誰もが難民になりうる時代に: 福島とつながる京都発コミュニティラジオの問いかけ

著者 :
  • 現代企画室
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レビュー : 3
  • Amazon.co.jp ・本 (196ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784773813128

作品紹介・あらすじ

「難民問題を天気予報のように」報じてきた京都三条のコミュニティラジオ番組〈難民ナウ!〉は、
3・11以降の日本社会でいかにして「福島」と接続したのか。
遠くの他者の困難を身近な現実として引き受ける、「潜在的難民」の生き方を学ぼう。
すべての子どもたちが安心して眠れる未来のために。

難民問題を報じるコミュニティFM 局の番組を制作してきた著者は、3.11 を契機に、「子どもの安全」をテーマとして福島の被災者、避難者の支援に関わりはじめる。そこで著者が出会ったのは、これまで携わってきた難民受け入れの問題と現在の日本社会が直面する困難をつなぐ「潜在的難民」という概念だった。10 年に及ぶ〈難民ナウ!〉の活動の記録と、「支援する者/される者」の二分法を越えて社会の課題に関わっていく、これからの時代のための新たな生き方の提言。

世界は身近な取り組みから変えることができる
これからの社会を担う人たちに薦めたい本です
― 緒方貞子(元国連難民高等弁務官)

感想・レビュー・書評

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  • 秋に日塔マキさん(女子の暮らしの研究所)と会った際、しばらく本の話になり、お互い今読んでる本を見せあったときに、教えてもらった本。図書館にリクエストしていたら、ぶじ購入された。

    サブタイトルにもあるように、京都市中京区にあるコミュニティFM局のラジオ番組〈難民ナウ!〉からの問いかけが綴られている。2004年から始まった〈難民ナウ!〉は、"難民問題を天気予報のように身近なものに"という願いを込めて、週1回、6分間の放送を続けている(本の後ろのほうで、インドでは"天気予報のように"というのはあてにならないものの喩えで、身近なものにという思いがうまく理解されなかったという、一つの気づきの話が出てくる)。

    序章では、「難民」とは誰のことか、が書かれている。
    ▼難民概念の発生は、「国民国家」や「国民」というカテゴリーの発生に対応している。第一次大戦中、ヨーロッパ諸国は、自分たちの国の領土に生まれた市民と、そうではない帰化市民とのあいだに境界を引くという国民国家の主権を行使した。自らが生活する国の中で、民族的出自により敵国人と位置づけられることを恐れた人々が、自ら無国籍者となることを選んだ。…(p.15)

    そうしたところから発生してきた「難民」は、国際的にも難民条約などで定義が与えられていくが、その一つの条件である「迫害」は、「国家が市民に保護を与えられない国々での天災の犠牲者、経済的、社会的迫害と戦争の影響を被った人々を除外していた」(p.19)。だが、その定義では困る人がいる、救われない人がいる。必要に迫られて、「難民」の定義は拡大してきた。

    国際条約を尊重しつつも、人の移動が複雑になっているため、それに対処して、難民概念も多様な解釈の試みが重ねられているという。たとえば「強制移動」という観点から難民問題を論じる小泉康一は、こう述べているという。
    ▼[市民は、国家への忠誠と引き換えに]政府が我々市民の物理的判然保障と生存と政治参加の自由と移動の自由を最低限度、保証するのを期待している。[中略]難民は、これらの最小の絆が断絶した時に、生れる。(p.21、小泉康一『国際強制移動の政治社会学』2005年の92頁)

    この本でも少し出てくるが、原発事故によって移動を強いられた人たちを「難民」と書いた本のひとつが、開沼博ほかの『「原発避難」論』で、この中で「難民」とは、定義らしい定義がないまま、しかし国際法上で「難民」と定義される人とは違うかたちで、おそらくは"医療難民"といわれるときの「難民」のように使われていた。(後日、『「原発避難」論』の記事には、青木孝嗣さんから「原発から逃れる人々をどう定義するか、と言えば、やはり"難民"とは言えません」というコメントが書きこまれた。)

    原発事故、そこからの避難といった状況を目のあたりにしながら、なかなか「自分のこと」とつながらないのは、いわゆる難民問題に通じることで、そこから著者は「潜在的難民」という発想にゆきつく。自分たちもまた、いつ難民になるかわからない存在なのだと。

    ▼「潜在的難民」という言葉は、いつ難民のような状況になるか分からない立場を表し、国家との最小限度の信頼を問い直すとともに、これまで自身を第三者の立場に置くことで「より弱い立場」にいる人たちの所在を隠蔽してきた自らの責任を顕在化させる。そして、目の前の問題に「自分のこと」として関わる可能性を問いかける言葉である。
     しかし、そもそも自分が「潜在的難民」であると気づくためには、何らかのきっかけが必要である。そして今の日本社会には、それに気づかせないようにする構造が厳然として存在する。…(p.118)

    それは、自分の中にある「見まいとする力」とのたたかいでもある。

    ▼「潜在的難民」という言葉が問いかけるのは、大きな運動に参加する覚悟の有無ではない。自分たちの日常が「遠く」の問題と地続きであることを意識し、日常生活の中で小さな営みを繰り返せているかどうかを問いかけるものである。(p.183)

    私がいいなと思ったのは、著者が京都の地元でイベントを模索しながら、地域社会と難民問題との接点をみつけられないかと考え続けてきたところ。「どうして三条通りで難民問題のイベントを行うのか、その点を示さないと、人は何のことか分からんでしょう」とまちづくり協議会の会長さんに指摘され、"なぜ難民問題を自分たちの暮らす地域で行うのか"という問いを考えるが、容易に答えは出なかったという。「応援したいが、イベントの意図がよく分からない」と何度も言われる中で、まちづくり協議会の事務局長さんが一緒に考えはじめてくれた。

    ▼「この辺も昔は人づきあいがちゃんとあったんです。そやけど今は近所の人との付き合いもままならへん時代ですやん。そういう時代に(難民問題は)身近な人づきあいを、遠いところから映し出す鏡のようなものでしょうね」(p.72)

    この言葉から、しだいに地元でもイベントの意図が受け入れられてきた、という。そのことを著者は「難民(を取り巻く私たちの)問題」が地域コミュニティと接続される第一歩となった、と書く。

    この接続は、むずかしいけど、大事なことだと思う。難民問題にかぎらず、さまざまな社会的問題を、自分のこととつなげて考える、あるいは、地元の問題としてうけとめる、そこから、たとえばイベントに人が集まり、それぞれの次の一歩を考えることにつながるのだろうと思う。

    それは、イベントの集客が悪いと"市民の意識が低い"とか"日程が悪かった"などと理由づけてしまう態度とはまったく逆。接続する切り口を見つけられるかどうか、そこを考え続けることなのだと思う。

    (12/21了)

  •  長らく難民鎖国と呼ばれてきた日本。難民という言葉を新聞やニュースで見聞きすることはあっても、その生活を直接知る機会は決して多くはない。しかしながら、3.11に端を発する原発事故と避難民の発生により、その様相は現在大きく様変わりしつつある。「原発という誰しもを難民にし得るリスクを抱える現在の日本において、私たちはどう難民問題を扱うべきなのか」。長らく難民支援に取組む著者ならではの問題提起が、本書では随所に散りばめられている。

     国内における難民問題での一番の課題は、その困難な生活状況が多くの人の目に触れないことにある。2012年度のわが国における難民認定数が18人(うち申請は2545人)という事実は、私達の社会にとって彼らがいかに少数かということを示している。そして私達も、そのような状況下にある彼らを敢えて見ようとはしない。これら「見まいとする力」についての次の言葉は、多くの人にとって耳に痛い指摘となるのではないだろうか。

    『困難な状態を見ると、心の優しい人は、関わる必要を感じる。しかし関わることで生じる変化に対応する準備は十分にできていない。日常生活は精密機械ののうに隙間なく動いており、新たな行動を加える余地が見つからないのである。さらに、自分一人が参加しても何も変わらない、という無力感も後押しをする。そのとき、その人は関わることをためらう。そして問題の認識と行動に移さないジレンマに良心が痛む。関心がないのではなく、その先にある精密機械のようにできあがった日常生活、行動の困難、良心の痛みまでを見通すからこそ、距離を置こうとするのである。そして、問題を多くにあることだと設定すると、問題は少しずつぼやけはじめ、やがて痛み感じる機会も少なくなる。だから見ることを避けようとする。』

     この「見まいとする力」に対抗するべく、コミュニティメディアにて淡々と情報発信をする道を選んだという著者。その活動を応援するとともに、自身の「見まいとする力」はどこにあるかということについても折にふれて考えていきたい。

  • FM79.7MHz京都三条ラジオカフェ - 市民が主役の放送局
    http://radiocafe.jp/

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    「「難民問題を天気予報のように」報じてきた京都三条のコミュニティラジオ番組〈難民ナウ!〉は、
    3・11以降の日本社会でいかにして「福島」と接続したのか。
    遠くの他者の困難を身近な現実として引き受ける、「潜在的難民」の生き方を学ぼう。
    すべての子どもたちが安心して眠れる未来のために。

    難民問題を報じるコミュニティFM 局の番組を制作してきた著者は、3.11 を契機に、「子どもの安全」をテーマとして福島の被災者、避難者の支援に関わりはじめる。そこで著者が出会ったのは、これまで携わってきた難民受け入れの問題と現在の日本社会が直面する困難をつなぐ「潜在的難民」という概念だった。10 年に及ぶ〈難民ナウ!〉の活動の記録と、「支援する者/される者」の二分法を越えて社会の課題に関わっていく、これからの時代のための新たな生き方の提言。

    世界は身近な取り組みから変えることができる
    これからの社会を担う人たちに薦めたい本です
    ― 緒方貞子(元国連難民高等弁務官)」

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著者プロフィール

宗田 勝也(難民ナウ! 代表)

「2014年 『ソーシャル・イノベーションが拓く世界』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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