いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論

著者 :
  • パンドラ
3.78
  • (3)
  • (1)
  • (5)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 21
レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (391ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784768478233

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • いまごろ読んでる。まあとにかくすごい迫力というか筆力というか扇情力というか。ある種の天才だよな。とても一気には読めない。なんかルソーとか読んでいる感覚に近い。

    有名な「永山則夫はあたしだ」なんだが、これってやっぱり実感なんだろうと思う。女としてではなくて、そういう人なのだ。こういう方には整合性とか道徳とかあんまり重荷ではないだろう。


    http://amzn.to/gwuO76 も参照。

  • いつも立ち返るべき一冊。一番好きな箇所を引いておきます。

    「あたしたちの〈取り乱し〉に対し、ことばを要求してくる人に、所詮何を話したところで通じる訳もないことだ。コミュニケートとはことばではなく、存在と存在が、その生きざまを出会わせる中で、魂を触れ合わしていくことなのだから! … 自分をよそにおいて、つまりあくまで奴隷頭としての己れを維持したまま、『リブって何ですか』と聞いてくる男に、わかってもらおうと思うは乞食の心、とつぶやいて、己れの闇は己れの闇、その中をひた走る中で、姉妹たちよ、あたしたちはまず己れ自身と出会っていかねばならない。女から逃げ続けてきた〈ここにいる女〉と出会っていかねばならない。」(89頁)

  • 言葉はコミュニケーションの道具でもあり、同時に言霊という言葉があるくらい、力のあるものだと思う。だから言葉に気をつけてきた。たまに無口になりながら。でもコミュニケーションの場で交わされる言葉には中身のすっからかんのものもいっぱいある。世の中に溢れる、友達が口にする、言葉の、一体どれほどが「ほんとう」を含んだ言葉足りえるのだろうか。
    誰かの台詞を100%受け入れてしまう人を見ると、言外のシグナルはなんの意味を持たないのかと、それは言葉への信頼ではなく、想像力の欠如ではないのかと思ってしまう。

    誰しもが、何時でも、100%の本音を、言語化する/できるわけじゃない(意識的であれ、無意識的であれ)、たぶん。

    この本の中で著者はこういっている。

    「本音、本音、とよくあたしも使うことばだけれど、時々人間己自身の本音をどれほど意識できるものなのだろうかと、ふと考えることがある。...とり乱すとは、存在そのものが語る本音であって、それがその時々の最も確かな本音なのだ。...<とり乱し>に対し、ことばを要求してくる人に、所詮何を話したところで通じる訳もないことだ。コミュニケートとはことばではなく、存在と存在が、その生きざまを出会わせる中で、魂を触れ合わしていくことなのだから!」

    まったく言いたいことを的確に表してくれる。

    「わかってもらおうと思うは乞食の心」と言うほど割り切ることもできないので、ことばを要求してくる人に、さてどうやって話していこうかな。

  • 以下のページで感想書いてます。
    http://blog.livedoor.jp/subekaraku/archives/50212650.html

  • こちらこそイノチの一冊。
    最近発売された「かけがえのない、大したことのない私」をここに掲載するにあたって、再読。
    云いたくても(声を大にして)云えない(コトバがなくて)ことを書いてくれている。
    フェミ界(とカテゴライズしていいのかどうかは疑問だが)で、数少ない頷ける人物。
    こーゆー人に、私はなりたい。

全5件中 1 - 5件を表示

著者プロフィール

1943年生まれ。原因不明の仮死状態で生まれ、いわば生来虚弱。それでもなんとか鍼灸師になる。以来34年間、治療院「れらはるせ」にて一心に治療に励む。「冷え」と「自分を大事に思えない気持ち」こそ、人が病に陥る2大原因と知ってからは治療の傍ら、新宿・朝日カルチャー等でイメージトレーニングを教える。弱いからだを抱え、でも自分の可能性を信じて生きようとしている人たちを、少しでも支えられたら……という思いで、この本を書いた。主な著書 「ぼーっとしようよ養生法」「いのちのイメージトレーニング」「かけがえのない、大したことのない私」「いのちの女たちへ一一とり乱しウーマンリブ論」など。

「2017年 『自分で治す冷え症』 で使われていた紹介文から引用しています。」

いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論のその他の作品

田中美津の作品

ツイートする