魂との対話―宇宙のしくみ 人生のしくみ

  • サンマーク出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (279ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784763194510

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  • 『魂の健康なくして、真の意味での肉体の健康はありえない。
    人間として生きる事の真の目的は、魂の健康を得る事なのである。』

  • 最初は、それほど興味をもてなかったが、次第に強く引かれるものを感じるよう になった。独特の、不思議な読後感があって、しかもその基本的なメッセージには共感し、胸にずしりと来た。「全米で300万部を超えたロング・ベストセラー」とい うのも、今は分からないでもない。それにしてもアメリカ人のおよそ100人に1人が 読んだとは!!

    宇宙が語りかけてくる声が聞こえるようになり、それを紹介しているという。そしてその主張の根拠は一切説明していない。しかし基本的な主張としては、深くその通りだと感じる。霊的な成長やカルマについては、スピリチャリズムやニューエ イジ系の主張と重なる部分が多い。ただ、独特だが明快な言葉遣いの表現や、非常にシンプルで分かりやすいメッセージに、ある力強さがあって、不思議な感じは、そんなところからも来ているのだろうか。

    「私たちの魂は永遠であり、それが私たちの本質である」が、見えるものしか信 じない「五感型人間」には、それが分からない。私たちは今、五感型人間から、直感を有効に活用する「多感覚型人間」へと霊的に成長し、進化しつつあるという。

    「魂は存在する。そしてそれは、始まりもなければ終わりもなく、つねに調和に向かって流れている。パーソナリティーは、魂が物理的な世界のなかで活躍するためにもちいるエネルギー装置である。」

    パーソナリティー(個々の人生を生きる自己)は、その魂が体験する無数の人生のうちのひとつであるという。魂は、時間の外側に存在している。魂の視野は広大で、その知覚はパーソナリティーのもつ限界を超越している。

    「パーソナリティーが魂から独立して活動することはない。そしてパーソナリティーは、それ自身が魂に近づけば近づくほど癒されることになる。」

    また、魂はそれ自体、時間による制限を受けないから、魂の観点からすれば、それが体験する人生は、すべて同時に存在するという。そして、ひとつの人生が終わると魂は、それ自身の本質である不滅で時間のない状態に戻っていくという。

    時間の制限を受けない非物理的な魂と、物理的な世界で個々の人生を生きるパーソナリティーとの関係の捉え方は、私には新鮮で、しかも確かにそうかもしれないと思わせる明快さがある。

    さらに「私たちは真のパワーに向けた旅の途中にいる。真のパワーで満たされることは、進化のプロセスのゴールであり、私たちが存在していることの目的である」、 「私たち人類はいま、外側のパワーを追求する種から、真のパワーを追求する種へと進化しつつある」と言われる。

    真のパワーと外側のパワーという表現も独特で、パワーという言葉は一見誤解を招くかに見えるが、文脈を追えばその意味するところは一目瞭然だ。  

    教育、社会的地位、名声、人を支配したり利用したりしようとする力、そして魅力的な肉体や財産などの様々な所有物、それら私たちが失うことを恐れる一切のも のは、外側のパワーのシンボルである。外側のパワーには、怒りや敵意、恨みなどの衝動が付着する。

    パーソナリティーは、愛や明晰さ、理解、思いやりなどに自身を同調させることで真のパワーを獲得し、否定的な衝動は消失する。パーソナリティーは、このように意識的な決断を行うたびに一歩一歩、真のパワーを獲得していくのである。

     パーソナリティーは、われわれが「自我」と言っているものにだいたい対応して いるようだ。多くは物理的世界での外的なパワーの獲得に執着し、外的なパワーへ の依存症に陥っている。  パーソナリティーは、そうした執着から自由になればなるほど、魂に近づく。魂 は、いわば「悟りの意識」のようなものであるが、個別的なあり方を保ち、様々な パーソナリティーとして物理的な世界に現われる輪廻の主体である。

    「もしもパーソナリティーが、それ自身の魂のエネルギーに充分に奉仕できるようになったとしたら、そのときこそが、パーソナリティーにとって、真のパワーで 満たされるときである。そして、そうなることこそが、私たちがかかわっている進化のプロセスのゴールであり、そこに行き着くことこそが、私たちがいまここに存在している理由である。」

    この本を読む用意が出来た人には、その明快な言葉のひとつひとつが、魂に強く 働きかけて、「真のパワー」への道を歩もうと、思いを新たにするだろう。

  • 物理学と心理学を接合した突拍子のなさに面食らうが、含蓄のある言葉が出てくる。以下引用。

    私たちは五感型人間から多感覚型人間へと進化しつつある。私たちの五感は、一体となってひとつの知覚システムを形成し、物理的現実を認識するようにつくられているが、多感覚型人間の知覚は、その物理的現実の先まで広がっている。それはいうなれば、「私たちの物理的現実を一部とする、より大きな力学システム」にまで延びているのである。
    多感覚型人間は、私たちの物理的現実が進化のより大きな枠組みのなかで果たしている役割と、私たちの物理的現実を創造し保持している力学を認識し、正しく理解することができる。これを行えるのは、五感型人間には見ることのできない領域内においてである。
    私たちのもっとも根源的な価値観の源が存在するのは、この不可視の領域内である。この不可視の領城の観点から眺めると、崇高な目的のためにみずからの命を犠牲にした人たちの動機が、手に取るほどわかるようになる。たとえば、ガンジーのパワーが説明可能になり、キリストの思いやりに満ちた行動が完璧に理解できるようになる。それは、五感型人間にはとうてい行えないことである。p22


    もしもある人間が、他人を信頼できないとしたら、そのときその人間は、他人の言葉や行動を誤って解釈することになるだろう。
    たとえば、ある妻が夫に、ほんとうはいっしょにいたいのだけれども大切な仕事のミーティングがあって、それにどうしても出席しなくてはならない、と告げたとする。そこでもし、その夫が他人を信頼できない人間であるとしたら、そのとき彼は、妻のその発言を、彼女が彼を嫌っていること、あるいは、彼女にとっては仕事のほうが彼よりも大切なのだということの、明らかなサインだと解釈するかもしれない。
    その誤解は、彼が妻の話を素直に受け入れられないために、つまり、彼女を信頼する能力を欠いているために発生するものである。そして、もしもこの妻が、夫からの誤解にくり返し接しつづけたとしたら、彼女の内側では、まず驚きが発生し、続いて悲しみが、さらにはフラストレーション、怒り、そして最終的には、夫が誤って知覚した彼女の嫌悪感までが発生することになるだろう。そうやってこの夫は、不信の力学をスタートさせ、自分がもっとも恐れていることを、みずから発生させることになるかもしれない。pp79-80


    責任ある選択とは、それが導くことになる結果に気を配った選択である。責任のある選択を行なうためには、決断する前に必ず、「この選択によって何が起こるのだろう? 自分は本当にそれを発生させたいのだろうか? この選択の帰結を全て受け入れる準備を自分は本当に整えているのだろうか?」と自問しなくてはならない。p146


    依存症の持つ性的関心は、それを抱いてる人間に、その瞬間にその人間が無力感を感じて、自分よりも弱い魂を食い物にしたがっている、ということを告げる信号である。p160


    よって、あなたがセックス依存症から抜け出す方法は、その衝動を感じたときに、自分はその瞬間、無力感を感じていて、自分よりも弱い魂を餌食にしたがっているのだと自分自身に言い聞かせていることである。
    いい換えるならセックス依存性の衝動を感じた時には、すぐに、「自分はいま、自分の内側にほかの人々を不当に扱おうとする願望を発生させている、無力感を感じている」と考えることだ。その願望は、性衝動のように感じられるだろう。しかし、そうではない。自分の内側で点火されているものが実際には何であるかを、自分にハッキリと気づかせることだ。
    私はいま、そのときのあなたは肉体的な性衝動を感じていない、などとは言っていない。そうではなく、その衝動の下に隠れて存在し、その発生源となっているのが無力感だと言っているのである。p160


    あなたがかわっている力学を注意深く観察することだ、すぐにあなたは、ひとつの魂が自分よりも弱い魂を食い物にしようとして近づき、それに弱そうな魂が反応したとしたら、それらはどちらも弱い魂であるということを知るだろう。p162


    パーソナリティーは、誘惑に直面して、愛や明晰さ、理解、思いやりなどに自身を同調させたとき、パワーを獲得する。そのとき、怒りや敵意、恨みなどの衝動は、パーソナリティーに対するパワーを消失する。パーソナリティーはこのようにして、意識的な決断を行うたびに、一歩一歩、真のバワーを獲得していくのである。
    もしパーソナリティーが、意識的に生きないこと、すなわち、自分の行動に対する責任を放棄することを選んだとしたら、 そのときそれは、自分の行動をネガティブなエネルギーの流れに支配させる道を選んだことになる。そのあとにはいうまでもなく、ネガティブな行動と、新しいネガティブなカルマの創造がつづくことになる。p235


    もしあなたが、自分自身の真のニーズを通じて明瞭に見ることができたとしたら、そのときには、自分が偽のニーズを追い求めているのは、外側のパワーを失うことが怖いからだ、ということを知るだろう。自分の真のニーズを主張できるようになることだ。そうすれば、あなたは自分の真の性質にそぐわない行動ターン、自分の心を曇らせる行動パターン、自分に偽の外見をもたらす行動パターンから解放され、大きな自由を手にできる。 p240


    許すということは、自分の体験の責任を他人に負わせないということである。自分が体験したことの責任は自分にあるという自覚を持っていない人間にとっては、不愉快な出来事はすべて他人の責任である。そして、それを表明するためによく用いられる手段が不平である。不平を言うことは、まさしく、自分が体験したことの責任を他人に負わせ、それによって自分の立場を守ろうとする行為である。 p251


    舵取りのハンドルから手を離すことだ。宇宙に「御心のままに」と言えるようになることだ。本心でそう言えるようになることだ。このことをじっくりと考える時間をとることだ。「御心のままに」ということの意味を考え、自分の人生が宇宙の完全な支配下に入るのを許すことだ。真のパワーにいたる最後のステップは、より高次元の知恵に身を任せることである。 p262



    あなたのハートのなかにある意図を感じることだ。あなたの知性が語ってくることにではなく、あなたのハートが語ってくることに耳を澄ますことだ。 あなたの心の偽の神々にではなく、あなたのハートに、真の神に奉仕することだ。あなたは自分の知性のなかでは、神を見つけられない。神聖な知性はハートのなかにいるのである。
    同胞に心を開くことだ。彼らに対して自分が抱くフィーリングを、しっかりと体験することだ。そして、彼らが感じていることに耳を傾けることだ。彼らとの交流が、あなたの成長の土台を形成する。 p268


  • 全米で300万部を超えたベストセラーだそうです。
    でも何かこう入ってこない。
    間違えているというほどでもないけど、少しズレているような感じを受けました。
    もしかすると私のほうがズレているのかもしれませんが(^_^;)
    文章表現が堅いので、単に難しくて読めなかっただけかもしれません。

    レベル:415

    やっぱ、ちょっとズレてるのかな。

  • 「神との対話」とは少し違った形で、ストレートに真理を教えてくれる本

  • 全米で300万部を越えた驚異のロング・ベストセラー。

  • 道徳とは、人間が勝手に作ったものであり、
    畏敬の念とは、裁かないことなのである。
    自分のニーズばかり主張し、忍耐の欠如が起きては、もちろんそこに、畏敬の念などはないのだ。
    結婚についても、夫婦は人間の集合的なアイデアであり、絆とは、霊的成長を支援しようとする意思なのである。

  • 私たちはなぜ生きているのか? 魂とはいったい何なのか? 世界を動かしている真のパワーをわかりやすく解説。

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