猥談―近代日本の下半身

  • 現代書館 (1995年5月1日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (404ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784768466629

猥談―近代日本の下半身の感想・レビュー・書評

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  •  上に柳田あれば下に赤松あり。稀代の民俗学者赤松啓介とフェミニズム研究者上野千鶴子の対談である。

     上野千鶴子氏といえば「平等に貧しくなろう」で一躍時の人となってしまったわけだが、そんな2017年からはるか昔、1991年3月8日に行われた対談が本書である。解説というか進行役として大月隆寛氏も参加している。

     性の話は高度成長期頃からタブーの意識が強くなり、今ではなかなか表立って語られることは少ない(深夜番組では性癖の開陳も少なくなく、ゾーニングが進んだとでも言うべきだろうか)。まともな資料も少なく、それだけに誤った認識が巷に流布することもあるが、赤松氏は明治から大正、昭和初期の性風俗についてかなり詳細に研究し記録を残している。自身もまた性風俗の中で育ち、学者となってからも各地の風俗に自ら身を投じていった「語り部」である。
     一方で上野氏といえばウーマンリブを高らかにうたったフェミニストである。「スカートの中の劇場」を著し、高度成長期の性風俗の専門家と言えるかもしれない(上野氏の著作はほとんど読んだことがないので断言は保留する)。
     そんな水と油みたいな二人をぶつけてみようという企画は確かに面白そうであり、実際面白かったのかもしれないが、うーん、本書は果たしてどうだろうか。

    「何か手直しがあれば、と型通りにゲラを手渡したが最後、赤松さんは徹底的に書き込み、書き直し、おそらくはそのために遠い記憶の底を改めて掘り返し、資料にもあたり、これなら初手から書下ろしを二冊ばかりお願いしたほうがよかったかも、とこちらが後悔したくらいの膨大な労力と時間をかけて原稿を整えていったのだ」
    「本書の第一部の赤松さんの「発言」の多くは、そのような経緯で刻み付けられたものだ」

     大月氏のあとがきにあるとおり、第一部の赤松氏の「セリフ」は非常に長い。5ページとか6ページとか延々一人でしゃべり続けているような形になっている。こんな対談見たことない、と思ったらおそらくこの辺はあとから加筆修正されたのだろう。
     二部になると戦後というか高度成長期以降の「現代」の話になって、赤松氏の専門分野、関心から外れるのだろう、どちらかというと上野氏と大月氏で会話が進み、時折赤松氏に意見が求められ、短く答える、みたいな調子になっている。

    「高齢の赤松さんからそれだけの力を引き出し得たのも、上野千鶴子という同時代の知性のプレゼンスだと思う」

     大月氏はそう評価する。また赤松氏の対談後の感想として「あら、おなごとしてはなかなか優秀やな」という言葉を上げている。
     だが果たしてどうだろう。1994年に出版された「夜這いの民俗学」で赤松氏はこう書いている。

    「最近『スカートの下の劇場』を書いた上野千鶴子さんと対談したが、あの人も形式論理的で、右と左、上と下、前と後ろといった具合に、パーッと二つに分けなければ気がすまんような学者である。こっちはこう、あっちはこう、と認識できなければくそおもしろくないといったタイプだった。
      僕の若衆入りの師匠さんは三十三の御寮人さんで、単独指導してくれたが、お乳をうまいことどんなふうに吸えばいいか、どんなふうにすれば女も気持ちがええかとか、腰巻のハズし方とかいろいろ手をとってちゃんと教えてくれた。『スカートの下の劇場』を読んで、日本の腰巻と西洋のパンティ、ズロースとは根本的に違うことはわかったが、そこには、ぬがせる作法がまったく書いていない。物足りず、具体的におもしろくないのである。」

     おそらく赤松氏は上野千鶴子的な解釈というものに賛同していない。もちろん年齢も違うし、生まれ育った環境も違う。考え方が違うのも道理ではあるが、やはり二人の間には越えがたい溝があり、それはこの12時間を越える対談の中でも埋まっていないように思うし、そもそもとして埋めるような類のものでもないのであろう。
     wikipediaの中で[要出典]タグがつけられている記述で恐縮だが、大月氏は赤松氏を再評価した中心人物であり、また赤松氏の伝える「夜這い」を上野氏が理想的な「フリーセックス」と解釈しているなどという指摘があった。前者の真偽はわからないが本当なら深く感謝したいところである。
     さて後者についてだが、本書の内容とも関わるので、自分の理解のためにも少し整理して書評としたい。
     赤松氏の伝える「夜這い」とは明治から昭和前期(戦後しばらく)くらいまでの風習であって(もちろん風習自体はもっと昔からあっただろう)、ムラあるいはムラの若衆という組織によって管理された性風俗であって、女は共同体の持ち物、財産というような意識の中にあった。だからムラの外部の人間が勝手に夜這いをすれば(その掟にもよるが)、制裁の対象になった。女にも断る自由があったとはいうが、純然たる個人の自由意志ではなかった。
     本書には上野氏がフェミニズムについて触れるくだりがある。

    「私たちのっていうか、つまりリブとかフェミニズムとかいい出した連中が今たとえば私の年齢(引用注:対談当時43歳前後)でやってる暮らし方って、赤松さんのおっしゃる理想の暮らし方に限りなく近いんです。いったん結婚はしてガキはつくってみたものの、男はもうあかんと思ってプッツンしちゃって別れて、離婚して母子家庭つくってる。それで男は出入りしてんです。だけどもう今さら同居しようとか結婚しなおそうとか思わない」

     赤松氏の言う理想の暮らし方というのは、「自由で拘束のない男と女という関係」であるのだが、ただやっぱり上野氏の解釈は赤松氏の語る明治~昭和戦後の現状とはかけ離れているように感じる。勝手に親近感を覚えているようにすら見える。

    「そうなると(引用注:シングルマザーが独力で生きていけるようになると)赤松さんのおっしゃった理想の関係に近いっていえば近いですよね」
    「近いのやけど。われわれの場合はやっぱりそこに何とか希望を持ちたいってことですわ。展望をね」

     同意を求めた上野氏に、赤松氏の返答は濁されている。シングルマザーが一人で生きていけるようになって、いつでも好きな人とセックスできるようになったとして、それが赤松氏の言う理想とはどこか違うのではなかろうか。生き方とかなんとかいうような大仰な話ではなくて、性で、下半身で人と人が繋がる、太古から性が担ってきた役割を純粋に考えているのではなかろうか。やりたい盛りの人間が後先なんてろくすっぽ考えるわけがない。難しいこと考えていたら立つものも立たなくなる。
     上野氏の説もその時代を切り取った適格な指摘なのかもしれない。それはそれで結構なことであるが、それなら単著でやればよい。とはいえ、そうした単著は数多くある訳で、水と油を混ぜ合わせる公開実験としてはなかなかに貴重な機会であったといえよう。

  • ○この本を一言で表すと?
     明治から現代にかけての民衆の習慣を、性風俗を基礎として対談した内容の本


    ○面白かったこと・考えたこと
    ・タイトル通りの猥談な内容も多かったですが、各時代における倫理観や習慣などが全くオブラートに包まれずに書かれていて迫力があるなと思いました。真面目に猥談しているという印象で、かなり内容が重たく、濃かったです。

    ・対談をまとめたものに赤松啓介氏がかなり追記して出来上がったという経緯からか、かなり意見がぶつかり合っていたり、詳細な説明があったりで面白かったです。

    ・昔から会った習慣と現代(20世紀後半)での相違点だけでなく、共通点もテーマとして述べられていたのが興味深かったです。

    ・赤松氏の明治末期以降の実体験を元に述べられていた内容がかなりリアルでした。赤松氏の経歴もかなり興味深く、共産主義者になったり拝み屋をやったり、戦前と戦後の立ち位置などもあってそれぞれの時代を教科書や通史ではなかなかでてこない民間側からの視点で知ることができたように思います。

    ・司馬遼太郎氏の小説でも夜這いの習慣についての説明などが出てきますが、その内容を大げさに書かれているかごく一部の地方の習慣について書かれていたものだと割り引いて考えていました。それどころか、かなりオブラートに包んで書かれていたのだなと考え直すほど、かなり「ドギツイ」習慣だったのだなと思いました。

    ・渡辺京二氏の著作「逝きし世の面影」で外国人から見た幕末・明治の日本に対する観察結果や印象が各分野について書かれていましたが、全体的に好印象を持たれていた中で、性風俗の乱れについては外国人から見て忌避感を抱いたと書かれていました。その忌避感を抱いた対象についてはそれほど書かれていませんでしたが、その一端を知ることができたように思います。

    ・人権や倫理など、今の日本である程度コンセンサスが取れている「常識」も近年構築されたもので、時代によってかなりその「常識」が異なるということを、そうであろうという想像ではなく、具体的にその異なり具合を知ることができ、いろいろ考えさせられました。


    ○つっこみどころ
    ・読み終えてからブックカバーを外して、表紙の絵が既に「猥談」にふさわしい内容になっていることに初めて気が付きました。購入したときはしっかり見ていなかったので驚きました。

    ・「第一部 清談」と「第二部 猥談」に分かれている理由がよくわかりませんでした。特に二つに区切るほど内容が分かれているわけでもなく、部として分けるならもっと他に分け方があるだろうと思いました。

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