勝利なき戦い朝鮮戦争 下: 1950-1953

  • 潮書房光人新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (387ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784769808114

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  • 長津湖脱出からリッジウェイの登場、マッカーサーの解任、
    そして長い和平交渉を経て休戦、捕虜の送還に至るまでを描く。

    非常に多面的な視点から事柄を紹介しており面白い。
    ウォーカー中将の事故死や
    リッジウェイの回想とマッカーサーとのやりとり、
    トルーマンの苛立ちは言うに及ばず、和平交渉の仔細や、
    李承晩の半島統一に対する激烈な熱意から来た
    捕虜解放という造反、国連軍捕虜の人間個人としての戦い、
    休戦のその時間を第一線で迎えた兵のやるせない思いなど、
    極めて興味深かった。

    中でも彭徳懐の回想からは共産中国が北朝鮮に対して今も見せる
    「血の友愛関係」が明示されており、
    現代への連続性を否が応でも感じさせる。

    強いてあげるのであれば、和平交渉がスターリンの死によって
    大きく転換したことはよく言われることであるが、
    逆に存命中に交渉に対して挟まれたソ連側の意向、
    果たした役割をもう少し詳しく知れるとよかった。

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著者プロフィール

(John Toland)
1670-1722年。アイルランド生まれの思想家。名誉革命の動乱期にスコットランドのグラスゴー・カレッジで学んだ。ロンドンにやってくると、非国教徒内の同盟を推進する長老派ダニエル・ウィリアムズを支援して、その著作をジャン・ル・クレールの雑誌に紹介した。これによってオランダでの勉学の機会を与えられ、ベンジャミン・ファーリ、ル・クレール、フィリップ・ファン・リンボルクなど大陸の自由主義的プロテスタントとの交際を得た。帰国後、反三位一体論争のさなか『秘義なきキリスト教』(1696年)を匿名出版した。多数の反駁が書かれ、イングランドではミドルセックス大陪審の告発、アイルランドでは大陪審の告発と議会下院による焚書と逮捕・起訴が決議された。逮捕を逃れてロンドンにもどると、時事的な政治的著作・パンフレットの出版や、ジョン・ミルトンやジェイムズ・ハリントンなどピューリタン革命時の共和主義者たちの諸著作を編集出版し、「コモンウェルスマン」として活動した。後に『セリーナへの手紙』(1704年)、『パンテイスティコン』(1720年)などで唯物論的自然哲学を展開した。

「2016年 『セリーナへの手紙 スピノザ駁論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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