街場の読書論

著者 :
  • 太田出版
3.81
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本棚登録 : 1029
レビュー : 108
  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784778312886

感想・レビュー・書評

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  • 街場シリーズは数あれど、「読書論」となればついにウチダさんの本業が主題ということになる。(作家は書くだけじゃなく、読むほうも仕事のうちだろうし)
    そういう意味もあってさすがの内容。テーマが幅広くて面白いです。

    ウチダさんの本は多くがそうだけど、今回は特に読書欲を掻き立てられた。
    とりあえず、ウチダさんの著作何作かと、トーマス・マンとカミュとヘミングウェイを読書リストに追加した。(※p280)



    memo:

    54
    「一気に読ませるもの」では、一行目でいきなり書き手が耳元にいる。つまり、「一行目から話が始まる」のではなく、「もう話は始まっているのだが、それはたまたま私にとって『一行目』だった」ということである。

    78
    「学習」は脳への入力である。「テスト」は脳からの出力である。つまり、脳の機能は「出力」を基準にして、そのパフォーマンスが変化するのである。平たく言えば「いくら詰め込んでも無意味」であり、「使ったもの勝ち」ということである。

    102
    「マルクスを読む」

    149
    私たちに必要なのは、「ダウンサイジングの戦略」である(ギリシャもイタリアもスペインもポルトガルもオランダもイギリスも)版図を世界に拡げた帝国から小国に劇的に「ダウンサイジング」した。そして、長い低迷と退嬰のときをやり過ごして、安定し、成熟した体制を整えることに成功した。

    200
    統治者の才能や徳性は被統治者と同程度である方がデモクラシーはスムーズに機能する。

    228
    自分の人生を豊かにしてくれる可能性を潜在させている人と出会うと、生物的に「ぴん」と来る。

    242
    日本におけるマルクス主義は「大人」を作り出すための知的なイニシエーションとして活用された

    313
    「本を読む人」の全員はこの「本を購入しない読者」から、その長い読者人生を開始する。

    363
    情報についての情報とはメタ・メッセージのことである。メタ・メッセージとはメッセージの読み方についてのメッセージのこと。

    407
    人間は自分宛てのメッセージでないものを理解するために知的資源を投じることについてはきわめて吝嗇である

  • 1か月以上かけて 読み終えました。
    トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』買いました。
    私に読めるんだろうか。

  • 781

  • 【私の本棚】p22
    小説を読むというのは(哲学でも同じかもしれないけれど)、別の時代の、別の国の、年齢も性別も宗教も言語も美意識も価値観も違う、別の人間の内側に入り込んで、その人の身体と意識を通じて、未知の世界を経験することだと私は思っている。
    私の場合はとくに「未知の人の身体を通じて」世界を経験することに深い愉悦を感じる。

    【ジュンク堂と沈黙交易】p81
    インターネットでお買い物というのは「沈黙交易」の今日的な甦りであるという仮説。

    【非人情三人男】p96
    「苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それをし通して、飽々した。余が欲するのはそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である」(夏目漱石『草枕』)

    【マルクスを読む】p105
    「労働者が骨身を削って働けば働くほど、彼が自分の向こうがわにつくりだす疎遠な対象的世界がそれだけ強大になり、彼自身つまり彼の内的世界はいっそう貧しくなり、彼に属するものがいっそう乏しくなる」(カール・マルクス『経哲草稿』301頁)というのは単なるレトリックではない。

    【歩哨的資質について】p177
    私たちの世界は「存在しないもの」に囲繞されている。
    宇宙の起源を私たちは知らないし、宇宙の果てに何があるのか(というより「何がないか」)も知らない。時の始まりを知らず、時の終わりを知らない。

    【140字の修辞学】p375
    長く書いて、かつ飽きさせないためには、螺旋状に「内側に切り込む」ような思考とエクリチュールが必要である。

    【補稿 「世界の最後」に読む物語】p401
    私たちは文学を通じて、今の自分と違う身体のうちに入り込み、こことは違う世界で、こことは違う空気を吸い、想像を絶した快楽を享受し、想像を絶した苦痛に耐える。今いるこの世界から抜け出し、他者たちのうちに入り込む。その経験がもたらす解放感と快楽ゆえに人類は文学を必要としているのである。

  • 気になって数えてみたら、内田樹はこれで14冊目みたいです。これだけ読めば僕も「タツラー」を名乗ってもいいでしょうか?
    街場シリーズ『読書論』ですが、読書にとどまらず教育・文体・母語・情報・エネルギー・ネット社会・死など、さまざまな分野について語ってくださっています。
    情報システムがIBMモデルからアップルモデルに変わる過程で「情報」は「商品」ではなくなったという話には目からうろこでした。そこからエネルギー問題まで持って行っちゃっうんだからタツラーはやめられない。
    例によってブログコンピ本なので読んだことのある文章は少なからずあるのですが、なかでも『学ぶ力』という文章は大のお気に入りになりました。いつか中学2年生の担任になったら、生徒に読ませようと思います。

  • いつもユーモア(毒舌)に溢れた著者です。入試問題で引用される上位2位とのことも、メッセージ性から頷けます。10代のころにオーラがあった早熟な少年たちが「じぶんがどれほど賢く有能なのか」をショウオフすることに知的リソースを投じ、ある日気がつくと狷介で孤独な中年男になっているという一文には苦笑いです。また朝日ジャーナルの熱心な購読者の意識として読んでいるという無言のメッセージを発信するためだったということもその通りです。!「国家の品格」というベストセラーがいかに品格がない本であるか!本来的に外部評価が品格を決めるはずであるのに、自ら主張するという夜郎自大ぶりを批評する主張にも全く賛成でした。まことに痛快な本です。著者がユダヤ文化論の専門とは今回初めて知りましたが、なるほど旧約聖書の引用が多いはずでした。

  • 内田先生の本も脅威の15冊め。こんなに1人の人を読んだことはない。それだけ読ませる。おもしろがせる。前半は内田先生の切り込まれた書評や本に対する思い入れのあるエピソードが多くて、これも読んでみたいなとか、こんな本があるんだーと、ページ進めるのがワクワクしてたんだけど、後半はいつも通りのブログのコンピ本になってたので、実際半分で良かったんじゃないかな。

  • 後半だけ読みました

  • 本書を私の後に手に取る人にこれがどんな本だったのかと問われれば、「面白く読める」「マルクスに対しての見方が変わる」「そもそも知らない読んだことがない本がまだまだあることに気付かされる」などとバラバラでまとまりがなく、ざっくりとした言葉を宛てることしかできないでしょう。
    その問いに対して明かな回答ができない代わりに、本書を読んでからの感想を伝えることができるとすれば、僕は内田氏の「聞いて欲しい」「伝えたい」という気持ちを心地よい言葉でテキスト化できる才能を羨ましく思う、と答えます。

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著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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