【増補新装版】障害者殺しの思想

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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784768435427

作品紹介・あらすじ

青い芝の会の「行動綱領」を起草し、健全者社会に対する鮮烈な批判を展開した横田弘の70年代の思索。

感想・レビュー・書評

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  • 「まとまらない言葉を生きる」荒井裕樹

  • やはり、横田氏の「障害者が健全者に迎合するということへの強い批判」が印象的。
    障害者当事者の視点の強さ、その確固たるもの。
    障害者が健全者の文化に入っていくのではなく、障害者は障害者の文化を築く、築かざるを得ない、そして健全者と障害者の文化がぶつかっていくこと自体が「闘争」であり「ふれあい」だ、という考え方(「文化」を「エゴ」に置き換えたほうが、より横田氏の意図に近い)。
    たしかにそうかもしれないと思いつつ、あまりにハードで、非融和的・非妥協的で、いつまでも摩擦がなくならなそうで、社会の多くの人にとっては受け入れがたいのではないか、と。
    そしてその「多くの人にとっては」という(自分の)発想こそが、マジョリティとマイノリティの構図になっている、という、デッドロック的な状態なのか。
    とにかく、横田氏自身が、意思と思想が非常に強い。障害者であることを差し引いても、だと思う。誰もが(特に障害者が)、強く自分の立場、状況を意識し、その上で強く意思を表明していくべきである、という考え方。共感する部分はあるが、たくさんの人がうごめく社会のなかで、実際に難しいんだよね。コテンラジオの民主主義の話ともつながってくる気がする。

  • 2016年に発生した知的障害者施設「津久井やまゆり園」での大量殺人事件は、今年、被告本人が控訴を取り下げたことで被告の死刑が確定しました。この事件は事件そのものだけでなく、被告人の主張、日本社会や関係者の方々の反応にも深く考えさせられるものがありました。横田弘氏の活動した1970年代から現在までの間に、障害者をめぐる状況には大きな変化があったはずですが、障害者に対する日本社会の態度は変わったのか、そして皆さん自身はどうなのか、横田氏が発した「健全者社会」に対する強烈な批判の言葉を浴びて、じっくり考えていただきたいと思います。
    (2020年 熊本先生の推し本)

    本学OPACはこちらから↓
    https://nuhm-lib.opac.jp/opac/Holding_list?rgtn=017614

  • 社会
    ノンフィクション

  •  著者の横田氏は1933年横浜生まれ、2013年に80歳で亡くなった。本書は1974年にしののめ発行所から刊行された『炎群(ほむら)──障害者殺しの思想』に加筆修正して1979年にJCA出版から刊行された『障害者殺しの思想』を、2015年に増補新装版として復刊されたものだ。

     著者は生まれつき脳性麻痺の重度身体障害者で、歩くことはもちろん、食事から排泄まで全て介助を必要としていた。戦前のことなので学校も町もバリアフリーには程遠かったろう。小学校に通うことも当然のように「免除」され、兄に文字を教わったそうだ。

     本書は1970年に起きた、脳性麻痺の子供を母親が殺害した事件に対する減刑嘆願運動への批判から始まる。当時、障害児の世話に疲れて我が子を手に掛けた母親が世間から同情されて無罪になる事件が相次いだことに対し、それでは障害児は殺されても仕方ない存在だということになり、自分たちの生存権を否定されることになるというのが彼の主張だ。

     その他、優生保護法の問題点や、経済的に役立たない者が抹殺される資本主義社会への批判、善意を装った差別への糾弾などが強い熱意を込めて語られている。著者が取り組んだテーマの中で大きなものは学校教育における障害者の扱いで、障害のある児童が強制的に養護学校へ入れられる制度に強く反発し、希望すれば普通の学校で健常児と学べることが障害児と健常児の双方にとって良いことであるとの信念を持っていたようだ。

     70年代という時代背景と彼の活動した団体(青い芝の会)の傾向によるものか、安保闘争時代の学生運動のアジビラみたいな論調と言葉遣いが随所に見られる。現在であればこんなに強く激しい言葉で物を言う人は「めんどくさい人」として敬遠されるだろう。と言うか当時もそうだったと思われる。74年の時点で41歳だった著者はその後ほぼ同じ年月を生きたわけだが、晩年はどのような人物になっていたのだろうか。

     本書を読んで印象的なのは、70年代はまだ人口爆発が懸念されていて、このまま人口が増え続けたら日本はパンクしてしまう!という心配をしていたのだということ。半世紀も経たないうちに少子化で人口減少に転ずるとは全く思っていなかったのだろう。そして同時に高齢化が進んだことで、社会のバリアフリー化が進んでいる。障害者というマイノリティのためには遅々として進まなかったであろう対策が、マジョリティの問題になったことで急速に進んだということは、良いことかどうか微妙だが。

  • ある意味一方的な部分もあるのかもしれないが、当事者の苦しみを知ることができるいい本だった。

  • 強烈な生きるパワーで圧倒されつつも、今だからこそ読めて感じて考えることができた内容だった。
    社会と自分の中の偏見と差別とたたかう、
    特に自分の中にもある優生思想も見つめてとたたかい、それでも生きるというメッセージ、
    私も負けてはいられない。

  • 先日の相模原市における事件を受け、Twitter上で必読とお勧めされたので拝読しました。

    結論から言えば、まさに今こそ読むべき本の一冊。

    第一章で論じられた、マスコミ報道による追い詰め問題は、30年以上経た今もってなお、マスコミ報道と、それを支持する私たちにつきつけられた問題です。
    というのも、評者は件の事件を
    「社会全般に蔓延する、『労働人口以外の者は抑圧、差別、虐待もやむなし』というヘイトに背中を押された、決して特殊とは言い切れない憎悪犯罪」
    と考えているためです。
    週刊誌『女性自身』は容疑者の母親を、さも残酷性に影響を与えたかのように、彼女の職業から書きたてていますが、これは新たな職業差別ではないでしょうか。
    厚労省は通達をだしましたが、施設職員の給料の元である介護報酬は今後もどんどん減額するようです。いい給料は出さないが、最良の人材たれというのは、労働者に対する抑圧であり、まさに施設内虐待を生む環境を厚労省みずから作っているのではないでしょうか。

    話がそれました。

    Twitterや色々なところで私たちは『容疑者は特異なモンスターである』と論じて、自分たちに潜む差別意識を議論する機会を、みずから奪ってはいないか。
    『このような犯罪は、社会全体の問題ではない』と論じて、障害者を施設に隔離・集中させた構造の問題から目をそらしてはいないか。

    そうした問いを持つには、「まさに殺される側のわたしたち」=当事者による声を受け止めておかねばいけません。
    そうしなければ、私は分離された健者としてついつい、上滑りで理念的な考えを抱きがちだからです。
    NHK Eテレの『バリバラ』等で取り上げられる障害者像に至るまで、30年の道のりを思うためには、この本はよい出発点となるでしょう。

    カナダ訪問記は、現在の就労継続支援B型事業の低工賃にもつながる内容でした。

    「この本だけ読めば足れり」とする危険を避ける意味でも、増補版出版にあたり、巻末に記された資料集もお勧めです。

  • 「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」

     相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」で19人の入所者を殺害した植松聖容疑者は、今年2月、衆議院議長に宛ててこのような手紙を書いている。障害者を「安楽死させる」という勝手極まりない発想だけでも身の毛がよだつが、犯行後の供述では「重複障害者が生きていくのは不幸だ。不幸を減らすためにやった」と自らの「正義」を語っている。冷酷極まりない障害者に対するその発想は、ナチスドイツによる障害者の安楽死政策「T4作戦」にも影響を受けたとみられている。

     そんな植松容疑者の「正義」を、誰もが「あり得ない」と思うだろう。けれども、信じられないことに、少し前の日本では、彼のような正義を語る人は少なくなかった。脳性麻痺者の組織「青い芝の会」会長を努め、自らも脳性マヒの障害を背負いながら社会に対して当事者としての言葉を発信し続けた横田弘による著作『障害者殺しの思想』(79年刊行。15年に現代書館から復刊)から見てみよう。 

     本書は、1978年2月9日に起こった母親による脳性マヒを患った障害児殺しの記述から始まる。自らの子供を殺し、自殺を遂げた母親に対し、「献身の母、看病に疲れ? 身障の息子絞殺」(毎日新聞)、「雨の街 一夜さすらい 母親、後追い自殺 身障の愛児殺し」(読売新聞)などの見出しで事件を報道するマスコミ。その目は、明らかに殺された子供に対してではなく、母親への同情に向けられていた。そんな世間に対して、憤りを隠さない横田。脳性マヒの当事者である彼は、重い筆致で「障害者児は生きてはいけないのである。障害者児は殺されなければならないのである」と綴る。そして、この事件の原因を、母親の介護疲れではなく、障害者やその過程を取り巻く社会の差別に見ている。

    「勤君は、母親によって殺されたのではない。地域の人々によって、養護学校によって、路線バスの労働者によって、あらゆる分野のマスコミによって、権力によって殺されていったのである」

     1948年に施行された「優生保護法」は、「優生学上不良な子孫の出生を防止し、母体の健康を保護する」、つまり、「不良な子孫」である障害児を堕胎することを可能にする法律だった。1996年、「母体保護法」と改名され、優生思想は排除されているが、わずか20年前まで、先天性の障がい者は「不良な子孫」と見なされていたのだから驚くばかり。そんな時代を反映するかのように、社会的な地位のある人間すらも、今では考えられないような差別的発言を行っていた。元衆議院議員、日本安楽死協会初代理事長の太田典礼は、『週刊朝日』72年10月27日号の記事においてこう語っている。

    「植物人間は、人格のある人間だとは思っていません。無用のものは社会から消えるべきなんだ。社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性を持っているのであって、重症障害者やコウコツの老人(注:認知症の老人)から『われわれを大事にしろ』などといわれては、たまったものではない」

     さらに、『飢餓海峡』『金閣炎上』などを執筆した直木賞作家の水上勉も、『婦人公論』1963年2月号の座談会でこんな発言をしている。

    「今の日本では奇形児が生まれた場合、病院は白いシーツに包んでその子をすぐ、きれいな花園に持って行ってくれればいい。その奇形の児を太陽に向ける施設があればいいが、そんなものは日本にない。今の日本では生かしておいたら辛い。親も子も……」

     彼らの知識人の言葉と、19人を殺害した殺人鬼の「正義」は驚くほど似通っている。その背景には「障害を抱えた人間は、社会においても役に立たず、本人も不幸である」といった偏見が横たわっているのだ。

     では、現代において、障害者の扱いは「平等」となっているのだろうか?

     今回の事件を受けて、神奈川県警は被害者の実名を発表していない。その理由は「被害者が障害者であることと、ご遺族の意思」とされている。犯罪被害者に対する実名報道の是非には議論があるものの、少なくとも、今回の事件が「健常者」をターゲットにした事件であれば、実名も、顔写真も、そしてプロフィールも飛び交っているはず。この報道の仕方に、健常者と障害者とをはっきりと区別する思想が見て取れはしないだろうか。なぜ、遺族は匿名を求めるのだろうか? なぜ、障害者であることが警察に匿名発表を選ばせたのだろうか? 報道発表で、被害者たちは女性(19)男性(66)男性(66)などと書かれている。被害者遺族をメディアスクラムの犠牲者にすべきではないが、このような発表では、被害者に想像を働かせることは難しいだろう。

     1979年に執筆された本書には、エレベータがないために車いすでは地下鉄に乗れない、バスに乗車拒否されるといった今では考えられない障害者の置かれた差別的な状況が綴られている。現在では、エレベータやノンステップバスも整備され、状況は改善しつつある。太田や水上のような発言を、愚かであると断罪できるほどには、日本から差別意識は減少しているだろう。しかし、現代でもまだ障害者をめぐる状況は「平等」ではない。今回の事件に対するメディアや世間のリアクションは、未だ残る障害者差別の片鱗をのぞかせている。

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