巨岩と花びら ほか―舟越保武全随筆集

著者 :
  • 求龍堂
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レビュー : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (388ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784763012180

作品紹介・あらすじ

名随筆『巨岩と花びら』『石の音、石の影』『大きな時計』をはじめ、『松本竣介』、晩年病により右手の自由を失ってからの日々、生と死に寄せる思いを綴った『生命の音』まで、全118篇収録。生誕100年記念刊行。

感想・レビュー・書評

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  • 「舟越保武 長崎26殉教者 未発表デッサン」
    日時:4月19日(土) ~ 6月29日(日)
    会場:東京オペラシティ アートギャラリー ギャラリー3&4
    東京都新宿区西新宿3-20-2 TEL03-5777-8600
    http://www.kyuryudo.co.jp/html/notice.html?date=20140401184037&db=sagawa048
    https://www.operacity.jp/ag/index.php

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  • 卒業証書 舟越保武殿
    貴殿は、東京芸術大学美術学部彫刻科に於て、長年教職にありながら、およそ私たち学生を指導することなく、自らの制作に励み、彫刻家の歴史に残る程、アトリエをコンパに、ディスコに、コーヒーショップにと、フルに活用され、ユニークな教育者のあり方を示されました。その業をたたえ、当大学に於て、その課程を立派に修了されたことを証明します。
    昭和55年2月2日 東京芸術大学美術学部 学生一同 (本書p.98)

    余興としての随筆を愉しませていただきました。

  • たしか9月に、新聞の書評欄の短評でみて、あーこの人は松本竣介と同郷で同い年の人やなあと思い、全随筆集には「松本竣介」という章もあるというので、読んでみたくて図書館へリクエストした。そしたら隣の市の図書館から、思いのほか早く本が届いた。

    1912年、松本竣介は明治45年うまれで、舟越保武は大正元年うまれ(私の祖母も同年うまれ)。36歳で死んだ竣介と、89歳で死んだ舟越(そして81歳で死んだ祖母)とは、あいだに時間がありすぎて、同年うまれの人とは思えない。

    二人は盛岡中学で同期だったというが、クラスが違って、ほとんど口をきいたことはなかったという。竣介は中3で中退して(旧制中学なので当時の修業年限は5年のはず)、太平洋美術学校へ入り、舟越は中学を出てから3年浪人して東京美術学校へ入り、東京で再会している。

    既刊の随筆集と、あとは今年が二人の生誕100年にあたるという記念で竣介について舟越が書いたものと、新聞や雑誌に書いたものが編まれている。

    400ページ近くあって、読めるかな~と思ったが、読み始めると、この人の見たもの、感じたこと、作品制作の模様、あるいは生活のひとこまなどが書かれた文章にひきこまれ、2日ほどで読み終えた。

    舟越保武は彫刻家なので、彫刻作品をつくったときの文章はそれはそれで(こんな風につくるのか)というおもしろさがあったが、デッサンの話がそれ以上に私にはおもしろかった。釣りの話や、犬の散歩の話もじつにおもしろかった。

    例えば自分が描いたもののなかでもっとも気に入っているデッサン、キリストの顔を木炭で描いたものの話。
    ▼白い水彩紙に、木炭を荒っぽくぶっつけるように何べんも描いては破いた。ついに、やぶれかぶれみたいになって描いた一枚が、自分でハッとするほど、大げさにいえば息吹のようなものが画面に現れた(ように思った)。うれしくて、デングリガエリをしたいほどだった。(p.86)

    その自称傑作のデッサンの、木炭の粉が少しでも落ちないようにと、舟越は定着剤のフィクサチーフをかけるのだが、かけすぎてしまい、「アッと思ったときには、フィクサチーフの液が紙の上を流れだしていた」。呆然として見ていたが、液が染みこんで薄く黒ずんでいた紙が、乾くにつれてもとの白さに戻ってくる。

    怪我の功名か、神の助けか、フィクサチーフが乾いたときには、うっすらと淡い調子ができ、「木炭では描けない、ごく薄い調子が、両の頬に涙のあとのように現れた」というのだ。そして、かけがえのない一枚になったと。

    彫刻作品は、おもしろいな~と思って見るばかりで、つくる人のことを考えたことがあまりなかったけれど、舟越の随筆を読んでいたら、なにか作品を見たくなってきた。いくつか制作の過程について書かれている作品の画像を、ネットで探して見てみたが、画面の向こうじゃなくて、ぐわーっと近寄って見てみたい。

    舟越は、竣介が死んだときには疎開して盛岡にいて、上京する旅費を工面できなかったために、臨終にも会えず、葬式にも出られなかった。貧乏のどん底にあったからだ。

    子どもが6人いて、「いくら貧乏しても、彫刻一すじで頑張りましょうよ」と妻は励ましてくれたが、明日の食糧さえおぼつかない暮らしでは、芸術一すじといっても無謀に近いものだったと舟越は書いている。定収入がない、明日の米もない、電車賃もない、ということになると、ヒロポンをのみながら大理石の頭像を2日間寝ずにつくったりする。

    それをリュックに入れて、バスに乗って、頭像が重くてひっくり返りそうになりながら、バス停から画廊まで歩く。重い重いものを背負って歩くと、足のうらが痛くなる、地面に足がめり込むような気がする、とも書いている。そして、頭像を売って、お金を手にする。

    ▼…私は、貧乏していたから、仕事がたくさん出来たように思います。もしお金が充分あったら、ヒロポン飲んで二日ぶっとおしで作品を仕上げるなど、考えられないのです。ですからお金がない時に、デッサン一枚でも、買ってもらおうと思って描いたものは、やはり生命がけみたいなせいか、いま見ても割合よく描けていて、古いものを見ると、なつかしく思います。(pp.112-113)

    その貧乏暮らしで養われた子どもが6人(長男は早くに亡くしている)、息子のひとりは彫刻家の舟越桂であり、娘のひとりは末盛千枝子で、この「チエコ」という名は、舟越が高村光太郎のところへ名づけをたのみにいってつけてもらったものだという。

    あとがきがわりに収められている、舟越保武の告別式での挨拶文で、「六人もきょうだいがいることは、とっても幸せなことです」と舟越桂が書いている。

    舟越保武はクリスチャンでもあって、ついこのあいだ村岡花子のことを書いた本(『アンのゆりかご』)を読んだあとだけに、その信仰の生活を書いた文章も興味をもって読んだ。長崎の二十六聖人が殉教したのと同じ二月五日に、舟越保武は帰天している。

    妻の舟越道子にも本があるらしいので、それも見つけて読んでみたい。

    (10/24了)

  • ある日突然に現れる変容、が、制作にはある。粘土が見えなくなって形が現れる
    絵具が見えなくなって色そのものになる。
    巨岩は何千年も何万年前からもここにあり、これからもあり続ける。人の命は花びらと同じ。
    子供時代の記憶と、同じ風景が現れ出ることにより時間を感じる。
    たくまざるユーモア。
    松本竣介の友人。
    釣りをしながら自然を観察。
    生きるための職人として彫刻を。
    学生との交流で刺激。

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