アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ
- 現代企画室 (2001年11月1日発売)


- Amazon.co.jp ・本 (191ページ)
- / ISBN・EAN: 9784773801125
作品紹介・あらすじ
映画『カンダハール』で世界的な注目を集めるイラン映画の巨匠が、苦しみにある隣人のために綴り、アフガニスタンへの世界の無知に差し出したメッセージ。
感想・レビュー・書評
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アフガニスタンの仏像破壊についてニュースで聞いたとき、貴重な文化を易々と破壊するタリバンへの怒りが湧いた。
しかし、その怒りをなぜアフガニスタンの土地は干魃にさらされ、人々が飢餓に苦しみなくなっている事実に向けないのか。
世界の薄情さ、無関心さを糾弾したタイトルに衝撃を受けた。
「ついに私は仏像は誰かに破壊されたのでもないという結論に達した。仏像は、恥辱のために崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人びとに対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ。」
本書はアフガニスタンのレポ的な内容である。
映画監督であるからか、文章が非常に感情に訴えてくる。
読みながら、自分自身の無知と無関心に気づかされ、あの非道なタリバンも、貧困と飢えから逃れるためにテロ行為を行っていたのだということに気づく。
そのタリバンに武力で持って報復をした世界。
そこでは飢え苦しむ人びとが何人亡くなったのだろう。
世界に声すらあげられない人々の現状を、
映画監督の感性と、詩的表現で読ませる。
すぐに読めるが、内容はかなり濃い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タリバンが政権復帰したのをきっかけに読んだ。
書かれてから20年近くたっているけど、アメリカのアフガン戦争はなんだったのだろうかと思う。
"このレポートを最後まで読むには1時間ほどかかるだろう。その1時間の間にアフガニスタンでは少なくとも12人の人々が戦争や餓死で死に、さらに60人がアフガニスタンから他の国へ難民となって出ていく。このレポートはその死と難民の原因について述べようとするものである。この苦い題材があなたの心地よい生活に無関係だと思うならどうか読まずにいて下さい。"(まえがきより) -
私は、アフガニスタンの石像が破壊されたとき、ああ、こんな貴重な文化遺産までも破壊されてしまうんだと悲観したことを覚えている。そのとき、その下で飢餓に苦しむ多くのアフガニスタンの人々がいたことに対しては想像すらしなかった。
この本はアフガンへの「報復」が始まる直前に発行されたもの。それまででさえ、内戦や飢餓に苦しんできたアフガニスタンの人々は、いまどんな状況にあるんだろう。
ただ、中村哲さん著「ほんとうのアフガニスタン」の中にあった、本当に何か助けるのだとすれば、そこでの「普通の生活」が明日もあさっても続いていくように手伝いをするということなんだ、現地の人々の生活の中に入って、そこでの文化、習慣を十分に理解し尊重し必要なことを淡々と行うという思想とは違い、現代の発達した文化とアフガニスタンを統一できる政府が必要という角度には腑に落ちないものがあった。
でもどっちが本当に正しいかは私にはわからない。だからこそ、もっとこの国のことを知りたいと思った。
知らないことばっかりだけど、この世界で起きてること、少しずつ知っていきたい。 -
2023/1/24購入
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2012.2記。
村上龍の短編「空港にて」の主人公は、風俗で働いている。その彼女が仕事帰りにふらりと立ち寄り映画を見る。戦争をしているらしい遠い国の話だった。地雷で足を失った女性の元へパラシュートにつけられた義足が空から降ってくる、という幻想的なシーンがなぜだか心に残った。そのときふと「足を失った人のために義足を作る仕事っていいな」と思う。が、その思いはすぐ消え去る、できるわけない、自分は学歴もなくシングルマザーで風俗で働いているから。
が、何気なくその思いを恋人に口にしたとき、彼はそれを現実的な目標に変える術を教えてくれる。インターネットで義足を作る学校が日本に何校あるのかを調べ、入学の資格を調べ、学費を調べ、彼女の貯金でどうすれば通いとおすことができるかを調べる。そう、足りないものは「夢に向けた情熱」ではなく、そこに至る道筋をみつける「技術」なのだ、ということをこそ村上龍は訴えようとする。
さて、本題はその小説に出てくる「義足が降ってくる」映画、さらにはその監督の著書なのであった。
まずタイトルが秀逸。仏像を破壊するタリバンよりも、アフガニスタンの悲惨な境遇を放置してきた国際社会をまず指弾するメッセージが明確。そして隣国イランから見たアフガニスタンの困難を丁寧に訴えていく。
あまりにも峻嶮な地形故外敵を寄せ付けず、そしてそれ故に貿易為が非常に難しいこと。同時に、密輸を業とする人々にとってこの上なく安心な地形を提供していること。峠を越えれば別の部族、という環境の下で「アフガニスタン人」という共通のアイデンティティを持つこと自体が非常に難しいこと。
ここで、村上龍が「空港にて」でなぜアフガンを舞台とした映画をモチーフにしたのか、ふと思う。空から降り注ぐ恩寵、という形でしか望むものを得られないほどの絶望の中に生きている人も日本の外にはまだたくさんいる、日本人はまだまだめぐまれている、ということもひょっとしたら村上龍は訴えたかったのではないだろうか。 -
2000万人が飢えるアフガンを歩いた一人のイラン人作家・映画監督の知性と人間性、静かな絶望が、心が持つ「理性の知らない動機」をもって綴られた本。現場を踏み、発信の手段を用い、それでも変わらぬ現場を見る苦しさは、その深さは格段に違えど、国際協力の端っこを担う自分にも、なんとなく分かるような気もする。印象的な言葉が多い一冊。9.11前後に出版されたその時期も興味深い(しかし改めて脱力してしまう)。
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カンダハールで観て感じた事を数字や歴史できちんと補足され、よく知らないけどメディアにより何となく不気味に感じていたこの国のはっきりとした論理が見えた。
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あの荘厳な石仏は壊れるべくして壊れたという事なのでしょう。まさに因果そのもの。