生きさせろ! 難民化する若者たち

著者 :
  • 太田出版
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レビュー : 46
  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784778310479

感想・レビュー・書評

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  • 入口はこれだったかな。
    衝撃だった。

  • 興味があったので読みました。
    何で私たちがこんな目にあわないといけないんだという叫びが詰まった文。
    しかし私は全面的に支持は出来ない。だってさ、どうしようもない人も居るだろうけど。もっと頑張れよと思うエピソードもあるからです。
    親が祖父が貧乏だから今不幸なんだ。。って何考えてんだよ努力しろよ。自分で頑張って抜け出せよ。家だって貧乏だわ。国立大学にいってたせいか学生ながら親元に仕送りをするような子もいたんだ。そういうのを見てるので私は彼らは甘えていると思ってしまった。

    自己責任という言葉の元で不幸になると書いてあるけど最低限しなきゃいけない事、するべきではない事を考えないといけない。

  • 読んだのは今年前半くらいか。

  • 某渋谷先生がすすめてた本。

    衝撃的。
    まぁ、要するにフリーター難民とか名ばかり管理職とかがテーマ。
    とりあえず、労働市場、ひどい。

    絶望的な感じしちゃった。
    もうちょっと解決策みたいなの講じてほしかったな。

  • posseが気になります。

  • ネオリベラリズム(=ネオリベ)が推し進める策略による犠牲者の現状を取り上げる。「働かざるもの食うべからず」なんて言葉はネオリベの欺瞞。現実は働いても食えない、生きられない、逆に働くことで死んでしまう、死ぬために働いているような状況にある。
    明らかに犠牲者であるプレカリアート(不安定さを強いられた人々)はしかし、ネオリベに仕組まれた巧妙な詐術によって自己責任論を内面化させている。ネオリベはさらにそこにつけこむ。私たちにとっては負の循環が、ネオリベにとっては願ったりのスパイラルなのだ(不安定にされている人々を殺し続ける限りいずれは破綻するけれど、今のところ)。自己責任論を内面化させられているプレカリアートはその循環を自ら積極的に回しているようなもの。ネオリベは何の手を下さなくてもみているだけで、思い通りに人々が動く。バカにされていると思わないだろうか。バカにしているのだ、私たちを、そして人間の生を。見くびられているのだ。怒れ、内にではなく外へ向けて。
    喫緊の生きづらさ(あるいは「生きられない」こと)は制度や構造のせいである。その先にも個々人の生きづらさは絶対残る(P.268)。だから、制度で解決できることはさっさと解決しなくちゃいけない。その先の「人間としての」生きづらさに向き合うためにも。



    <br>リア王の中で一番気に入った科白は「リアのおっさん!リアのおっさん!」という道化の科白だったのですが、その道化に関連して、前回の読書会でめちゃくちゃな紹介に終わった河合隼雄の「影の現象学」にも、道化が言及してありました。それで、それによると、道化という人格は、王が自らを完全に光り輝く存在とするために、その影の部分を切り離すために作り出だれたそうです。古代の絶対的存在としての王はなんらの過ちも犯すはずはないし、罰せられることもないはずなんだけど、現実には天変地異などによって、国が被害を被ることもある。王をすべての物事の統治者としてみるならば、それは王の失敗としか考えられない。この矛盾を解くために王に代わって罰せられたり、失敗役をつとめたりするものとして道化の必要性が生まれた。そしてその絶対的な王に支配された王国の統一性は、それと矛盾する存在の切り離しを前提として保たれているんだけど、それはしばしば事実を犠牲とした規範性の維持によって成し遂げられる。王が規範と秩序をあらわすとき、道化はその規範で律しきれぬ新たな真実をそこにもたらし、価値の&#39002;倒、や「統一」のために切り捨てられた物事の多様性を知らしめると河合隼雄は言うのですが、それが「生きさせろ」にもリンクするものがあるのではないかと思いました。
    どういうところでかというと、社会学者入江さんの話のところです。ネオリベは中国や韓国、北朝鮮など敵を外に作って国内の「格差」から目をそらせるということをやってきた。ポストネオリベの段階に入った今も景気が上がり調子になってきたことの裏に何か問題が隠されている気がすると指摘しているところがあるのですが、つまりネオリベへの統一によって排除された平等や労働者、生存権等という犠牲にされた事実が今表出してきているのではないかと思いました。ネオリベが排除した事実を知るんだ!!ネオリベに騙されるな!!ネオリベの一面性に気付け、と言うように。
    一方で、リア王においてさまざまな仕打ちを受けることから狂気になって狂気故に、リアは内面化されてべったりと自分と同化していた価値観に、疑惑を抱くようになったのだけれど、自己責任論を内面化している人たちにそれを自己と切り離して考えさせる契機になるのは一体なんなのだろうと思いながら、読みました。

  • 昨今騒がれる、ネカフェ難民、フリーターの労働と生活の実態を筆者自身がルポしたものである。不安定な労働に置かれ、明日来るかもわからぬ解雇通告に怯え、(正社員には認められない)危険な職場で、低賃金で働く若者の姿が描かれている。フリーター問題に明るい湯浅氏のメッセージも載っている「彼らには『溜め』がない」と。(溜め=それは家族であったり、助けてくれる友人であったり、そうした非常時の基盤となってくれる存在であり、資力である)著者は、今も難民化する若者に著書内でもメッセージをなげかける。幸せが脅かされることのない、ただ生きるために、たったそれだけのことを。  著書の中では、、それだけでなはなく、実際に貧困に直面し、その救済に臨むNPOの姿もあった。彼らは往々にして高い学歴を持ち得ず、社会に対する知識も、抵抗手段もなく、雇用者側に言い様に使われていた。その抵抗の手段を与えるNPOの支援の姿勢は見ていて非常に勉強になった。特に、本著内で即日解雇を言い渡された女性が、労働組合に加入することで、不当な解雇から逃れられただけではなく、その後の生活の保証金まで雇用者から取ったというのは、彼女の知識知恵では絶対に出来なかった結果である。「知ることすらない労働者の権利」教えることすらない、労働者の権利、学校の教科書では走りでしか習わないこの権利は、富裕層以外の多くの人々にとっても必要な知識であるのに、どうして学校では教えられないのだろいうか、そんな疑問符が沸いた。社会で役に立つことだけ教えるのが学校の役割ではないが、こうした、一生涯にかかわる「労働」の話は、教えてくれてもいい気がした。

  • 日々暮らす最低限の生活を保障しろという日雇いなどで暮らす若者の声が、「生きさせろ」という痛烈なメッセージでもって綴られています。普段の生活ではあまり意識しないですが、社会はどんどん変わりつつあるという事が実感出来ました。経済の成長が止まるとどのような事になるのか・・・
    グローバル経済の波に飲まれて社会はさらにどう変わっていくのか・・・
    注意深く時勢を見極めていかねばと思いました。

  • プレカリアート問題。

著者プロフィール

作家・活動家。1975年北海道生まれ。愛国パンクバンドなどを経て、自伝的エッセイ『生き地獄天国』で作家デビュー。2007年『生きさせろ! 難民化する若者たち』でJCJ賞受賞。格差・貧困問題に取り組み、生きづらさや自己責任論に対抗する発言・執筆活動を続ける。反貧困ネットワーク世話人、週刊金曜日編集委員。共著に『1995年 未了の問題圏』(大月書店、2008年)。

「2019年 『この国の不寛容の果てに』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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