山は果てしなき緑の草原ではなく (ラテンアメリカ文学選集 12)

制作 : Omar Cabezas  太田 昌国  新川 志保子 
  • 現代企画室 (1994年7月発売)
3.50
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  • 本棚登録 :11
  • レビュー :2
  • Amazon.co.jp ・本 (290ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784773894073

作品紹介・あらすじ

都会を離れニカラグアの解放ゲリラに身を投じた青年をまちうけたものは?果てしなく続く緑と、泥と、孤独の中で這いずり回る男たちの、想像もつかない地獄を描く。

山は果てしなき緑の草原ではなく (ラテンアメリカ文学選集 12)の感想・レビュー・書評

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  • 出版社の紹介文で「都会を離れニカラグアの解放ゲリラに身を投じた青年を待ち受けたものは?
    果てしなく続く緑と、泥と、孤独の中で這いずり回る男たちの、想像もつかない地獄を描く。」

    …となっていたので、よほど陰鬱とした小説かと敬遠していたのですが、
    読んでみたら「行くぜ!やるぜ!ゲリラだぜ!」というような口調の、ある種の青春物語でした。
    この本の内容は、「ニカラグアの独裁政権打倒のためにゲリラ活動を行っていく様子とその心境とをオマル・カベサス本人が”君”という人物に語る」というもので、
    登場人物や出来事はほぼ実際通りと思われるので、ドキュメンタリーと小説の中間「証言小説、記録小説」と分類されるらしい。

    作者オマル・カベサスは、学生時代にソモサ大統領独裁下のニカラグアでの反政府組織サンディニスタ民族開放運動に加わり、学生活動家を指示し、潜伏と戦闘訓練のために山に篭り、ソモサ政権打倒後にサンディニスタ政権が樹立された時には内務次官を務めたということ。

    ニカラグア作家のセルヒオ・ラミレスも、サンディニスタ活動家⇒新政権で政治家⇒その後作家、という経歴。カベサスが冒頭の賛辞を述べた人物たちの中にはラミレスの名前もあるので、彼らは共に闘い政権を務めたようだ。
    小説としては、ラミレスの「ただ影だけ」がソモサ大統領一族の独裁っぷりや、革命の本流を見せ、
    http://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4891769505#comment
    こちらの「山は~」はゲリラたちの現場の声を描いている。

    この「山は果てしなき緑の草原ではなく」と言う題名は、
    オマル・カベサスが潜伏とゲリラ訓練のために山に籠もった時に、山頂から周りを見回したらあらゆるところに緑緑緑…でまるで草原のように見えた、そこには苦痛も動物も泥も無力感も何も見えなかった。だが山は単なる大草原ではない、内側には色々なものを抱きかかえているんだと考えた、という言葉から。

    しかし本人の「闘うぜ!国を取り戻すぜ!!」という気迫は良いんだが、
    仲間が殺されたりリンチされたり、
    好意で匿ってくれたお百姓さんに対して「俺たちが隠れられる別の家を探してくれないと出て行ってやらねえ」とか、「農民には約束はしない、自分で戦う気にさせるんだ」とか、
    やっぱり生きることは厳しいなあと思う。(ーー;;)

    あとFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)、フレンテ(これもサンディニスタ民族解放戦線)、グアルディア(ソモサ政権下の国家軍備隊)、FER(革命学生戦線)、CST(サンディニスタ労働総同盟)、AMNLAE(ニカラグア女性運動連盟)、自由党…などの関係と用語は全く覚えられず。。

    以下雰囲気紹介がてら抜粋。

    「もし俺がグアルディア(国軍)に殺されても、やつらはおれの顔を銃弾で破壊して死の後の微笑みを奪うことくらいしかできないのさ」(…中略…)
    だって俺はグアルディアにあれほどの被害を与えたんだからな。敵に、帝国主義にあれほどの被害を与えたんだ。だからそれに比べれば俺を殺すことなど、俺がやつらに与えた打撃に比べればあまりにも小さすぎるというわけさ。分かるだろう?
    (P52)


    ああ、君に話していたのは、俺が絶対の確信をもって山に入ったってことだったな。それは生きて帰ることではなくて、勝利と供に帰るってことへの確信だった。
    (P53)


    「君たちは新しい人間がどこにいるか知っているか?(…中略…)
    あそこの端にいるのだ、おれたちが登っているあの頂きの上にいるんだ。あそこだ。彼を捕まえるんだ(…)
    新しい人間は足の疲れの向こうにいるんだ。新しい人間は空腹の向こうにいるんだ。(…)普通の人間が人間以上の事を行うところにいるんだ(…)
    だから、君たちが疲れているとき、消耗しているとき、そのことを忘れるんだ、この坂を登るんだ。そしてあの頂上に着いたとき、君たちは新しい人間の一部を手に入れるんだ。新し人間に、俺たちはここからなっていくんだ」(…)
    畜生!俺たち全員顔を見合わせた。(…)
    これが新しい人間だと。その定義付けには賛成さ。全員がその考え方に共鳴してはいるさ。ただ、新しい人間になるために俺たちはどんな苦痛を受けなければならないかと言うことが頭をよぎるんだ。
    (P115~)


    山には緑色と黒っぽい色しかないんだ、緑は自然そのものだ。オレンジ色はどうした?青い色がない、水色がない、紫色や藤色もない。そういった現代の色がないんだ。


    不可能だ、この忌々しいゲリラがこんなに強力な敵に向かうなんて(…中略…)
    俺たちの学生運動や地区での運動は、他のラテンアメリカの国々での、特に南米での、輝かしい瞬間の後に抑えつけられてしまういくつもの運動のうちの一つに過ぎないのではないか。(…)
    ラテンアメリカから生まれたすべての革命的な歌や文学は、実際には何の効果もない革命理論に覆いを被せ、知的に見せるだけのものじゃないか。ラテンアメリカに可能性はないんだ。俺たちは失敗してしまうだろう。俺たちは負けてしまうだろう。コロンビア人が、ベネズエラ人が、そしてグアテマラ人が負けたように。
    そんな時、人を救ってくれるのはなんだろうか?やがて頭は冷静になり、悲しみは消えるからだ。そして、もっと冷静に、大人として考えるようになる。(…)
    ふむ、ここでたくさんの人間が死ぬだろう。だが、敵を打倒するための戦いを続けなければならない。(…)
    たとえ死んでも、ゲリラであるということは、モラルの行為なのだ。死ぬときは誇りを持って死ぬだろう。君の死はそれ自体で抗議なのだ。俺たちは抗議しながら死んでゆくだろう。(…)
    重要なことは希望を持ちながら死なねばならないということなのだ、大事なことは夢や希望や志を蓄積することなのだ。(…)
    そうして、誇りが満ちてくる。心の奥底から戦いへの決意が生まれてくる
    死んでもやり遂げようと思うのだ、君がしなければいけないのは君の死を高めることだ。(P149~)


    俺は泥の中を這いずり回った。泥にうんざりした。泥にまみれた。泥の中で糞をした。泥の中で泣いた。泥の中に両足を突っ込んだ。頭も泥の中に突っ込んだ。俺の体の隅々まで泥にまみれた。ペニスの中まで泥が詰まった。(P151)


    (※山籠もりから町に降りて)
    俺たちはバスに乗った。そこで久しぶりに車の音を聞いたんだ。ああ俺はこの音を知っている。これは車の音だ。確かだ。これは車の音だ。俺はこの音を知っている。俺の心は好奇心でいっぱいになった。(P174)


    (※40年前に米国海兵隊がニカラグアを占領した時代に、民族主義者・アウグスト=セサル=サンディーノが指揮するゲリラ戦時代を知る老女、老人の場面からそれぞれ。)
    彼女たちはサンディーノの闘いのころからの、ニカラグア北部の人々の持つ伝統的で典型的な雰囲気を持っていた。そして低い声でサンディーノの戦いの時の色々な話を語ってくれた。まるで一昨日起こったことのように話すんだ。彼女たちにとっては、俺たちのやっていることはその続きであり、あの時代に彼女たちの夫や兄弟とその農場でやっていたことを今度はおれたちと町でやっている、という感じだった。彼女たちはおれたちを自分の息子のように、革命家のように可愛ってくれた。それは神秘的なまでの押しにもない愛情だった。(P193)、

    「わしはもうあんたらと一緒に行くことはできん。見てくれ、わしはもう老いぼれている。(…)
    だがわしにはたくさんの息子がいる。孫たちもいる。(…)あんたらと一緒に行くように息子たちを渡すよ。ここでは皆が力をださねばならん。ここで終わってしまってはいけないんだ」
    彼は、終わってはいけないと言ったんだ。まるでいままで決して中断したことがなかったかのように、彼がサンディーノとともに過ごしたその継続ででもあるように。(P264)

  • 2010/5/5購入

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