最終講義-生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)

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  • 技術評論社
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  • Amazon.co.jp ・本 (300ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784774147093

作品紹介・あらすじ

人間はどのように欲望を覚えるのか、どうやって絶望するのか、どうやってそこから立ち直り、どうやって愛し合うのか…。2011年1月22日、神戸女学院大学で行なわれ、多くの人々に感銘を与えた「最終講義」を含む、著者初の講演集。超少子化・超高齢化時代を迎えて日本の進むべき道は?学びのスイッチを入れるカギはどこにある?窮地に追いつめられた状況から生き延びる知恵とは?…いまを生きるための切実な課題に答える。

感想・レビュー・書評

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  • 大学教員が定年退官にあたって振り返りを行う「最終講義」というセレモニー。自慢話や、単なるおしゃべり、どうしようもないのも多いけれど、自分の業績の達成点と残した課題をしっかりと確認するものであったり、すばらしいものも多い。内田先生の最終講義は、過ごしてきた大学の建物それ自体の中に、学びの本質が隠されているという、興味深いお話だった。
     他に収録されている講演も、それぞれおもしろい。「日本の人文科学に明日はあるか(あるといいけど)」では、内輪向けの研究しかやらない学者を嘆き、「ミッションスクールのミッション」では、(学びたいではなく)教えたいというところから学校は始まっている。だから、教えたいことを教えるべきという主張が鋭く、どの講演も、話がどう進むのかわからないようなライブ感が漂うところも楽しかった。

  • 「存在しないもの」からのシグナルを聴きとる。「教育に等価交換はいらない」とてもいい話です。基本は一人で語っている講義録ではありますが、そこに「相方が降りてくる」瞬間を読むと面白いよ、という著者の論。異論を立てる、いろいろな考えがある。矛盾もいっぱい。だからこそ革新や成長が起こる、ということを幅広く受けとめたい。

  • 「上機嫌でいる」にこやかに微笑んでいる状態が現実をオープンマインドでありのままに受け容れる状態であり、自分の限界を超えたパフォーマンスを引き出すことができること。

    自己利益を動機にしていては、自分の能力はある程度以上は上がらない。自分以外の「何か」を背負うことによって、自分の能力の限界を突破することだって可能になる。

    無意識に心に掛っていた自分だけでは言葉にならなかったもの、聴きたかった言葉を聴けたような気がする。

  • 初内田樹さん。
    イメージしていたより、ニュートラルで感情的な押し付けがなく、読みやすかった。『知的高揚感』を味わった。内容に関して、自説を述べられるような教養を持てたらいいな。

    特に教育については、あまり興味がなく考えたこともなかった。教育がビジネス領域として見られることを危惧する氏の説にはなるほどと思った。

    ~メモ~
    ・ヴォーリズ建築の魅力
      →→教育のための仕掛けが施された建築。(神戸女学院)
    ・北方領土問題が解決すると困るのはアメリカだけ。
      →→現状維持をするためにアメリカは必死で日本国内の世論形成を行っている。
    ・倍音的文体 →→太宰治
    ・断片的な情報から全体的なストーリーを紡ぐ知性

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「ニュートラルで感情的な押し付けがなく」
      ナルホド!
      内田センセの本は手当たり次第に読んでますが、身に馴染んでるせいか、そんな風には考えなか...
      「ニュートラルで感情的な押し付けがなく」
      ナルホド!
      内田センセの本は手当たり次第に読んでますが、身に馴染んでるせいか、そんな風には考えなかったです。
      2012/09/18
    • こっこっこさん
      勝手にイメージで、この年代の方で少し左翼的な思想だと、もっと余計な感情がまじった文章になるんじゃないかと思ってたんです。
      でも読みやすくて、...
      勝手にイメージで、この年代の方で少し左翼的な思想だと、もっと余計な感情がまじった文章になるんじゃないかと思ってたんです。
      でも読みやすくて、面白かったです(^_^)
      講演録だから受け入れやすかったのかもしれません。
      2012/09/22
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「講演録だから受け入れやすかった」
      そうかも、、、
      話の流れに沿って手を入れてるから、読み易いみたいですよ。この話は「辺境ラジオ」が一冊に纏...
      「講演録だから受け入れやすかった」
      そうかも、、、
      話の流れに沿って手を入れてるから、読み易いみたいですよ。この話は「辺境ラジオ」が一冊に纏まった時に言われていました(全てに当て嵌まるかどうかは不明ですが)。
      2012/09/25
  • 表題の内田先生の「最終講義」など6つの講演を集めたもの。コロキアルでとても読みやすい。もともと最終講義は直接お聞きしたが、その後、あの震災があった。もいちど読み直して、それもこみにして感慨深く読んだ。まさに「志ん生の火焔太鼓」で、何度でも聞ける。本当、事象も時間も超えて普遍的な声ってすごいなあ。すでにブログや既存の著書で聞いた話がほとんど(ユダヤ学会の講演内容は僕には初ネタだったが、、)だけど、何度も聞いて(倍音的に?)理解が深まっていくような気がする。

    恥ずかしながら、ちょこっと僕も登場します。

  • 学ぶこと、学びを導くことの意味に得心がいき、自身の学びへの意欲がかきたてられた。もっと若い時に読めれば、もっと良かったと思うけれど、今だから分かるのかもしれないし。

  • 2年ほど前にさらっと読んだ時はあまりわからなかったが、卒業研究のヒントになるものがあればと再読したら、なんと面白いことか!あっという間に読んでしまった。
    教育の部分、神戸女学院の建物の話は特に面白かった。
    2013.11.16

  • 内田樹氏の本はやはりおもしろい。「こんな何冊も本を書いている人なのに、オレと同じ感じ方しているな」なんて思わせるところが魅力なのかもしれない。
    人前で話をしていて、次に何を話すかを忘れてしまうことはよくあります。でもそれをうまく繋げたとき、自分でも思いがけない発想やおもしろい話が生まれるなんて体験は結構あります。こんな経験を内田氏もしているらしい。でも、自分に内面化されていなす知識が何もないところから生まれてくる魔法のようなことはないわけで、そこにはそれまでに積み重ねてきた経験や学習があるはずだ。これは内田氏の教育論にも通じる。教育は何か分からないものを何で学ぶのか分からないままに学ばせるものだという。受ける者が、その価値を分かってやるかやらないかを選ぶのでは、市場原理上にある商品と変わらない。しかし、教育はその場では何のためにやるのか、何の価値があるのかは分からない。それでいいのだという。でも、何かかが内面化されある時、表出する(しないかもしれないけど・・・)。それで良いんじゃないかと思わせてくれました。人生、何のためにやるのか分かっているものばかりじゃない、というかほとんど分からない。
    「教育の本質はお節介である」「利便性や効率では学びは発動しない」。その通りだと思います。市場原理を教育に持ち込んだことが教育の衰退の一つの大きな原因だということは、考えてみれば自明のことであるが誰も気づかないふりをしている。それなのに教育がうまくいかないことの犯人捜しには熱心である。何が起こるのも一つのことが原因で、それさえ取り除けば全て解決するなんていう単純なことは皆無に近い。だけと、わかりやすいことを言って何かを攻撃する人が人気を取ったりする。とても危険な方向へ向かっていると思う人はどのくらいいるのだろう。
    一度、講演をお聴きしたいものです。 

  • 教育とは何かが、分かったような気がしました。
    他の講義も大変 面白かったと思う。

  • 色々と考えさせられる話が多かったですが、特にビジネスと教育についての考え方の部分は共感しました。伝えたい人が教え、教わりたい人が自分の意思で教わる、という当たり前といえば当たり前のことですが、ビジネス化された現代において見失われている部分を再確認することができました。読んでいる途中で、大学生の時に行った教育実習で見た学生の情熱を思い出し、人生のどこかでもう一度教育に携わって、自分が得てきた知識や経験を未来を背負う子供たちに伝えたいという衝動に駆られました。

  • これから行われるであろう「よきこと」を信じて
    知的イノベーションにおいて死活的に重要なこと
    「存在しないもの」からのシグナルを聴き取る
    「わけのわからない現象」に夢中になれるか
    危機的局面であるほど上機嫌であれ
    -> 上機嫌の作法
    アカデミック・ハイの感覚
    最後の拠り所になるのは「知性の身体性」
    使えるものは全部使う
    ->ありもんを使う、[間]に合わせる
    自分の知性の性能を向上させることを
    純粋に技術的な視点から考察する人はほとんどいない。

    自分の知性が最高の状態にないことに、空腹や眠気や
    渇きと同じような激しい欠落感を覚える人間だけが
    知性を高いレベルに維持できる。

    先駆的直感に導かれて
    「情理を尽くして語る」という学問的マナー

    断片から全体像を描く知的能力の必要性

    倍音は宗教儀礼の核心部分
    倍音声明
    「う」「お」「あ」「え」「い」の5音
    「ん」のハミング音
    -> 天真五相
    選ばれないことのリスクを引き受ける
    教育の本質はおせっかいである
    利便性や効能では学びは発動しない
    教育の効果は数値化できない
    意味や有用性はあとになってから実感するもの
    学びには「謎」や「暗がり」が必要だ
    「矛盾に耐えて生きる」ことで成熟する
    親族の基本構造にあるもの
    とにかく「異論を立てる」ことが大事
    果たされなかった攘夷の戦い
    ->日米安保、第一次羽田闘争

    自然科学はユダヤ研究に近い。自分が研究していることを
    突き詰めてゆくと、その先に世界のすべての現象が説明できるような統一原理が発見できるのではないか、と。
    そういう法外な夢をもって研究している人が自然科学の
    最先端にはときどきいます。
    日本ユダヤ学会の研究者たちを見ていると、何か
    それに近いものを僕は感じるんです。

    目標がはるか上にあるがゆえの穏やかさ

  • 職場が大学図書館になってからより一層、内田先生の「教育はビジネスではない」が身に沁みる。
    自分に得なことしかしたくない、という学生の態度の背後にあることには「なるほど!」。
    接するたびに空しい気持ちに襲われていたが、理由が見えるとこちらの気持ちも少々変わる。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「「教育はビジネスではない」が身に沁みる。」
      右に同じです。。。
      「「教育はビジネスではない」が身に沁みる。」
      右に同じです。。。
      2013/06/10
  • (以下引用)
    頭がいいことはわかります。こちらが知りたいのは、その生まれついてのよい頭を使って「何を」するのか、ということなんです。でも彼らはそれを「私は頭がいい」ということを証明するために専一的に利用している。その使い方はなんだか根本的に間違っているような気が僕はするのです。せっかく人並み優れてよい頭に生まれついたのなら、他に役に立つ使い道があるんじゃないか。(P.45)

    天文学者が彗星を探すときに、毎日同じ時刻に、同じ方位の星座を写した写真を重ねて見るのと同じで、「それ意外の条件が全て同じ」であるときにだけ、わずかな変化を検出できる。知的活動においても同じです。昨日は脳内に存在しなかったアイデアを萌芽状態においてとらえるためには、それ以外の生活条件を全部同じにしておくに如くはない。規則正しい生活をするのが、脳内麻薬物質の大量分泌をもたらすためには最も効果的なんです。(p.69)

  • 名前の樹は、「いつき」と読むとばかり思っていたら「たつき」でした。樹なつみ(漫画家さん)がいるから。

    と、それはともかく、本書は、内田先生の最終講義から順番に時を遡りながら、講義・講演が収録されています。

    松尾谷さんから教えてもらったブリコラージュの話が出てきました。

      医療の現場は待ったなしです。「最高最適の医療をこれからご用意しますからちょっと待ってください」と言っているうちに患者が死んでしまうことだってある。今そこにある疾病という現実に対して、手持ちの材料で、手持ちの人員、手持ちの情報、手持ちの時間で対処しなければならない。
      これをレヴィ=ストロースは「ブリコラージュ」と呼びました。「ありものの使いまわしで急場をしのぐ」ことです。医療とはその意味ではブリコラージュそのものです。だから、焼酎で傷口を消毒し、ホッチキスで傷口を縫合し、ガムテープと棒で副え木を作るというようなことは朝飯前なわけです。手許にある資源は全部使うことをつねに訓練されている。目の前にあるものの潜在可能性をつねに考量している。「これは何に使えるんだろう?」ということをいつも考えている。

    待ったなしで、必死になって手持ちの駒で工夫しながら対処していくのはソフトウェア開発やソフトウェアテストでも同じですね。

    ブリコラージュについては、ゆもつよさんがツイートしていた

      仕事は本来ブリコラージュなんだ。けど、仕事の内容は体系的に残さないと伝えるのが困難になる。そこにエンジニアリングが必要なんだ。やり方を規定するのではなくやり方の共有方法の規定だと。 だから、書いてある事、聞いた事をそのままやってもうまくいかないわけだ。
      だけど自分がやってる事を言語化するには本読んで頭を整理したり上手く言えなかった事を識別出来るようにならないといけない。

    もとても大切なので再掲しておきます。

    ★★★

    こんなことも書いてあります。

      教育というのは子供を「葛藤のプロセス」にたたき込むことに尽きるんです。「単一の価値観や単一の言葉遣いにしがみついていたのでは、自分の経験を説明することができない」という、その葛藤の中に巻き込むことなんです。
      -- snip --
    子どもというのは「こうすればよろしい」という単一のガイドラインによって導かれて成長するのではなく、「この人はこう言い、この人はこう言う。さて、どちらに従えばよいのだろう」という永遠の葛藤に導かれて成長するのです。

    そうですよね。様々な矛盾する意見がある中で、考えて成長していく。うん。そのとおりだ。

    このように、内田樹はとても説明が上手いです。
    比喩が適切で、すっっと分かった気にさせてくれます。

    面白かったので、別の本も読んでみようかなぁ。今度は講義録でないタイプの物を。

  • 『レヴィナスと愛の現象学』(内田樹)と並読中。

    2012/2/16
    くっ、おもしろかった。
    一講、一講疲れた頭で読んでたし、何がおもしろかったかはもうはっきり覚えてないんだけど、胸がドキドキしてた。

    もっかい読もうっと!

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「何がおもしろかったかは」
      内田センセは語り口が柔らかいので、すーっと読んじゃう危険性がありますね。
      でも刺激的だから、また読みたくなります...
      「何がおもしろかったかは」
      内田センセは語り口が柔らかいので、すーっと読んじゃう危険性がありますね。
      でも刺激的だから、また読みたくなります!
      2012/12/26
    • ruokaさん
      nyancomaruさん:コメントありがとうございました。ほんと、読みやすいのに考えさせられる本ばかりですね!
      nyancomaruさん:コメントありがとうございました。ほんと、読みやすいのに考えさせられる本ばかりですね!
      2012/12/27
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「考えさせられる本ばかりですね!」
      はい。
      きっとテーマがアクチュアルで、身近に感じるからでしょうね。。。
      「考えさせられる本ばかりですね!」
      はい。
      きっとテーマがアクチュアルで、身近に感じるからでしょうね。。。
      2013/01/08
  • 神戸女学院大学文学部名誉教授・内田樹氏の最終講義(2011年1月22日神戸女学院)を含んだ講演集。
    学生を聴者とした講演から、(大阪府)守口市教職員組合での講演も含まれており、文学、思想、教育の多岐に渡る思考に触れることができます。

    特に「教育に等価交換はいらない」と題された守口市教職員組合講演会(2008年1月26日)に記された言葉は、子育て中の親にもすっと耳に入って、単に心地良いというだけではなく、その言葉の意味を中身を咀嚼して自分自身の中で醸成させる必要がある素晴らしい講演だと思いました。

    普段、本にマークアップや付箋をして読むようなことはほとんどないのですが、読み始めて付箋が手放せなくなり、読み終えると付箋だらけになってしまいました。はじめての経験です。

  • サブタイトルに「生き延びるための六講」とあるように、2008年から2011年の(いくつかの)講演の中からの珠玉の(?)講演録。
    内田先生のこれまでの「街場の○○論」シリーズと同様、専門分野であってもなくても、多角度から仮説を立てて、本質をいかに捉えるか、ということにはつくづく、「なるほどな」の連続。
    教育行政の先頭集団のヒトビトには是非ともご一読いただきたいが、「貴重なご意見ありがとうございました」なんだろうな、きっと。

  • 衝撃を受けた。早く内田樹読めばよかった。私の抱えていた疑問にスパッと答えていただいた。例えば、なぜ文学を学ぶか、とか。私の通っていた文学部はもうなくなってしまった。文学部の任務は終わったとかなんとか理由をつけられて。そのとき私はきちんと反論できなかった。今なら言える。もう遅いけど。
    そして
    内田先生ありがとう。

  • アカデミックな人というのは、基本的には知的な領域における「フロントランナー」である…でも、先端的な研究をしている人は何も背負っていない。自分しか背負っていない。自分の業績を積んで、評価され、それによって大学のポストなり、社会的なプレステージを獲得する、自己利益追求のためには意欲的であるが、誰かのためにやっているという感じがぜんぜんしない…アカデミックな人こそ誰でも分かる言葉でフロントラインに立っている状況をアピールして欲しいです。そうだそうだ、と共感できる、こういう分かりやすい指摘が出来ることが内田センセイの魅力だと思います。

  • 「日本の人文科学に未来はあるか」、泣けました。
    知性が回転しているという身体的快感こそが動機のモチベーション、「情理を尽くして語る」ことの大切さ。共感します。

    若者を知の入り口へ誘う仕事をしている身の上、「職につながらない」という親たちの心配に、こんな風にストレートに人文科学の魅力を示せたらいいんだけど。

  • 最近読んだ本のなかで一番面白かった。

    『かすかなシグナルに反応して、何かわからないけれども自分を強く惹きつけるものに対して、自分の身体を使って、自分の感覚を信じて、身体を投じた人にだけ、個人的な贈り物が届けられる』

    『「アカデミック・ハイ」がまた経験したいから、僕はとりあえずよく寝て、健康管理に気づかって、同僚と仲良くして、家族をいたわって……という平凡な暮らしを全力で維持しているわけです。僕がルーティン大好き人間であるのは、ルーティンそのものが好きだからじゃないんです。そうじゃなくて、ルーティンを守って暮らしていかないと、絶対に「アカデミック・ハイ」は訪れてこないということがわかっているからなんです。』

    などなど、深く残るフレーズが多く、折ったページばかり。

    ひとつひとつメモできないのがもどかしい。

    素晴らしい本。

    何回か読み返すとおもいます。

  •  最近内田樹さんの考え方が割とスピリチュアルな方向に行っている気がするな。いや、悪いことじゃないけど。

    数値化できないものの大切さは、教育現場にいるとイヤと言うほど思い知らされる。

    同じではないけれど、「何かいやな感じがする。」とか、数値にはできないような目に見えるわけではない違和感を察知する能力って

    確かにある。

    それを

    「根拠はないけどなんかやだ。でも根拠がないからヤダと言えない。」

    と思うのはやめようかと思った。もう少し自分を、自分の感覚を信じていいのだろうと思う。

  • 教えたい、というのはお節介で、教える側の思いだけでいいんだって、思った。研修に関して、あれやこれや悩んだけど、私が伝えたいことを、忖度せずに披露しようと思う。
    私がぜひ伝えたいって思ったことを伝えて、あとはどう感じるかは、もうお任せだな。

  • 北方領土とアメリカについて

    田中派と民主党の関係について

  • 神戸女学院での最終講義を含む6本の講演をまとめたもの

  • 講演集。


    「倍音を含んだ文章」という言葉が一番引っかかった。
    曰く太宰治の文章がまさにそれで、太宰は憑依の作家だから太宰の文章の中には様々な人格がさながら倍音のように含まれているというのである。
    だからこそ「これは自分のことを書いている!」と感動を覚えるものが後を絶たないのだと。

  • 内田氏の講演集。一度、教育に関する講演を拝聴したいものだ。

  • 出版社さまより献本いただく。

  • 仕事に躓き休んでいた期間に読んだ本。
    いろいろ面白い部分はあるけれど、その中で1つ。

    シラバスに対する批判で、学ぶ側に明確なニーズが最初からあるはずがない、という話。一例として芸能人のよくある動機が「友人に誘われて」「兄弟が勝手に応募して」など。
    だから本人はどうして自分がここにいるのかわからない。

    そんな時は、一旦自分の価値観などを「棚上げ」すること。自分の手持ちのものさしではここにいる理由を計れないのだから、別の言葉づかいを見つけ出さなければいけない。考えたり、人に聞いたり、本を読んだり。そうやっていくうちに一つの何かに精通して「プロフェッショナル」になる。

    これは別に学ぶことに限った訳ではなく、仕事もそうかなと思った。こんな仕事がしたい!っていう明確な"ニーズ"を決めなくても、前に進んでよいと言われた気がした。進みながら、努力していくことだってできる。

  •  教育の現場に長く身を置いた方だからこそ、言葉に説得力がある。
     文学研究はすべての学術の中心である、教育に市場原理を持ち込まない、「いいから黙って勉強しろ!」と実感の伴わない言葉を覚えることの有用性、子どもは葛藤の中でしか成熟しない、などなど、なるほどと唸ってしまう。倍音の話も非常に興味深い。内田先生の本は引用が止まらないから困る。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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