- Amazon.co.jp ・本 (374ページ)
- / ISBN・EAN: 9784764500532
感想・レビュー・書評
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この本は、いろいろなところで言及されている、動物の権利について書かれた古典となる本である。2000年に入って和歌山県のイルカ漁に対する環境保護団体グリーンピースによる妨害は世間で話題となったが、1980年頃にも壱岐島で似たような騒動があり、そのことについても書かれている。裁判においても動物の保護については、それが「パーソン」であるかどうかが重要で、動物はパーソンでないから軽視されるというようなことがあるらしい。
冒頭に書いてある次の1文が印象深い。これを考慮するとやはり動物への配慮も大事なのではないかと思った。動物関係の本では翻訳本が多数あり、この本も翻訳本である。やはり、翻訳本特有のぎこちない日本語なので少々読みづらかった。
p. 30:動物解放運動は、動物と人間が同様の利益を持っている場合ーーたとえば、肉体的な苦痛をさけることに対しては人間も動物も共通の利益をもっているーーその利益は平等に考慮されるべきであり、人間でないからという理由だけで自動的に軽視されるということはあってはいけないということである。 -
ピーター・シンガーの本、といっても中身は様々な有識者が書いている一冊。探すのだけでも大変^^; でしたが、本年度9月にある東大でのシンポジウムの聴講までにはどうしても読んで出席したい。今回は、図書館の閉架書庫から出してもらいました。
ペットとしての動物、人間の食のための畜産動物、動物園の動物、実験用のモルモット。同じ、生き物であるにもかかわらず、人間以外の生き物の命の選別がどうして必要なのか、いまだに疑問であるにもかかわらず答えを見いだせない私。答えなどないのではないかと想う反面、その根拠が見あたらない。しばらくじっくり読んでから感想書きます。 -
苦しむ能力がある限り、動物を殺すべきではない。動物を殺すのはスピーシズムだ。それを避けるためには、ベジタリアンになるべきだというのがざっくりまとめた作者の主張。膨大な動物実験の例や、過去、哲学者が動物をどのように考えてきたか、ベジタリアンの料理にはどんなものがあるか、そのレシピといった内容。ただ、けっこう前に書かれている本なので、現在ではどうなのだろうと思う。相変わらず、無駄とも思える動物実験は繰り返されているのだろうか。代替方法はみつけられていないのか。しかし、BSEや鳥・豚インフルエンザなど、肉の生産量を追求して、動物の環境や苦しみを考えなかったツケが確実に現代に回ってきている。「食べる」ということは「生きる」ということで、他の動物の命を食べてまで、生きることに意味はあるのかという問いにまた立ち返ってしまう。肉を食べないことは私にとっては簡単なことだけれど、人付き合いを考えるとなかなか難しい。食事会とか宴会とか、人の作ってくれた料理とか。「ベジタリアンなので食べません」ということが面倒で押し付けがましい気がしてしまう。そして、好意を無下にすることに罪悪感を覚える。こっそり吐き出せばいいのだろうか?それとも、ベジタリアンへと他者を勧誘せねばならないのだろうか。肉=ごちそう的な発想が根づよくあると思う。屠殺場やブロイラーの小屋を見学に行けば、自然と肉を受け付けなくなるような気もするが、どうなんだろう。食べ終わった動物の骨を埋めて祈りをささげるといったような、感謝の儀式を復活させたところで、罪悪感をぬぐう自己満足に過ぎないのだろうか。ともかく、肉食についてはもうちょっと考えてみる。
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動物の権利を包括的に扱い、詳しく説明してあります。
動物の権利、動物の苦しみの科学的評価、動物園反対論、政治と動物の権利、アニマルライト活動家たちの声など、倫理面から、科学面から、政治面から、社会的な面から論じています。
アニマルライトは感傷的な動物愛護運動ではなく、畜産、実験動物、動物園、野生動物などの問題をふまえつつ、動物の権利論を総合的、論理的に展開しようとするものです。
動物の権利を調べるには、本書は欠かせない文献です。