(文庫)阿部敏郎の「いまここ塾」 (サンマーク文庫)

著者 : 阿部敏郎
  • サンマーク出版 (2013年12月10日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784763160379

作品紹介

ある日、突然天地がひっくり返るような心の気づきを得た、元シンガーソングライターの著者。以来、どうしたら幸せになれるのか、本当の幸せとは何なのか、休むことなく話し続けてきました。本書はそんな著者の講演活動の中でも、とくに大反響だった沖縄での講演会「いまここ塾」の第1回から第6回までをまとめた講話集です。本書を読めば、あなたの常識は覆り、本当の幸せのありかが明らかになるでしょう。

(文庫)阿部敏郎の「いまここ塾」 (サンマーク文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 「一瞬で幸せになる方法」の文庫本。

  • 今私が知りたかったことが、まさにココに書かれててびっくりした!
    それも講演を文書化したものだから、すごくわかりやすく、優しい言葉で。

    いかに私たちは思い込みや観念で世の中を見ているか、人の話を聞いているか。
    ありのままを見ていない。聞いていない。

    そして「苦しみ」や「悩み」はこの観念が作りだしているってこと。

    「こうあるべきだ」「こうあらねばならない」って観念があるから、自分を裁いてしまったり、嫌いになったり、信じられなくなったり。

    この人生に無駄な観念を自覚し、いかに手放していくか?
    それが今の私のテーマでもある。

    私たちが生まれたときは、観念なんて何一つ持って生まれなかった。

    なのに生きていく上で、親や先生や他人から植え込まれたモノもあるし、自分を守るために身に付けたモノもある。
    いずれにしても自ら選んで身に着けたはずだから、自分が自覚して手放そうと思えば手放せるはず。

    そしてこの本では観念の書き換え方、新しい観念の作り方は簡単「言い続ける」ことだと教えてくれている。
    「私はOKだ」「私は素晴らしい」言い続けよう!


    人間にはもともとすべての知恵を持っている。本当は全部知っている。悟っている。
    「悟るっていうのは、悟りに到達することじゃなくて、悟っていたことを思い出すって感覚」


    観念を持つってことは過去生きているってこと。

    「いまここ」を生きるというのは、あらゆる先入観や決めつけを捨てて、いまを感じている状態。
    思考を超える。考えをやめる。

    まさに今私が求めてるのはこのこと!
    考えずに感じること!!!

    じゃなぜ、人は簡単に観念を捨てれないかというと、
    人は常に自分を守ろうとして、警戒心があるから。
    警戒心ってのは、自分が他人にどう見られるかってことも含まれる。

    人は一人で生きれないから、どうしても人とうまくやるために、無難な自分を作ってる、仮面をかぶってる。
    恐れがあるから。
    防衛本能なんだって。
    恐れや警戒心があると心を開けない。
    だから「いまここ」を楽しめない、味わえない。
    客観的に引いて自分も観てしまう。判断してしまう。
    あるがままの自分自身を生きれない。

    「いまここ」を生きるっていうのは、恐れがない状態。すべてを受け入れてる状態。
    何の迷いも不安もなく、深い安心感の中でOKって思える状態。

    劣等感があるから、自分を信じれなくなった。
    自分を信じれないから、自分の考え、感じ方、自分の直感、瞬間の選択は間違ってるかもしれないと思ってしまう。
    それで自分より偉いと思われる人のやり方の方が正しいと思ってしまう。
    それで自分自身を生きれなくなってしまう。

    禅っていうのは宗教ではなく、「いまここを生きている」っていう状態のこと。
    「いまここにある」ってことに気づいて、「いま」を自覚していくこと。
    いまここに気づき、いまここに心を込める。

    人は自分は特別だと思いたがる。
    それは人より優れていると思いたがるだけじゃなく、人よりも劣っているでもいいから、人と違ってると信じようとする。
    それが「自我」ってもの。

    それが愚かなこと。

    成長することは、特別さをどんどん落としていって、どんどん当たり前の、あるがままの存在になっていくこと。自分がごくごく当たり前の、取るに足らない存在だってことを、どれくらい受け入れられるか。
    そして自分が当たり前であるということを、とことん本当に受け入れたとき、「自分」なんて呼べるものを超えてしまう。自分を超えると、それはもうとてつもなくかけがえのない、宇宙の宝のような、本当の自分はそういう存在だったってことを見出す。
    自分は超、とんでもなく当たり前だということに気づいたとき、超特別な存在になる。

    禅は自分の特別さを落としていくこと。
    修行とは自分の特別さを落としていくこと。

    頑なに自分を握り締めているから、心を開けない。
    不信感・警戒心があるから。
    自分以外のものに対して、油断なく用心していないと、何か悪いことが起きるかもしれないっていう先入観。
    本当に心からすべてをゆだねて、100%信頼したことが人生の中で少ない。

    求めているのは常に「安心」なのに、自我、恐れがある。恐れには安心が必要。常に安心したいから、常に見張っている、常に警戒している、だから常に心を閉ざしている。悪循環。

    「自分」と「世界」、「自分」と「自分以外のすべて」、自と他、内と外という2元対立の中で生きてきたから。
    世界から自分が分離していると思ってしまっていること。自分と世界は別々だと思ってるから、外界から自分を守るために、心と体が緊張してしまっている。
    全体から分離した「自分」は「自我」

    その感覚が不快で、いつも安心感や満足感を求めてるんだけど、外側のものでは内側の欠乏感は埋まらない。

    究極的は安心感や満足感、幸福感は、すべてが自分だということを思い出すか、逆に自分なんていなかったということに気づくこと。

    自分たちが一つだということ。
    自分がすべてだということ。

    その感覚は誰もが遠い昔に知っていた。
    生まれる前か、生まれてすぐのころ。
    まだ自と他の区別がなかったころの記憶。

    絶対的な権威は自分の中にある。最高の徳や最高の善はすでに自分には備わってる。
    一切の権威を外側に求めない。
    自分にはもともとすべて備わっている、悟っているという前提で道が始まる。
    忘れていることを、発見していく。

    何かを捨てるのじゃなく、頓着しなくなる、意識しなくなる、超えていく。

    この道を進むのがなぜ困難なのか?
    唯一求められることが、正直になっていくことだから。
    より正直に、より開いていく。
    それは鎧を脱ぐっていうより、皮膚を剥いでいくことぐらい困難を伴う。
    それくらいの痛みと屈辱感を味わう。
    それは他の誰にもできない。自分自身にしかできない。

    「一期一会」
    いつもいまここでかけがえのない貴重なことが起きているにもかかわらず、終わってしまったことに心悩ましていたり、先の不安に怯えたりしてしまう。

    自分たちは一つだということ。
    自分がすべてだということ。
    大事なのは、知的にわかるだけではなく、自分がそのことを内側で体験するかどうか。

    自分がすべて、自分が宇宙全体そのものだという、その体感が必要。
    それが悟りと呼ばれている体験。

    悟りというのは、すごく偉い人になったり、人格者になったり、聖人になることじゃない。
    当たり前の人間になること。自分が当たり前であるということを、心の底から受け入れること。
    自分が特別だと思うこと、その特別さを超えること。

    自分は取るに足らない本当にありふれた存在だということを、心から認め、そしてそれを評価せずに受け入れること。
    それをとことん感じると、同時に自分というものはとてつもなく偉大で、時空を超えた「神」「仏」そのものだったんだってわかる。

    自分がすべての存在と等しいから、自分はすごく当たり前なわけだが、同時にそれはとてつもなく素晴らしいこと。

    いまを生きるというのは、この瞬間的な今を追いかけていくことじゃなく、がむしゃらに今を生きるっていうことでもない。もっと静かに、すべての出来事を一切の評価、判断を捨て、あるがままにただ受け入れ、見つめている状態。

    あらゆる出来事をいい、悪いという過去の判断基準で決めつけ、新しいことを新しいものとして味わうことができない。
    そういう裁判官みたいな、絶え間なく裁いているチェック機構をはずして、安心して、あるがままのいまを超客観的に味わっている状態、それが「いまここ」。
    判断評価のことを、思考という。
    考えない、無心。ただ受け入れる。

    判断して聞く危険性は、判断している主体が自分なので、自分以上のものは決して学ぶことができない。
    なかなか成長できない理由。
    信頼しただけ、開いただけ、幸せや天からの恩恵を受け取れる。
    信頼がすごく苦手。怖いから、用心しているから、それを「自我」という。
    本来は恐れる必要がないから自我はいらない。
    自我を超えたところに本当の喜びがある。解放感がある。
    子供はその感覚を持っている。
    大人になるということは分別がつくということ。
    その分別が警戒心をつくる。

    本来必要である大人の分別を持ちながら、余計なものを落として無垢になった状態、その状態がブッダ、悟るということ。
    もともと生まれたときから悟っているわけだから、それを、意識的に自覚を持って味わう。それが人生の目的じゃないだろうか、と著者はいう。

    私もその通りだと思う。
    早く体感したい!悟りを思い出したい!!!

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