脳の中の身体地図: ボディ・マップのおかげで、たいていのことがうまくいくわけ
- インターシフト (2009年4月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (349ページ)
- / ISBN・EAN: 9784772695152
感想・レビュー・書評
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とってもおもしろかった。特に「ペリパーソナルスペース」について。
<脳の中の身体地図>
P10
脳は特殊なマッピング手法によって、この空間や四肢を胴体に追加する。おぼろげながらに感じられるもう一枚の皮膚のように、空間をすっぽりと身にまとうのである。物理的な身体をコードするボディ・マップ(身体地図)は、この空間内のあらゆるポイントのマップと直接、即座に、自ら結びつくばかりでなく、この空間内での行為遂行能力も緻密に計画する。自己は肉体の境界で完結するのではなく、他の生物をも含めた周囲の世界へとあふれ出し、融合する。
P11
道具を使うときに生み出されるペリパーソナルスペースでも、脳はこの肉体の枠を越えた空間を忠実にマッピングする。(略)しかも、この追加されたペリパーソナルスペースはオーラのようで、ちっとも制止していない。伸縮自在だ。
<第1章>
P16
マップは二つの異なるものの一対一の対応を明確にするあらゆるスキーム(図式)と定義できる。
(略)外界と身体の解剖学的構造のイメージが脳組織に体系的にマッピングされている。つまり、身体のトポロジー、言い換えれば空間的関係が、細かい点まで触覚マップに保存されているわけだ。(略)このマップは周囲の世界を知るための初源的な身体の窓であり、一瞬、一瞬と流れ込んでくるあらゆる生の触覚情報の入り口なのだ。
P17
脳の他の場所には(略)、すべての内蔵のボディマップがある。これが一時内臓マップだ。(略)ありとあらゆる臓器を表す小さな神経の見本を寄せ集めたパッチワークのようなものである。人類において独自のめざましい発達を遂げたマップで、動物界に例をみない内部感覚の浮き沈みをある程度認識するのに役立つ。(略)(感情を感じるのは)このボディ・マップの所産だ。心に入力されるこれらの内部感覚が、他の生き物にはまず手の届かない、豊かで鮮明な情動認識の源となる。
知能は身体を必要とする
脳のマップは身体のみならず、身体周囲の空間をも図示する。拡大、収縮して日常生活の中に存在する事物を取り込む。(略)いまでは、研究により、脳がボディ・マップだらけであることがわかっている。体表のマップ、筋系のマップ、意図のマップ、行動する能力のマップ、周りの人々の行動と意図を自動的に追跡して列挙するマップさえある。
これらの身体中心のマップは実に可塑性に富んでいて、損傷や経験、訓練に応じて大幅な再編成を見せる。
(略)意識の舞台裏で続けられている膨大な量の作業を、あなたはまるで理解していないだろう。だからこそ、身体化が実に自然に感じられるのだ。ボディ・マップの持続的な活動は、余りに継ぎ目なく自動的で、流れるようにしっくりなじんでいるので、それが起きているとは気づかない。
身体は脳を入れて動き回るためのたんなる運搬具ではない。両者の関係は完璧なまでに互恵的だ。
P19
景色や音を伝えるべき身体のない視覚と聴覚は、物理的に空っぽな情報パターン以外なにものでもない。意味は動作主性(行動し選択する能力)に根ざし、動作主性は身体化によって左右される。(略)真に知的なものは、身体のないメインフレームでは発達しようとしない。現実の世界には、肉体を持たない意識など存在しないのだ。
柔軟に形を変える無数のボディマップが全部合わさって、”私らしさ”という立体感のある主観的感覚と、周囲の世界を把握してうまく渡っていく能力を生み出す。ボディ・マップは、全体の模様が感情のある身体かされた自己を創出する曼荼羅だと思えばよい。身体化された自己の創出には不要なその他の心的能力、つまり視力、聴力、言語、記憶はどれも、ちょうど骨格にぶら下がっているさまざまな器官のように、この身体の曼荼羅マトリックスに支えられている。発達という観点からいえば、これのボディマップなしには、自己認識を持った思考する人になることはできないのである。
P22
視覚情報にまんべんなくふれていれば、自己の可動性の欠如を補えるだろうに?以外だが、答えはノーだ。別の要素がいる。世界の隅々まで探索するための自分の身体を自由に駆使する能力である。
(略)視覚が実は身体の曼荼羅の居候で、腰の低い共生者だとうすうすわかってきたはずだ。すべての”特殊”感覚に同じことがいえる。身体の曼荼羅はそうした感覚の中心にある統合者であり、心の究極の基準系であり、知覚の基礎をなす単位系である。感覚は身体化された自己に照らし合わせなければ意味をなさないのだ。
<第2章 脳の中のこびと>
(生殖器の快感は、)鋭敏さではなく、生殖器が脳の快感・報酬回路に配線接続されている独特な方法と相関関係があるのだ。
彼女の肉体改造はボディ・マップの決闘の物語だったともいえる。ひとつのボディ・マップによって別のボディ・マップを再構築した物語である。
ボディ・スキーマには(ペンフィールド式ボディ・マップ以外に)さらにふたつ、ほぼ完全に意識外で機能する構成要素がある。(略)ひとつは身体の内部から信号を読みとる領域、もうひとつは内耳からの信号を読みとって平衡を生む領域である。
(略)(受容器)こうしたセンサは変化を関知する度に脳に情報を送り、あなたの空間内の位置や体位に関する感覚を更新する。この情報を伝える信号は、まず一次触覚マップにマッピングされた後、分岐してフィルタにかけられ、身体の曼荼羅にある他の高次マップへ上っていく。その高次マップが身体の運動とその運動に関する予測を誘導するわけだ。
P48
身体の曼荼羅が絶えず計算し、それに基づいてボディ・スキーマを最新の状態に保っているからである(区別を明確にしておくと、身体の曼荼羅は脳にあるボディ・マップの物理的ネットワークで、ボディ・スキーマはそれらのマップによって構成された、身体が感じ取った経験である)。
P49
ボディ・スキーマは生理的構成概念である。脳は触覚、視覚、固有感覚、平衡覚および聴覚の相互作用からそれを作り上げる。それどころか、身体の周囲の空間にまで拡大する。この拡大されたボディ・スキーマをあなたは空間や身体の上にある物体の位置の認識に役立てている。
(やせたとしても)肥満者のボディ・ランゲージをひきずっているのがみてとれるそうだ。
実は、フィードバックされた予測や思いこみがつじつま合わせのために低次から高次へ上る情報を変化させることがある。高次の知的に高度な領域から下位レベルの基本的な感覚情報処理に向けて、情報が皮質の階層を”逆行”して伝達されるという事実は予測と思いこみがあなたにマイナスに作用しうることを意味する。
減量に成功しても太っている気がするのは、ボディ・イメージと身体を適切に反映しているボディ・スキーマがおおきく食い違っているからかもしれない。
戦いを征するのは、スリムになった身体の中で行き場をなくしている太った身体のイメージなのである。
この 悪循環を断ち切る方法がある(略)。叫びに耳を傾ける方法を見つければよいのである。
固有感覚と平衡感覚のエクササイズ。ごく軽いウェイトをゆっくりゆっくりと、何度も繰り返し持ち上げさせる。
平衡覚を注意の中心に据えればボディ・スキーマを無視しようにも無視できないからである。
P69
(身体心理学ソマティック・サイコロジー)自分の体内に閉じこめられているエネルギーの存在を知り、身体のフェルトセンスをたどりながら、徐々に漸増的にそのエネルギーを解放する方向へ導こうとする方法である。
P73
(拒食症患者の)とんでもない誤知覚は、どうもボディ・マップ間のミスマッチであるらしい。(略)ライプツィヒ大学のグルンヴァルトは(略)触覚は頭頂葉で視覚やその他の感覚と統合されるため、拒食症患者はこの脳領域に以上があるのではないかと考えた(略)。
そこで彼女たちの脳の活動電位を詳しく調べたところ、どの患者の右の頭頂葉もしっかり働いてているのに成果が出ないのだとわかった。感覚情報が統合されていないのだ。
右頭頂葉が男性ほどには空間認識を得意としていないのだ。拒食症患者の場合、この特性が一段と強いらしい。
この感覚不全のせいで、成長するにつれて、ボディ・スキーマに信頼が置けなくなる一方で、ボディ・イメージは社会の影響によりどんどん歪められていくのである。
<4章 脳も運動中>
1週間の運動イメージ練習で、身体的練習とほぼ同じレベルのボディマップ再編成に至ったからである。(略)
この”ほとんど”というところがミソだ。運動のメンタルリハーサルを行うと、実際には運動していないのに、運動を制御する脳領域が、ひとつをのぞいてすべて活性化される。
(運動をイメージしているとき、一次運動野は動かないが、高次運動野は全力で動いている)
こうした高次のボディマップのもうひとつおもしろいところは、あなたが動作をする前に、それをすべて表彰することだ。あなたの動作とそれをイメージする能力は、身体の外で起きていることによって直接作動させられるのではなく、身体の曼荼羅の中間レベルとこうレベルのエシュロンにあるモデルが作動させる。
脳は賢い解決策を用意している。必要以上にリーチをのばすのだ。走っているレシーバーの前方にボールを投げるアメフトのクォーターバックのように、視覚運動マップは、目が直にとらえていることでなく、予測に基づいて行動することにより、インパルス到達の遅延を埋め合わせている。知覚と動作は本質的に予測と結びついている。脳は身体と外界の心的モデルを形成し、それらのモデルを絶えず、感覚からの新着情報で更新し、そこから予測を導き出し続けている。
多くの運動の天才たちは生まれながらにして、前頭葉と頭頂葉間、前頭葉と頭頂葉内の感覚運動統合が優れている。
いままで150人に行ったこの研究で確認されたのは、赤ん坊を自由に動き回らせないでおくと、平衡覚、身体感覚および運動のボディマップが正常に発達しないおそれがあるということだ。あなたが人手の足りないルーマニアの児童養護施設育ちなら、ボディマップは発達不良だろう。
つまり、トレーニングするなら、運動イメージ法が明らかに有利ということ。なにしろ、身体的練習を増やすどころか減らして、上達できるのである。おまけに、膝にも優しい。
<5章 狂った可塑性>
名演奏に必要とされるものが、感覚運動統合の限界を超えたのだ。こうした状況下では神経の可塑性が手の表象を研ぎ澄ますどころか、台無しにしてしまう。皮膚が脳の特定部位に整然とマッピングされていることを体部位局在(ソマトビー)というが、これが崩壊して、脳が手全体をひとつの大きなシミとして表象するようになるのだ。(略)
動的安定性を備えたボディ・マップである。神経の可塑性は経験に応じて脳をTukurikaeteiru。これが静的であるように見えるのは、大人になってからの人生ではだいたい同じパターンの経験を繰り返すようになるからにほかならない。
(エーヴァという女性の過剰肢 手が三本、足が三本 自分の手足を直接視認するとそのときは消えるが、やがてまた出現する。前頭の運動野のそんしょうから、ボディ・スキーマがふたつあらわれ、そのスキーマが同時に情報更新できないことらしい。)
(アフォーダンス)
(ジェームズ・ギブソンは)動物や人間は、環境を客観的に定義された形状と量ではなく、行動の可能性という観点からみていると主張した。(略)アフォーダンスは特定の動作を可能にして促す。つまり、ハンドルは握ることをアフォードする(略)。
<7章 体を包むシャボン玉>
アフリカのナミビアには、人は皆、身体の周りに一種の自己空間を持って生まれてくると考えている部族がいる。この自己空間は身体の外側に広がっているシャボン玉のようなもので、身体に張り付いていて、人の動きにつれて移動する。しかも、この自己空間の膜はたえず他人の自己空間と混じり合っているので、部族のものたちはけっしてひとりぼっちになることがない。
いま、腕が通過した全空間をイメージしていただきたい。これがあなたの身体を取り巻くパーソナルスペースだ。神経学者はこれをペリパーソナルスペースと呼んでいる。この空間が隅から隅まで、脳内にマッピングされている。言い換えれば、脳には、身体の周りの腕を伸ばした距離にある空間内で起こることをなにからなにまで把握している神経細胞があるのだ。
(一流のアスリートは)コートやフィールドに立つと、自分の周囲の空間とその空間内にいる人々を常人にはまねできないやり方でマッピングする。(略)彼等のペリパーソナルスペースとボディマップは極端なまでに発達しているのだ。
科学者たちは頭頂領域、つまり、第3章で紹介した身体と身体の周辺空間のマップがきっしり詰まっている脳の領域を、純粋な多覚情報の集積拠点と考えていた。古い考え方では、触覚情報、視覚情報、聴覚情報はそれぞれ、一次触覚野、一次視覚野、一次聴覚野を介して流入することになっていた。そこでクロストークの大盤振る舞いが起こり、その結果統合された情報が運動ネットワークに送られて、運動の計画・実行の基盤になるとされていた。
しかし、これではあまりに単純化しすぎだ。今では、頭頂葉の感覚マップもまた、実は運動中枢であり、前頭葉の運動系との間に直接的で大規模な相互ループを有している音がわかっている。
最近の神経科学での分野では、多感覚ニューロンと多感覚系が一大ブームを巻き起こしている。
あなたがソロダンサーなら、あなたのペリパーソナルスペースは、表現体だ。身体のラインを空間にまで延長し、空間で弧を描き、空間で曲げることによって、空間に動きを持たせ、他人の心に訴える空間を形作る。実際、あなたの運動の質により、小さなスペースを限りなく拡大することができるのだ。(略)プロのダンサーは身体を空間に延長して、他人の身体に働きかけ、ふれあうのが舞踏だという。”空間に漏れ出し”目に見えない空間を感じ取らせるのが舞踏なのである。
馬と騎手はペリパーソナルスペースを融合させる。優れた騎手は自分の身体の中心をキャンターする馬にあわせるすべを心得ているし、馬は自分の身体の中心を騎手にあわせようとする。一歩づつ、馬と騎手が融合したペリパーソナルスペースの相互ウフィードバックに反応する。馬がキューを出し、騎手もキューを出す。乗馬の初心者が緊張してしまうのは、動いている馬のパリパーソナルスペースとボディマップにどう反応すればよいかわからないからだ。
(心霊治療の施術者は)視覚イメージ、運動イメージ、身振りの組み合わせを使って、自分自身のペリパーソナルスペース感覚を患者のそれと融合させる。(略)
ペリパーソナルスペースは文字通り物理的に、脳の頭頂葉と前頭葉にマッピングされる。その空間内での運動意図も同じくマッピングされる。このような空間を所有しているという感覚は実にリアルで包括的であるため、この空間は実体のものなのか、内在するエネルギーであるかのように方向付けたり、操作したりできると思いたくなるのかもしれない。(略)
このように主観と客観は融合しているので、主観の構成要素を客観的な実体があるものと思いこみがちだ。
ミュージシャンが賢明に目指す先には個人を超越した共同行動がある。(略)観客が総立ちになると、目と耳だけでなく、拡大したボディマップでも一体感を感じることができる。
<8章 サルからサイボーグへ>
(入来博士がサルを訓練した理由は)道具の使用はボディ・スキーマを拡大するという直感だった。
これらの視覚・触覚ニューロンの視覚受容野がサルの指先までにとどまらず、熊手の先端まで拡大していたのだ!
ボディスキーマのこの素晴らしい柔軟性は、頭頂葉のボディマップに依存するところが大きい。
最高の天才ザルさえ10日間の壁を越えられなかった。
類人猿の身体の曼荼羅にあるマップは生まれたときからサルより密に相互接続しているからだ。
この観点から考えると、人間の進化の物語のバックボーンは、次第に高度化していくさまざまな物理的道具を、柔軟性を増し続けるボディスキーマを組み込むためのコツを完成させていく経緯であったといえる。私たちは深く根ざしたサイバネティックな特性を発達させることによって類人猿である状態から人間である状態へ進化した。道具の使用は、生き残るための補足的なスキルから、生得の意欲-サイバネティックな本能と呼べるものへと移行した。私たちは今では、ボディスキーマを易々と流動的にかつ創造的に再構築できる。
アバターに左右される人格
ホムンクルスの柔軟性にちょっかいを出し始めてからずっと、脳が人工的な感覚の入力によっていともたやすく身体化の感覚を歪めてしまうという印象を強く抱いていたとラニアーはいう。
あなたのボディスキーマはもちろん、規模や大きさの変化をあっさり受け入れる。(略)
「子供たちも(年齢を問わず)、自分のボディスキーマがどこまでお気に入りのゲームキャラクターにのめり込んでいるが、気づかない。その理由を説明してくれるのがホムンクルスの柔軟性だ。子供たちがゲームにはまるのは(略)ボディマップがサイバネティックの本能と融合するからである。
アバターを教育に活用する可能性について熱弁を振るう。「三角法を勉強するときは自分が三角形になればいい」のだそうだ。
「(マルチリンガルと)おなじように、マルチ・ホムンクルスになるのも、生涯の強みになる」とラニアーは含み笑いを漏らした。
<9章 鏡よ、鏡>
運動皮質のミラーニューロンが活動するのは、サルがある動作を行っているときか、知覚しているときに限られる。
ミラーニューロンは、ほかの人々のボディマップがしようとしていることをシュミレートするボディ・マップだと考えればよい。こうすることで、本来は人それぞれの主観的世界を隔てている深淵な淵を超えて、他人同士のボディ・スキーマをつなぎ合わせるのだ。
「私が何かしているのを見て、何をしているのかがわかるのは、あなたの脳にその行為のコピーがあるからなのですよ」
ミラーニューロン系は、あなたが目にしたスキルに上達するほどに活発になる。
ミラーニューロンは、思考と言語を抽象化するための重要な前駆細胞である可能性が高い。
おもしろいことにサルもミラーニューロンがあるのに、実は仲間同士で模倣しあうことはないと入来博士は言う。
類人猿と人間の倍委は、これら(つつく、つまむなど)の基本動作を、長く複雑な自由裁量による動作シーケンスの構成要素として役立てることができるのである。
ミラーニューロンは先にお話しした、ぺりパーソナルスペースの融合に似た空間多様他の共有とよばれる状態をも生み出す。(略)ミラーニューロンは共同行為を素早く正確に協調させる一助となって、力を合わせて何かをするための、一種の”私たち中心”の空間を提供してくれる。
いかなるものであれ、共同作業を行うときは、ボディマップとミラーニューロンを駆使して相手の行為を予測する。
ミラーニューロンは転移と逆転移の神経生物学的基盤ともなる。
(男性より女性のほうがミラーニューロンが活発である、理由は不明)
(自閉症 ミラーニューロンのはたらきの欠如?)
<10章 こころとからだが交わる場所>
島皮質の右前頭皮質の部分が充実しているほど、自分と他人の感情を察知するのに長けているということである。情動的にずば抜けてきめ細やかな人がいることには、神経的、身体的な根拠があるのだ。
内受容は身体の内部にアンテナを向けた、体性感覚の別個の領域である。(略)頭頂葉と前頭葉に感覚運動ホムンクルスのパッチワークが飾られているように、島皮質には内臓ホムンクルスのキルトが敷き詰められているのである。
ミラーニューロン系同様、内受容のマップは霊長類の進化系統においてすでにかなり発達していた神経回路のパワーアップ・バージョンである。
右前頭皮質は、意識的な身体感覚と意識的な情動認識がともに発生する場所である。(略)文字通りの肉体的苦痛を感じているときも、拒絶される精神的”苦痛”や仲間外れにされているという社会的疎外を感じているときも、右前頭皮質が活動している。
他人の情動状態のよって、ミラーニューロンが活性化すると右前頭皮質が発火する。
右前頭皮質は脳の別の3領域との強い接続によって心と身体を統合している。ひとつは扁桃体、もうひとつは眼窩前皮質でこれは自制と報酬と罰の関連で行う計画と優先順位で受けに関与している。最後は、前帯状回皮質。自分の行動に誤りがないかを監視し、誤りを修正・回避し、状況を評価し、情動と動機づけの観点から重要な行為を計画実施できるのは、この領域があるからである。
実は、人間が常道を身体から感じ取っているという考え方は1世紀以上前から存在する。
全身まひ患者が情熱と感情が鈍ってしまったと訴えることは、この説で納得がいく。自分の身体からの感覚をうまく感じ取れないことが多いサイコパス(反社会的人格者)が、自分の行為に関して罪悪感や自責の念、不安を全く感じない理由もしかりだ。
(略 βーブロッカーの使用で不安が和らぐ)いいかえれば恐怖は心の中よりもむしろ身体の中にある。内受容信号を弱めることができれば恐怖は和らぐのだ。
つまり内受容は複雑な情動性の泉である。
痛みは(略)情動に分類される。
つまり、痛みは霊長類の頭皮質が高解像度で鮮明に表象する飢えや乾きなどの生物学的な衝動同様、恒常性維持のための情動なのである。
(自傷行為の習慣化 耐え難い精神的・社会的苦痛の重みに比べれば、肉体的苦痛は救いのように感じられる、という説がある)
クレイグによれば情動に動機が加わったものが痛みである。
(痛みは外受容の体験ではなく)本来不快で、身体が危険にさらされていることを警告するものだ。体内の恒常性のメカニズムはバランスを取り戻すことができない。そこで、身体の曼荼羅の残りが動員される。救済や援助を得ることに注意が向けられるである。
不安症患者は自分の内臓感覚に事のほあk敏感だ。なんでもない人や場所に対する自律神経系の意識が増幅されているために、生命の危機と誤解してしまうのかもしれない。
もっともしんしゅう性の少ない右前頭皮質鎮静手段としてはニューロ(神経)フィードバックと瞑想である。
脳由来のバイオフィードバックも右前頭皮質の情動・共感機能を高めるための有望な方法だ。
社会的情動と善悪の判断に関する道徳的直観は、すべてこの(前頭皮質と前帯状回皮質)回路で処理されるとオールマンはいう。奇妙なことに、そうした情動や直観は皆食物と関係している。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
脳をおおまかに知るには理解しやすい!!
これを読んでから難しい異本に挑戦するべき。 -
なかなか情報量の多い意、学術的な本だった。脳みそが自分のエリヤマップを常に作っているというお話。
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脳科学の時事本。今読んでおいたほうがいいです。
10年経つと内容がもう古びてしまうのじゃないかと。
グリッド細胞やEBAなど、まあたぶん正しいだろうけれど追認待ちの記事もバンバンと紹介。
脳学会系雑誌を通読している人には今更感ある内容ながら、一般向けに脳研究最前線のホカホカのホットな部分をまとめて解題するには好書です。
超常現象もこれで説明がつく!ってあたりが、臨床家や研究者ではなくサイエンスライターならではの勇み足っぽくて微笑ましいです。
こういう科学読み物本、もっとたくさん翻訳され売れるといいなあ。 -
こころと身体がどのように絡み合って、感情のある身体化された自己を創出するのか、という問題についての、現在の科学的解答を示す本。
体性感覚と脳の働きの相互的な関係はさまざまな障害の治療にこれからも応用されて行くだろうし、より社会的な不適応と思われている状態も、脳の機能障害の部分ご認知されてくれば不必要なスティグマから逃れられるのではないか。もちろん、『病気』というレッテル貼りは避ける必要があるけれど。 -
脳の中の身体地図―ボディ・マップのおかげで、たいていのことがうまくいくわけ
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【由来】
・amazonで「自治体のエネルギー戦略」の評を知りたくて見てみたらオススメ本で出てきた。一体、何でつながったのか分からんが。
【期待したもの】
・「内田樹絶賛」に釣られた。しかも、怪しげな題名の割に、なかなかしっかりとしたサイエンス本らしいので。
【要約】
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【ノート】
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最近レーベル買いしているインターシフトの本。
脳が認識している身体と、実際の身体が一致しない場合、という不思議な現象を中心にして「ボディマップ」について書かれている。
このボディマップの不一致や拡張について、拒食症からWiiまで様々な例を挙げてわかりやすく説明してあるので、全くボディマップについての知識がなかったが、心と身体がうまく一致していないという状態についてよく理解できた。
道具を手に持っていると、その道具の先までボディマップが拡張されるというのはおもしろい。オランウータンが木の枝を杖のようにしてあちこちつついている映像を思い出した。
同じ著者の『脳の中の幽霊』は読んでいないので、機会があったらこちらも読んでみたい。 -
「プルーストとイカ」につづいて、「脳科学のフロンティアシリーズ」の2冊目の本書を読む。
研究者ではなく、サイエンスライターが書いたせいか、とても、分かりやすいし、この分野のいろいろな話題が相互の関連性をもって、理解できる。
うーん、脳科学もほんとうにものすごく進んで、いろいろな事が本当に分かってきているんだね。
最近、脳科学関係の本が結構売れているみたいだけど、かなり旬なんだね。
科学がどんどん進歩することで、いろいろなことが分かって行く。と、人間とか、生命の不思議というのは、ある意味どんどん増して行く感じだ。
なんて、よくできているんだ。
といっても、神が創造したものとはとても思えないご都合主義のありあわせのモノを利用しながら、さまざまな高度な機能が実現しているわけなので、やっぱり進化のたまものなんだろうね。
私とか、自我は幻想でしかない。
でも、そうした幻想を感じる事ができる高度に発達した存在として、存在している。それこそがまさに奇跡なのだ。