- 本 ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784763180698
感想・レビュー・書評
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90年代中期にベストセラーになったスピリチュアル本。
アメリカ人のニール・ドナルド・ウォルシュさんが、神様との対話を自動書記で執筆したとのこと。
悩み多い筆者の質問に対して神様の長い長い答えがある、という対話形式。
キリスト教圏内の人に向けて書かれた感じなので、日本人向けの内容でないのは当たり前ですけど、ちょっと自分の感性とは合わない気がします。
あるいは、もっと精神的に煮詰まったような状態の時に読んだら感動があったかも、と思わせる内容ではあります。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自分が何者だと思うか。そして、何者になりたいと思うか。
選択し、行動するのは常に自分。
人生は常に、自分の思考の結果。
変えるなら今自分の中から変えろ、 -
何故か読み進めることがとても辛く、嗚咽しながらどうにかこうにか読みました。真理だからでしょうね。
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著者が本当に神と対話したのかどうかわからないが、肝心なのは、この本に書かれた言葉がどこから出てきたかということではないので、何かしら自分にヒットする言葉があれば、それを心に留めておけばよいのだと思う。
やや難解なところが多かったが、たとえば、何が善か理解するためには、何が悪を知らなくてはいけないというふうに、何事にも対極になるものがある、というのが興味深かった。といっても、善や悪というものは、そもそもないらしいのだが。。。 -
借りて読んだ本。
神というフォーマットを使って、生きる悩みや意味を
対話の中で解決していくように見えるから、
私に従いなさいとかいう本か、というとそうでもない。
前提(語り手)に完全な創造主を置いてのこと
ではあるが、自分が選択と創造しながらということは
世界が創造主から与えられるのではなく
自分が自分を世界を創造していくという
自分と世界(宇宙)の捉え方、生き易い生き方への
視点、思考、発想、行動の転換を促す本ととらえた。
読者が読んでいて「いや違わないか?」という所は
筆者の言葉で、筆者の思想は神の言葉として
語られている様で、その逆転が面白い。
また、世の怪しげな宗教がハーレムを形成したり、
土壇場で自分の・他人の死に無関心だったり、
財産を手放すことに無頓着なのは、
こういった考え方(テクニック)の悪用かな、
とも思いながら読んだ。 -
「あの世に聞いたこの世の話し」と言う本に書いてあったことと同じようなことが違う目線で書かれていた。
だからなんとなく理解出来るところがあったけど、基本的に自分の中に無いものが書かれているので、理解が中々難しい。
しかし本書でも言われてる通り「過去の知識に頼らない決断」が必要だと思った。
自分の経験を元にしない考え。何事もそのもの自体に意味はなにもなくて、そこから純粋な中立な心で考えれば分かるという事。
・今までの考えをどうやって変えるか
思考➡︎言葉➡︎行動と言うプロセスを逆転すること
・心配をやめれば、すぐにも健康状態は良くなる
憎悪は一番の破壊的行為 -
スピリチュアル系はあまり好きではないというのが今までの考えであったが、どうなんだろう、それはちょっと早とちりだったのかもしれないと思えます。それ位終盤のめり込んで読んでいました。
良い子でない解釈(神様は良い子も何もない、批判することはない、何て風にいいそうだ)をすれば、人生はご都合主義でいいのです、と言ってくれている本です、というのが私の感想です。それ故に、何か心に逆剥けが出来ているような、あるいは明確な外的ストレスに晒されている方にはとても良い薬になりそうだと思えました。自分ははっきり申して全然深刻ではないものの、やっぱりなんだか気持ちが少し楽になった気がする。
色んな言葉が出てきますが、しっくり来たものを、自分の都合良く解釈をしてもいいのです多分。何にも悪いことはないと神も仰せです。そして案外その解釈が現実に即した答えになったりしてね、というお話であった。
私にとっては、将来何か辛いことに遭遇した際にまた読みたくなりそうだなぁと思う、人生で最初の精神啓発系読本でありました。 -
本書の存在はずっと前から知っていて、でもなぜか読む気にはならなくて横目で表紙を見続けていた。少し前に知人との会話に本書が登場し、初めて読む気になり、シリーズをまとめ買いした。読んでみるととてもおもしろい。今の私には、この神様の主張はおおいに納得できる。でも、きっとこの本を長らく読まなかったのはまだ準備ができていなかったからだと思う。おもしろいことに、どんなによいものであっても、自分のすぐそばにあっても、受け取る準備ができていないと接点がつくれない。
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こうゆうスピリチュアルと呼ばれる本には相性があるので、わかりやすい、感動したは人それぞれです。
まずこの本は欧米の著者と言うことで、キリスト教を背景とした心理的状況の把握が必要なこと。ベースが聖書・イエスであることです。
別の著者で、宗教はどれも言っていることが同じだが、キリスト教は詩的な感じで、仏教は論理的な感じだと言っていたのですが、その詩的な感じがすごくあります。
つまり、何が言いたいのかもひとつわかりにくいとことがあるんです。文句をつけるなら、神様の言いすぎ(もうちょっと端的に言って)、表現がくどい(ずばりと言って)、キリスト教的な表現(掴みきれないよ)ってことです。日本人にはここら辺が、難しいと思います。
対話した神様の言い方が下手と言うのではなくて、著者にわかりやすく説明したら、こうなったと言う感じです。だから、わたしに・あなたにわかりやすい表現かといわれれば、別です。
このニールさんもエックハトルさんも、雲黒斎さんも、阿部敏郎さんも言ってることは一緒。どの言い方が自分にあっているかと言うことです。
つまりどの著者の問題集がわかりやすいかと言うことです。後は個人好みですね。
雲黒斎さんから入った私にとって、上記のことがわかりにくかったです。それでも、真理は一緒なんだなと確認できました。
非常によい本だと思います。 -
開いたページに、答えが見つかる!!!
著者プロフィール
ニール・ドナルド・ウォルシュの作品





