フーコーの闘争―〈統治する主体〉の誕生

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  • 慶應義塾大学出版会
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レビュー : 3
  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784766420661

作品紹介・あらすじ

「闘いのとどろきを聞かなければならない」 ミシェル・フーコー

▼フーコーの権力論は1970年代半ば、『監視と処罰』と『知への意志』で頂点に達する。だが『狂気の歴史』に始まり、六八年五月を経て深化した、ラディカルな思索は、運動の退潮に伴い、権力と抵抗の二元論として受容された。闘争や抵抗は、その事実ではなく可能性のみが語られるようになった。しかしこの時期、フーコーの思索には新たな展開が生じていた。〈統治〉概念の導入を契機に、権力論が再構成され、倫理、自由、主体化、パレーシアの概念を軸に、独自の主体論が立ち上がる。そして〈統治〉する〈主体〉が姿を現す。
▼後期フーコーは「権力があるところに、抵抗がある」には留まらない。権力関係を成立させる〈自由〉に賭けるのだ。自由を用いる統治する主体は、「主観的な」真理によって、自己と他者の振る舞いを導き、他者から導かれる。
闘争とは、既存の導きのあり方を問い、導きの向きを変えることだ。それは絶えることのない、他者の導きへの叛乱であり、自己への反逆である。後期フーコーにおける生の美学、自己の倫理、自由の実践は、自己と他者への統治的なはたらきかけを指す。統治論が問うのは「いかにこのように統治されないか」である。現在性の哲学、現代統治性批判としてのフーコー思想は、この地点からこそ読まれるべきだ。

▼後期フーコー権力論の転回、その可能性の核心を捉える俊英の鮮やかなデビュー作。

感想・レビュー・書評

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  • 晩期フーコーの思想を、「統治」というキーワードを軸に、整理して組み立てる。
    筋の通った読み、手際のよい概念整理。この本のおかげで日本におけるフーコー研究の水準はちょっと上がったのではないかと思う。

  • 箱田徹『フーコーの闘争 <統治する主体>の誕生』(慶應義塾大学出版会)。これはしびれた。フーコー権力論は通常三段階論(知⇒権力⇒倫理)が取られるけれども、権力⇒倫理の過程を内省的退潮と捉えるフシがある。しかし「果たしてどうよ」っていうツッコミ。すげえ。

    詳しくは本書に譲るけれども、私たちが重視しなければならないのは「道徳」ではなくて「倫理」という話。序章最後において著者は記録映画作家の土本典昭さんの言葉を紹介するのだけど、しびれますぜ。

    「われわれ民衆にそもそも勝ち戦はないんです。勝ったときには世の中は変わっちゃうわけ。だから負けていいんです。なぜ負けたかを掴めればいいんです。だけど、負けるからもう戦わないとなったら、人間として失格です。内面的な戦い、精神的な戦いでもいいけれど、戦いというのはいっぱいあるわけ」

    「闘争とは己の想像力を豊かにし、新しいものを作り出す。このとき自己は、己と他者と新たな関係を結び、自己に別の導きを与える。統治論を紡ぎ出した『フーコーの闘争』とは、闘争における想像力、創造性、永続性、遍在性への信のこであり、われわれに、その「闘争」の主体になるように誘う」とは著者。

    日本ほどフーコーが翻訳されている国も珍しいのですが、日本ほど誤受容が多いのも事実かなと思うので(学部でフーコーやってました卒論は、ベンサムのパノプティコン)本書の意義は大きいです。

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著者プロフィール

箱田 徹(大阪市立大学都市研究プラザ特任助教)

「2016年 『たたかう LGBT&アート』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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