- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784768467572
作品紹介・あらすじ
性別転換生活を選んだが故におこる数々の驚異体験をユーモラスに綴る。性同一性障害がよく分かる本。
感想・レビュー・書評
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佐倉さんの一連の作品を読んで、ここに来て第1作目を読んだわけだが、この本、「女が少年だったころ」とか「女子高生になれなかった少年」と言った「自伝」とは違い、どちらかというとエッセイに近いものだったので、ちょっと期待はずれだったかな、という感じ。
下世話な話だが、今の奥さんとどういう風に出会ったのかとか、どうして結婚することになったのかとか、そういうことが知りたかったんだよねー。だけどこの本は自伝じゃないからいつの間にか知り合って結婚してたし、カミングアウトのことは書いてあったけど、それはなんか別の本にも書いてあったような気もするし。。
性別の捉え方というのも人によって違うのだろうか。まぁ確かにトランスジェンダー(特にGID)の人は男女について、すごいこだわりがあると思う。Xの人でも「男女どちらでもない」「男女どちらとも」「男女の中間」と結局「男女」に拘っていることには違いないと思うから。
この本の最後の最後に佐倉さんは「女性として扱われて欲しい」人なのと「女らしく扱われるために女らしくしなければならない(けれど行き過ぎた女らしさはおかしい)」と書いている。これって性自認とジェンダーのことだと思うのだが、なんか違うんだよね。前にも書いたけど、わたしが自分が女なのは生物学的に女だからに過ぎないし、それって「記号」みたいなものだと思っている。別に女らしく扱われなくても構わない。こう書くと「身体の性別二元論に囚われてる」と思われるかも知れないけど、なんと言うんだろう、わたし自身自分が女と思えるのは、そこしか根拠がないので、そう思うだけなんだけどね。他のシスジェンダーの人は自分の性別についてはどう考えてるんだろうかとふと思う。けど、シスジェンダーの人が「自分の性別はこう考えてて、自分のジェンダーはこう考えてる」という本は未だに見たことがないので、自分についてしか分かんないんだよねー。これって「多数派」だから、そういう視点では取りあげられないんだろうけど、わたしからすると「多数派」の人はどう考えてるんだろうって思うよ。「多数」なのは当たり前ゆえに聞かれないんだと思うが、実はその「多数」でも様々な意見があると思うのだけれど。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
性同一性障害に関する書籍です。
ライトタッチで書かれているので、とても読みやすいと思いました。
男性として女性を恋し、男性として教師をしていた著者が自身が性同一性障害だと知り、女性としての新たな人生を歩み出すという自伝です。 -
2005/07/23