- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784767823942
感想・レビュー・書評
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目を奪われるほど数々の図版。それも並大抵の美しさではないのが本書の最大の特徴だ。
5名の著者による解説を読みながら、時系列に従って壮大な知の旅をしていく。
第一章は紀元前3000年から。
キリスト教の写本のみでなくユダヤ教の「トーラー」、イスラム教の「コーラン」、ヒンドゥー経の「マハーバーラタ」道教の「易経」も登場する。
竹簡に書かれた6000文字の孫氏の「兵法」、イスラエルの「死海文書」。藍色のページに金文字で書かれたチュニジアの「ブルー・コーラン」は衝撃を受けるほど美しい。
「ケルズの書」の絵に動物や人の姿がいくつも隠されていることを初めて知った。紀元前800年頃に制作されたというこの写本は、3人の絵師と4人の写学生が携わっているという。
特徴のもうひとつは、大きさがヒトの手との比較で表されていること。
680頁もある写本のサイズは本書とほぼ同じ。縦30センチ以上、横は25センチくらいか。
更にもうひとつの特徴は表紙画像が載っていること。おかげで全体像を把握できる。
第二章は1000年頃から1449年まで。ここで「源氏物語」が登場する。
物語の主題はこの世のはかなさ、喜びの虚しさ、避けられぬ悲しみ。
現在も「源氏物語」は日本文化を象徴する存在であり続けている。。。という解説付きだ。
日本からは後半の1900年以降の部分に、手塚治虫の「火の鳥」がとりあげられている。
印象に残ったものを挙げておこう。
グーテンベルグ以降では、「ニュルンベルグ年代記(1493年)」。
手彩色の図版が非常に美しい。1800点以上もの図版が掲載されているとか。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「レスター手稿(1506年~10年)」。
手書きの文字とスケッチがびっしり。非常に細かく几帳面な印象だ。
1450年から1649年の第三章ではセルバンテスの「ドン・キホーテ」。
前編(1605年)が668頁、後編(1615年)が586頁と言う大長編で意外にも版が小さい。
シェークスピアの「喜劇・史劇・悲劇(1623年)」。
900頁の中に36本の戯曲をすべて掲載してあったという。これは知らなかった。
約750部印刷されたというが、現存するのは235冊。完全なものは40部のみらしい。
1650年から1899年の第四章ではフランスの「百科全書(1751年~52年)」。
驚きの、一万8000頁に渡る科学・芸術・工芸の合理的辞典だ。
寄稿者は150名以上。ルソーやヴォルテールも加わっている。
「私たちの子孫が、知識と同時に徳と幸福の点でも私たちに勝るようにするために」編纂されたものだという。これは本当に素晴らしい本だ。
1900年以降の第五章では、皆さんもご存じの「オズの魔法使い」「ピーターラビットのおはなし」「グリム童話集」「アンネの日記」「沈黙の春」等々が登場する。
度肝を抜かれたのは「毛沢東語録(1964年)」。
確かに世界を変えたかもしれないが、国民の思想統制に使われた本だ。
この本以外の読書は禁止。1人一冊を常に携帯して暗誦すべしって国から命令されたらどうする?本当にそんな時代があったのよ。でも記憶にとどめたいのでこれも入れよう。
たそがれ時の写字室でひとり黙々と修道士が写学にいそしんだ時代からどれほど時を経ても、知の旅に終わりはない。
書物たちの探求の精神は、読むほどに私たちにエネルギーを与えてくれる。
それは慰めであり避難場所でもあり、何物にも代えがたい親しい友のようでもある。
ひとの最良の部分を表現してくれる本が殆どということも、非常に大きな励みだ。
図書館で見かけたら、今読んでいる本をひととき閉じてぜひ開いて見てね。
本の魔法が皆さんを魅了してくれると思うから。 -
古代から現代まで
語り継がれたことは文字になり
大量に記録され 大量に消費されていく
共有から混沌へ
中世以前の書物は大切に扱われていたのがよく分かる -
上野の森美術館で開催されていた「世界を変えた書物展」を見た後に本屋で発見。
この本は文系の本が多いけれども、ページの拡大写真や解説がとても良かった。この内容でリーズナブル。 -
書物とは、謂わば人間の智の結晶であり、歴代の思想体系の集合体だ。
そうした「人間の歩んだ記録」とも言える素晴らしい古書の数々を、断片的でもカラーで内容を目にすることが出来る僥倖に圧倒的感謝を捧げたくなる。
これから先も、変わらず世界を「変え得る」本の存在を心待ちにしていたい。 -
挿絵や図が多いものは、ページ数を多く割いている。
説明文は簡潔。
39冊しか選ばれていないので、網羅性は低い。 -
多くの美しいビジュアルととも内容も読み易い。
本の歴史を通してその時代の知的営みや背景を感じられる。
便利なものに囲まれる現代ではなく、その歴史の中に生まれて暮らしてみたかったとさえ思う。
とにかく大きくて重いので・・
休日に図書館で涼をとりつつのんびりと眺めたい本かな。 -
烏兎の庭 第六部 11.5.18
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto06/diary/d1811.html#1105 -
【資料ID】72200005
【請求記号】020.2/S
【OPAC URL】https://opac2.lib.oit.ac.jp/webopac/BB50114515
「だから、私たちは本をこんなにも愛してやまないのだ。」
古代エジプトの死者の書、源氏物語、エピトメー(人体構造論抄)ノストラダムス予言集、魔術の暴露、グリム童話集、アンネの日記、星の王子さま、目次を見るだけでもワクワクしてしまう書物がぞろり。
紀元前のものから1900年以降のものまで、どのような装飾が施され、どれぐらいの大きさの書物だったのか、実際の手の大きさとの比較が載っていたりとページをめくる度魅入ってしまうカラー図と詳細があります。
読み終わった後、大きな美術館を巡ってきたような満足感を是非お試しください。 -
貴重な本が多数掲載されていて、見ているだけで満足した。実際に手に取ってみたいと思う。
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そのひとは、SNSでブラック労働に従事していた外国人の方の訴えを、「被害者だから都合の良いストーリーでっち上げているんじゃないか?オレならそんなことしないね」とご自身は労働の土俵から降りて無職の立場で安全圏から見下していました。
常になにか悲鳴のような訴えをしてバズったツイートを見ると「そうかぁ?」などと疑問をぶつけているのです。
そして、労働者は負け組、負け犬などと無職の立場を利用して見下して自己を肯定していたのです。
恋愛についても20代の頃に恋愛できず、ふさぎ込んだまま中年を迎えた自分自身を自己否定したくない思いから、他者を見下して自己批判しないようにそむけているのかな、と読み取れました。医者や弁護士さんなど職業柄出会いがないとかで30代で恋愛している人なんて世の中にいっぱいいますし、生涯恋多きひとなんてザラにいますからね。
僕と会ったときも、質問攻めしてきて、本棚が見たいというから、ブクログをやっていることを伝えて、「蜘蛛の糸」のレビューを読ませたのです。
しかし、理解できないのか、人の話を聞く耳を持たないのか、わかりませんが、ひどくつまらなそうに首を傾げた態度をとっていました。
そのうえで、彼が書いているという文章を見せつけてきて、肯定的な反応をもらおうとしていました。
「マイナスポイントを見つけてマウントを取る」「ひとの言うことに耳を貸すのを損失だと思う」「プライドだけは異常に高い」
すべて当てはまっているように見えました。
それにSNSで書いている内容も不勉強そのもので、空虚な妄想なのですが、ご自身はすごいと思っているようで…botにして延々としゃべっていました。書いてて辛くなってきた…ああ……。
たしかに、独善的に感じました。
いい歳をした大人が友達がいない、社会から阻害されている、だからSNSで友だちを探すんだ、というのもむべなるかな、です。
しかし、最近、思うのは、彼のような人がそんなあわれな状態になったのは、彼の自己責任ではなく、彼が救われる好機が訪れないから、そして導いてくれるような大人に出会えていなかったから、なのかな、と思いました。
環境や運や人の縁に恵まれなくて、心が貧しくなってしまったのかな…と。経済的に豊かになっても心はずっと薄暗そうです。
藤井聡さんのお話によれば、利他の心をもつひとには運が巡ってくるそうですよ。
逆に、じぶんさえよけりゃ良い、今さえよけりゃ良い、という考え方をしてるエゴイストには、不運が舞い込んでくるのだそうです。
ミショーは会ったことはないけれど、おおくのひとの幸福を願った素晴らしい人だったから、豊かな人生だったと思います。
読書猿さんも、彼が幼い頃にこんなひとがいたらいいなあ、と思った理想をご自身でやることにしたそうです。
いいですよね、そういう心意気って。
nejidonさんの人生がもっともっと豊かになるよう、不肖ながら、助力します。
ほかの方(そのひとも年長で心もきちんとした大人の方です)にもそのひととの一件を話したら、「コミュニケーションの取り方がドヘタ」だ...
ほかの方(そのひとも年長で心もきちんとした大人の方です)にもそのひととの一件を話したら、「コミュニケーションの取り方がドヘタ」だった、と評していました。
過去にも、僕は初対面で、事務的で立て続けな個人情報の質問攻めをされたことが二度ほどありました。
ですから、その中年男は、地雷を見事に踏み抜いたと言えます。
そして、当時質問攻めしてきたひとのひとりは、僕が目下だとわかると、年上・年下理論(年長にはヘコヘコするが、目下の人はぞんざいな態度を取る、というモットーらしい)に当てはめて、無礼な態度をとってきました(その後、そのひとは問題を起こして大目玉を食らってましたが)。
だから、nejidonさんのおっしゃるように、彼もまた、マイナスポイントを見つけてマウントをとろうとか後ろ暗いことを考えていたかもしれません。
そういえば、蜘蛛の糸などのレビューに登場した、元友人もコミュニケーションにかなり問題のある人でした。そしてカンダタよろしく地獄へ堕ちていきました。
こうしてド下手なコミュニケーション法を平気で取るメンタリティの人びとは、僕以外の人からも嫌われるのかもしれませんね。
そうすると、運が逃げていくと言えそうです。
まるで手に取るように状況が浮かびますね。
「オレならそんなことしないね」...
まるで手に取るように状況が浮かびますね。
「オレならそんなことしないね」と言う人、あまりにも多い。
自分の主観から決して抜け出ないのですよね。想像力の欠片もない。
同じ境遇を生きてもいないのに、よくそんなことが言えるなぁと呆れます。
何だか、お話を聞くと辛いひとですね。
その人なりに、異性であれ友人であれ出会いはあったと思うのですよ。
ただ、見れども見えず聞けども聞こえずだったのかもしれません。
自分に問題意識を持たないと、出会いもすべて無になります。
SNSで友だちを見つける?できませんよ、それじゃ。
相手の反応を気遣いながら、ほんの少しずつ理解していくものです。
何が嫌いで何が好きで、どのような距離感を望んでいるのか。
想像力の賜物なんですよね、人を理解するのって。
それでも思い違いというのはあるものなのです。
導いてくれる良い大人がいなかったというのは、正解かもです。
私がよく言う「きっかけを与えてくれる人」ですね。
気づきをくれる人。未来を指し示してくれる人。
その人の今後にそういった出会いがあるようにと願います。
「幼い頃にこんなひとがいたらいいなあ、と思った理想をご自身でやることにした」
読書猿さんの言葉、身に沁みます。素晴らしい方ですね。
私も、今この人はどんな言葉をかけてもらいたいのかなぁと、よく想像します。
人を導くなんてことは出来そうにないけれど、寂しい人、目の前で辛い思いをしている人に寄り添える人間でありたいです。
それで、読書することでせっせと自分の心を耕しております。
長くなりました。
夜型さん、いつも心にかけていただいて本当にありがとうございます。
温かくしてお休みくださいね。