夢みる名古屋

著者 :
  • 現代書館
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784768458570

作品紹介・あらすじ

名古屋とは何か? 茫漠として捉えようのない工業都市の姿をえぐる都市論。
名古屋の街は、いかにして形成されたのだろうか。尾張藩の城下町から戦前、軍需産業の一大拠点として成長し、戦後には右派労働運動=民社党の拠点となる。管理教育の本場としても名高く、一方で俗に「巨大な田舎」と呼ばれる、といった名古屋の形成史と構造、さらに、名古屋における管理社会の形にも着目。歴史、地理、都市構造を把握することで立体的に名古屋のありようを浮かび上がらせることに成功している。

酒井隆史・栗原康両氏 推薦 !

感想・レビュー・書評

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  • 人が集積する街ではなく、産業拡大とともに権力が作り上げた近代都市計画の賜物。地域固有の文化・装飾をはぎ取って平板にならした白い街、100m道路で分断し、全ての区画に自動車が通れる、非人間的サイズの都市。

    名古屋はひとのためではなく、クルマのための街であることが理解できました。「人間的」都市と比較されていますが、ピカピカの近代都市でありながら「大いなる田舎」と呼ばれるのもその一環なのでしょうか。

  • 都市計画法制定から100年。都市改造の先進モデル地域であった名古屋は、なにを経験してきたのか?近代都市計画、モータリゼイション、ジェントリフィケイション、三つの時代がたどる20世紀名古屋の物語。(e-honより)

  • 東2法経図・6F開架:215.5A/Y12y//K

  • A25

  • 本屋さんで「目があった」ので買ってしまった。(時々ありますよね、そういうこと)
    まえがきでの問題提起がすごくおもしろかった。

    「それでもいい、と編集者が言った。名古屋の街が寒々しいという感覚は、ぜひとも書くべきだ。」(p.8)
    「名古屋の人は名古屋に暮らしていかなきゃいけないわけだよ。(略)毎日毎日ここで生活してんだこっちは。そういう人たちにだな、名古屋の悲しい歴史の話を並べて見せても、ひびかないよ。」(p.8)
    「この街が歴史のどこかの段階で大きな失敗をしたということは、みんなうすうす知ってるんだ。極端な都市改造をやったせいで、なにか人間の生活にとって大事なものが、壊されてしまった。」(p.9)
    「そうであれば、書くしかないね。名古屋の悲惨な歴史。名古屋が荒廃していったプロセスをたどる、名古屋荒廃史だね。よし、やるか。」(p.9)

    この(やや無理のある)流れが妙に面白かった。

    結果として、思想史的、社会史的な切り口からは非常に面白い本でした。物足りなかったのは「じゃあどうすればよいのか」の提案。作者なりの提案はあるものの、それはすごく情緒的で、定量的に都市として成り立たないだろうなというものだった。つまり、魅力ある「街」にはなれるかもしれないけど、中京圏の大都市として魅力ある「都市」にはなれそうもない。

    もっとも、これも著者の分析によれば当然かもしれない。著者は、東京や大阪は商業としての魅力が人をひきつけ膨張して都市になったのに対して、名古屋は工業が拡大拡散して工業圏が広がったために、車優先、効率優先で人(特に歩行者)がないがしろにされているから魅力がないのだ、と言っている。

    その象徴としてやり玉に挙げられているのが100m道路。
    名古屋の100m道路のうち、久屋大通は真ん中に緑地帯(公園)が設けられているものの、もう一本の若宮大通は都市高速の支柱が立っているだけの殺風景な空間。車にとっては都合がいいかもしれないけど、歩行者にとっては走らないかぎり一回の信号で渡り切れずうんざりする存在。さらに、一歩路地に入っても全ての道路に車が入ってこれるように設計してあるから歩行者は気が休まらない、という。
    これは地元民として肌感覚でわかる。私は20代はじめまで「道路はつなぐもの、海は隔てるもの」という認識を持っていた。大学の実習で瀬戸内海の島でフィールドワークして初めて「海はつなぐもの」という認識を持った。(もちろん、事前学習で江戸時代の海洋交通を知ったことも大きい。)そして40代も後半になって「道路は隔てるもの」という認識を持った。自宅を建てるにあたって土地を探し、市の道路計画を調査した時のこと。犬山の城下町で、道路を16mに拡幅する計画が進んでいたのにも関わらず、住民が「道路は生活を分断する」として撤回に動き、「歩いて暮らせる街」に舵を切った、結果として城下町に(観光客中心ですが)賑わいが戻った、という歴史があったのだ。

    本書は3部構成になっている。
    労働組合と企業の関係から名古屋の産業(製造業)の発展をみる第一章「鶴舞公園」(鶴舞公園が労働争議の集会場になっていた)。
    製造業が埋め立て地や道路(国道、高速道路)、空港とともに広がっていく第二章「小牧」。
    名古屋が「美しくない」ことの象徴としてコンセプトが表面的だったことをとりあげる第三章「世界デザイン博」。
    著者は「きれいなもの」「管理されたもの」を憎んでいる。名古屋がつまらないのは、頭でっかちな技術官僚が建てた都市計画通りに都市を作ったからというし、木や石を擬した樹脂の劣化することのないピカピカの表面は愛着がわかないという。それに共感できる人には面白い着眼点の都市論がちりばめられていて楽しいことこの上なし。

  • 面白く読みました。名古屋から東京に出てしまってから、久しぶりに地元を散策して大曽根アーケードがなくなっていた時の驚きを思い出した。街の変貌ぶりがすごい。歩道を歩いていると自転車が猛スピードで行き交うのに、身の危険を感じる。街を散策をしていても結局地下にもぐってしまう。などなど、日ごろから否定的なことを挙げれば数多く出てきます。それでも名古屋は好きです。この本には、そんな名古屋の未来のことが書かれているのかと思ったら、何もなかったのが残念。

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著者プロフィール

1971年生まれ。90年代からさまざまな名義で文章を発表し、社会運動の新たな思潮を形成した一人。高校を退学後、とび職、工員、書店員、バー テンなど職を転々としながら、独自の視点から鋭利な社会批評を展開。人文・社会科学の分野でも異彩を放つ在野の思想家。
著書に『原子力都市』(2010年、以文社)、『愛と暴力の現代思想』(2006年、青土社、山の手緑との共著)、『無産大衆神髄』 (2001年、河出書房新社、山の手緑との共著)

「2012年 『3・12の思想』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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