エルトゥールル号の遭難 トルコと日本を結ぶ心の物語

著者 :
  • 小学館クリエイティブ(小学館)
4.10
  • (5)
  • (2)
  • (2)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 57
感想 : 10
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (64ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784778037598

作品紹介・あらすじ

トルコ人が今も感謝する救助物語

1985年3月、イラン・イラク戦争の開戦直前、在イランの日本人200名以上は脱出方法が見つからずに生命の危機に瀕していました。その時、トルコ政府は2機のトルコ航空機をテヘランへ派遣して、215人の在留邦人を救出してくれました。感謝の言葉を述べる日本人に対し、トルコ政府は「私たちは100年前の日本人の恩を忘れていません」と答えました。その恩とは、本書が描く「エルトゥールル号の遭難」です。1889年、エルトゥールル号はトルコ皇帝の命を受け、日本に派遣されましたが、任務を終えて帰国の途上、大嵐にのまれ、紀伊半島の大島沖で沈没してしまいました。このとき大島の漁師たちは大嵐の中を懸命に救助して、500人中69人を助け、その生存者は、日本の軍艦でトルコへと送り届けられたのです。本書は、「日本とトルコを結ぶ心の物語」として、「エルトゥールル号の遭難」を描いた本です。子どもたちが分かりやすいように、本文は児童文学者の寮美千子先生、イラストは世界に知られるスクラッチイラストの第一人者の磯良一さんが担当しました。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 1960年9月16日、トルコ(オスマン帝国)の軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本町沖で台風に遭い、遭難・沈没しました。
    本書では、その事故を契機に生まれたトルコと日本の友情を、エルトゥールル号の魂が物語ります。

    この事故では500名以上もいた乗組員のうち、助かったのは69名。
    遭難者の救助活動を行ったのは、大島村(現・串本町樫野地区)の村人たちでした。
    岩場に取り残された負傷者を救助し、医師による手当を施し、食べ物や着物を提供し…。
    天候不良で作物が取れず、大島村の村人たちも飢えに苦しんでいましたが、異国からやってきて災難に見舞われた乗組員たちを親身になって助けたのでした。

    しかし、本書はトルコと日本の友情だけでなく、負の側面も描いています。
    日本の新聞は「日本が遭難者たちをトルコに送り届けるべきだ」と主張、世論も同調し、義捐金も集まります。
    しかし、遭難者たちを乗せた日本の軍艦がトルコへ旅立つと、この事故の報道はぱったりとなくなりました。
    この遭難者送還の裏の目的は、日本の威力を各国に華々しくアピールすること。
    その目的が達成されたとみるや、報道はエルトゥールル号の話題を取り上げなくなったのです。
    一方のトルコ側にも、人の命よりも国の体面を重んじたために、この悲劇を招いたという背景もあるのでした。

    エルトゥールル号事件の光と影を、子供にもわかる平易な文章・語り口で伝える本書からは、著者である寮美千子さんの「この事件を忘れないで」という想いが感じられます。
    磯良一さんの色鮮やかで思わず見とれてしまう挿画も印象的でした。

  •  1890年にエルトゥールル号が来日したいきさつとその遭難とその救出劇についてエルトゥールル号自身が語ります。
     エルトゥールル号には600名を超える乗員がいたそうです。
     私は今まで大きな船とは縁がなかったので数百人も乗っている船なんて想像がつきません。
     ちなみに1912年のタイタニック号沈没事故では2000人を超える乗員がいたそうです。
     エルトゥールル号自身が語るところによると、この航海は無理を重ねていたようで、最初から困難を極めたようです。
     それでも無事日本に着いたら、乗員にコレラが流行。日本政府のコレラへの対処が的確だったようで、感染は最小限に抑えたようです。
    (21世紀の日本ではコロナ感染症初期の時期にクルーズ船でのパンデミック事件がありました。)

     台風シーズンなのに帰国を急いで出港したために台風にぶつかり、遭難に至ったようです。大島の住民は貧しいながらも自己犠牲の精神で漂流民を助けたといいます。

     ただ、エルトゥールル号自身が考えるところによると、この計画は最初から無理を重ねたものであって、「天災ではなく人災だった」ということです。
     トルコ本国ではこの航海計画についてどう考察されているのでしょうか。
     何事であれ、人命を軽視した無理な計画はいけません。そういう無謀は過去のものにしなくてはいけません。
     
     後日談として、1985年のイラン邦人の救出について触れられています。
     最後のエルトゥールル号の意見が素晴らしい。

    「けれど、わたしは思う。ほんとうは、トルコや日本という大きなものではなく、人間が人間として人間に向きあった無償の行為が、すべてを動かしたのではないかと。
     なにか大きなもの、大きな力、国や組織、そんなものの犠牲になるのは、いつも小さなひとりひとりの人間でしかない。そして、いざというとき、それを救うのも、やはりそこにいるひとりひとりの人間なのだ。」

     船にしてはやけに人間くさいこと言っていますが、その通りだと思います。

    OLDIES 三丁目のブログ
    エルトゥールル号本人が激白!これが遭難の真相だ!!
    【エルトゥールル号の遭難】寮美千子
      https://diletanto.hateblo.jp/entry/2022/11/08/205719

  • 新刊ではありませんが、トルコの遭難事件の絵本があったのでご紹介します。
    この事件のおかげで、トルコはめっちゃ親日国なのです。
    司書は知っておくべき事件です。

    2021/09/07  更新

  • 史実をもとにした絵本、ですがかなりの長文です。小学校中学年ぐらいから読めるかな?分かりやすくするため?にエルトゥールル号自身が思い出を語る形式をとっています。
    読んでみたらわかりますが、そりゃあ故障もするし遭難もするわ、といった内容です。
    強いて言うならエルトゥールル号は日本の皆さんにとても感謝しているのだ!!というのを全力でアピールしている感じが、書いているのは日本人だよなぁ、と思うたびに気になりました。

  • 日本とトルコの絆がつくくなったとされる150年前の出来事を難破したトルコの木造軍艦エルトゥールル号の独白の形で、イスタンブールを出港してから、日本について難破するまでとその後の展開を描く。
    国の力を誇示するために国威発揚が背景にあったこがよくわかる。挿絵もなかなか印象的

  • 【2015/6/3】
    紹介者:米山ともみ
    レビュー:米山(主催)

    トゥルルールル的な?
    なんだかニヤリとしちゃうタイトルですが、内容は壮絶な漫画付きの本。
    日本の紀伊半島とオスマントルコの絆のルーツとは?
    日本の徳を感じられるストーリー

  • 資料番号:020262093
    請求記号:557リ

  • ★★★★★
    エルトゥールル号の魂といっしょに、最期の航海をする。
    完璧な修理をしないまま国の威信の為にトルコを出港し、同じ理由で日本では台風に向かって出港した。
    エルトゥールル号は自分の遭難を人災だといいきる。
    また、日本の政府の対応にも「メンツ」を感じ素直な感謝の言葉を口にのせることができない。

    国など関係ない、「人」と「人」との真心の物語として遭難を伝えようとしている。

    (まっきー)

  • 1890年9月16日、オスマン帝国(現・トルコ)の軍艦エルトゥールル号が、
    和歌山県紀伊大島沖で遭難した。
    オスマン皇帝の命を受け、明治天皇に贈りものの答礼をするために、はるかアジアの
    東のはてまでの航海を終えた帰国途中の出来事だった。

    600名ほどの乗組員のうち、生存者はたった69名だった。
    その69名の命は、大島村(現・和歌山県串本町)の人々の献身的な救助と
    治療によって助けられたものだった。

    そして感謝の気持ちは連鎖し、二つの国の間では、お互いを助け合う気持ちが
    今でも続いている。

    物語の語り手は、今も紀伊大島沖の海底で眠っているエルトゥールル号の魂。

  • トルコが親日国家になった発端!義理堅い人々だなぁ~
    そんな訳で私は親トルコです。。。

    小学館のPR
    「トルコ人が今も感謝する救助物語

    1985年3月、イラン・イラク戦争の開戦直前、在イランの日本人200名以上は脱出方法が見つからずに生命の危機に瀕していました。その時、トルコ政府は2機のトルコ航空機をテヘランへ派遣して、215人の在留邦人を救出してくれました。感謝の言葉を述べる日本人に対し、トルコ政府は「私たちは100年前の日本人の恩を忘れていません」と答えました。その恩とは、本書が描く「エルトゥールル号の遭難」です。1889年、エルトゥールル号はトルコ皇帝の命を受け、日本に派遣されましたが、任務を終えて帰国の途上、大嵐にのまれ、紀伊半島の大島沖で沈没してしまいました。このとき大島の漁師たちは大嵐の中を懸命に救助して、500人中69人を助け、その生存者は、日本の軍艦でトルコへと送り届けられたのです。本書は、「日本とトルコを結ぶ心の物語」として、「エルトゥールル号の遭難」を描いた本です。子どもたちが分かりやすいように、本文は児童文学者の寮美千子先生、イラストは世界に知られるスクラッチイラストの第一人者の磯良一さんが担当しました。」

全10件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

東京生まれ。
2005年、泉鏡花文学賞受賞を機に、翌年奈良に転居。
2007年より、奈良少年刑務所で「物語の教室」を担当。その成果を『空が青いから白をえらんだのです』(新潮文庫)と、続編『世界はもっと美しくなる 奈良少年刑務所詩集』(ロクリン社)として上梓。
『あふれでたのはやさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室』(小社刊)ほか著書多数。

「2021年 『なっちゃんの花園』 で使われていた紹介文から引用しています。」

寮美千子の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×