- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784778312039
作品紹介・あらすじ
「自分探し」の果てに辿り着いたもうひとりの私?今だから書ける痛恨の大失敗、その顛末記。
感想・レビュー・書評
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ホントの狂人に会った事ある?
ってな事で、中村うさぎの『狂人失格』
太宰の人間失格の様なタイトルじゃが…
前半は読むの辞めようかと思う程、アホくさいと言うか中村うさぎさんって面倒臭い人じゃなってか、誰にも相手にされないけど自己主張の強い面倒臭い奴って感想。
じゃが、その上を行く恐ろしい女の話が浮上して、中村うさぎさんが面倒臭いのにその女に興味を持ち泥沼にハマってくノンフィクション話かな
その名も優花ひらり。
勿論、本の中の話なんで別名になっとるけど、ネットで検索すると必ずヒットして、実在の恐怖の女へと繋がって行くよ
決して関わってはいけない。
マジで怖い。
中村うさぎさん、よく殺されなかったなって思う。
ちょっと間違えばホントそんな事になりそうって思った。
こんな人とは絶対に関わっちゃ駄目っ!ってええ勉強に成りました。
ってか、普通は絶対に関わらんわな(笑)
この本は読みながらネット検索して読むと断然オモロいけど、本だけ読むと気が病むじゃろね
渚 水帆 マジでヤバい!
もう、ホラー。
ホラー好きな方は是非読みながらネット検索してね♪
2021年24冊目詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
筆者、49歳の時の本。2010年。ネットで見つけた優花ひらりという作家になりたい女の話。
この女性、会話が成り立たないくらいのデンパ女。そんな彼女がどのような生態か興味を示し、共著を出そうと提案した中村うさぎさんのエッセイ。
すごい毒づいてるし、ほんとにこんな人がいるのか?という内容。どこまでフィクションなのか…よく優花さんはこの本が出ることを許したなぁという内容。読み物としては面白く読ませていただきました。 -
雑誌『本人』連載中から話題を呼んだ、“小説風エッセイ”である。
中村うさぎが作家志望の女性とかかわり、彼女の特異な性格に振り回された顛末を描いている。実体験に基づいてはいるものの、相手の女性の名前は変えてあるし、おそらくは多少フィクションも加えてあるのだろう。ゆえに“小説風エッセイ”と呼んでみた。
本書のもう1人の主人公・優花ひらりは心を病んでいるらしく、妄想傾向があり、言動も常軌を逸している。そこから巻き起こる騒動を描いた作品に『狂人失格』とタイトルをつけるのだから、相当にキワドイ一冊だ。
ただ、これまで自分の暴走ぶり(買い物依存症やホスト狂い、デリヘル嬢体験など)を赤裸々に書いてきた中村だけに、自らを高みに置いて優花を笑いものにするようないやらしさは皆無だ。むしろ、中村は優花の中に“もう一人の自分”“自分のネガ像”を見出し、一種のシンパシーすら寄せているのである。
本書は、前半だけはたいそう面白い。まず第一に、女流作家という存在の底にあるドロドロをえぐり出して、異様な迫力に満ちている。
自らの心の暗黒面を見つめる眼、そして、女流作家仲間を観察していびつな自己顕示欲を見透かす眼が、じつに容赦ないのだ。たとえば――。
《何かしらの自慢をせずにはいられない習性を持つ彼女たちは、ひとまず私の気持ちを慮って「賞」の話題から遠ざかったものの、今度は世にもグロテスクな自慢話に花を咲かせるのだった。
それは、「キチガイ自慢」である。
「でもねぇ、私なんか、物書きになってなかったら、ただの狂人だもの。社会性ないし、常識ないし……」
(中略)
ここで「狂人自慢」に花を咲かせる彼女たちの、恍惚とした自己肯定の笑みを見よ。狂っていることが「非凡の証」であり、「非凡」はすなわち「才能の証」である、と言わんばかりのご満悦ぶりを見るがいい。くそっ、こいつらにはホントに吐き気がするぜ!》
《ナルシシズムとは、つくづく厄介な代物だ。自分を愛するためには他人を憎まずにはおられず、それを恥じて自分を憎む者こそが実は誰よりも熱烈に自分を愛している偽善者だったりするのである。》
優花ひらりとのかかわりがどれほどすごい“精神の修羅場”に至るのかと、読みながらドキドキした。なにしろ、本書の第1章で、中村は自ら優花にアプローチしたことを「人生最大の後悔」と呼んでいるほどなのだから……。
ところが、後半になってだんだん尻すぼみ。あの中村うさぎがこの程度で「人生最大の後悔」をするのかと、拍子抜けもいいところ。
最終章「イヴの娘たち」など、中村が優花をイヴやらメデューサやらになぞらえて大仰に語っているだけで、まったくの蛇足。
前半のテンションで最後まで突っ走ってくれたら、傑作になったのに……。 -
狂人失格。中村うさぎ先生の著書。とことん自己中心的、自分勝手で自分勝手な人、究極的利己主義人間とでも言うのでしょうか。そういう究極的利己主義人間、世の中に少なくないと思います。でも人間も含めて自然界の生物の全ては本来自分勝手で利己主義なのだから、究極的利己主義人間が自分に素直、正直に生きている姿が羨ましく見える人も多いと思います。
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ネガティブな部分には無理やり目をつぶり全てを自分に都合よく解釈して物事を真っ向から解釈しようとしない逃避的思考。強引な善意の解釈があまりに不自然かつ欺瞞的。揶揄と侮蔑の対象でありながら群がらずにはいられない。何かやらかしてくれるのをワクワクしながら待っている自分がいる。プリミティブな感じのする呪力の正体は何なのか。他人事ではない自分自身の戯画として著者の模索が始まる。自分より弱い者を見つけて踏みつける自己誇示欲。特定の他者嘲笑することで己の優越を確認したいという自己誇示欲。真実でも現実でもなく脳内ファンタジー。言葉にはできない深層心理の混沌を言語化しながらその正体を見極める。
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これはダメでしょ…なんでこの本を書いてしまったんだろう。裁判のニュースにつられ、好奇心で読んだ私もダメだ。すみませんでした。
これはとても小説とは呼べない。
私小説に分類されるのかもしれませんが、創作と言える部分が多分モデルの方の名前だけでは?
ここまで「まんま」だと引いてしまう。
そりゃ、裁判にもなりますよね。
(モデルの方について、いくらか分かりましたが、感想は変わりません)
この本を書いた理由について、著者は色々と理由を重ねてはいるけれど、正直理解ができない。それは私が“凡人”だから、と著者は言うだろう。
まあ、凡人でいいわ、と思う。
凡人でいいわと思えることもまた幸せなんだなと。 -
自称「京大のマドンナ」こと優花ひらり。彼女の狂気性に興味を持った中村うさぎが彼女の実態に迫った、というか迫ろうとしたルポ。
彼女は外の世界を持たない、つまり客観性を持たない。ネットでの罵詈雑言もポジティブに受け入れ、自分が大作家となって憧れの河村隆一と会えることを夢見る。他者の言うことは都合よく捻じ曲げ、ありもしない現実に身を沈める。まるでアダムとイヴが知恵の実を食べてしまう前の、あの「エデンの園」にいるかのよう。彼女は、客観性を持った"普通の"人間が持つ苦しみ、つまり自意識という葛藤を持たない。
自意識の問題は中村うさぎ氏がずっと追い続けている問題だ。自分が満足できればいい?いや、やっぱり他者からの承認こそが必要?その狭間に置かれた人間はもがき苦しみ続ける。多くはその狭間でバランスをとりながら無理やりに自分を納得させる。だが優花ひらりは違う。そもそも自己と他者の区別が曖昧としている中で、彼女はそんな苦しみを持つことがないのだ。
ひたすら夢の中で暮らす彼女は果たして幸せか?それとも現実の中でもがき続けながらも生きていく方が幸せなのだろうか?それを判断するのは個々人だが、もし仮に、自分の夢の中のみで生きてきた人間がある日突然その夢から覚めてしまったら…これぞまさに絶望の体現かもしれない。
キリスト教的世界観で語るならば、やはりアダムとイヴが知恵の実を食べて客観性を持ってしまったことこそが、人間の苦しみの元凶だ。だからこそ、多くの人がキリストに救いを求めるのであろうか。 -
優花ひらりという登場人物は実在している人のようです。中村うさぎさんとその方とのやりとりから出来上がった内容です。 優秀な人は、ある意味狂人なのかもしれない。