    『わたしは、ぬけたような青空は好みません。まるでお椀でふたをされた感じで、窮屈です。それより少し薄曇りの空がいい』(かまきり)

    飾ったところのない言葉が並ぶ。「ない」のだろうか、「ないような」なのだろうか。もちろん、飾っていないからといって全てをさらけだして見せているわけではないだろう、と一応用心しつつ、この言葉から想像できる通りの人であったらばよいのに、と思わずにはいられなくなる。素面でこの本を読みたくない、という気持ちが沸々と湧いてくる。精神を少しばかり解きほぐすものが欲しくなる。

    恐らく、嘘はない、と思う。しかし相手は絵描きである。絵を描くとは対象物を写真のように写し取ることではない、と本人も言っている。それは対象物を自分のものとし、そこに何かを「のせて」紙の上に置く行為だ。とすれば、熊谷守一が自分のことを語るとき無意識の手習いで何かをのせてしまうこともあるかも知れない、と思う。たとえば、息子が病で亡くなった時に思わず筆を手にしてしまった心持ちは何も付け加えられたもののないものであった筈であるのに、知らず知らず自分が「絵を描いている」ことに気付いて筆を置いた、という出来事がこの本の中で語られている。そこに、自分の中にある形のないものを形に置き換える行為というものには、すべからく「脚色」という要素が忍び込んでしまうという事実が端的に表れているように見える。書くこと然り、話すこと然り、である。

    人は純粋なる「素」というものを他人に対しては強請る。しかしそういう無いものねだりのようなことをせずとも、ここにある熊谷守一の言葉には、取り繕ったような壁は少なくとも、ない。充分に既成の思い込みを打ち砕く力があり、表現としては不適切かも知れないけれど、ぎらぎらとしたもの、辺りを構うことのない態度、あるいは対象物へ向かう姿勢、というようなものが言葉の文字面の意味を突き抜けて飛び込んでくる。

    時にそれは悟りを得たものから発せられた言葉のような響きを持ち、またある時はどこまでも子供染みた駄駄の音がする。泰然自若、、、恐らく多くの人が熊谷守一の絵ではなくその暮らしぶりをを見てそう思うに違いない(書はその感慨を裏付けもする)。しかし、絵はどうだろう。そこには何かじたばたとした心が潜んでいるように思われて仕方がない。もちろん自分は絵を解するものではないけれど、じたばた、については多少の馴染みがあるので、感度が幾分あると自覚している。そのじたばたが他人からは少々誤解されてしまうというだけなのかも知れない。

    白いキャンバスの方が余程よいと言い、雲一つない空を窮屈だと言う熊谷守一。案外、その言葉は素に近いところを語っていて、人を惑わそうと変化球を投げて寄こしているわけではない、と考えてよいのかも知れない。そう思うことができたら、本人は全く泰然としたところなどないと思っていたのかも知れないなあ、と思えるようになってくる。自分は仙人などではないという訴えが、思いの他強い気持ちで発せられていたのかなあ、とも見えてくる。もっとも他人の事ばかり気にしてあくせくとしている人々からは、時代の今昔を問わずどうしても「仙人」のように見えてしまう熊谷守一ではあるけれど。

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