街場の読書論

著者 :
  • 太田出版
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本棚登録 : 1029
レビュー : 108
  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784778312886

感想・レビュー・書評

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  • 書くとはどういうことか、読むとはどういうことか。ある書き手の言葉が読者に伝わるとはどういうことか。
    そういうことに関する論考が集まった本です。

  • 街場の読書論
    内田さん独特の書き口で読んできた(読んでいる)本の解説を加えている著書。時に著者の思い以上の何かを汲み取り、展開していく様はさすが内田先生、非常に読みやすく、頭がよくなった気になってしまう。頭がオーバドライブする感覚、一度味わってみたい。

    下記、備忘録のため章を記載。
    (何かしら記憶の糸口があると、思い出しやすいから)

    1章 文芸棚
    シャーロックホームズの溯及的推理
    ある出来事の前段を推理する力

    2章 人文棚
    平川克美

    3章 ウチダ棚

    4章 教育棚

    5章 著作権棚

    6章 文章とリテラシー

  • ときたま内田樹のブログを読む。この人のここ数年にばかすか出た本は、ブログコンピ本が多いので、読んでいると、あーこれ確かブログで読んだなーと思う。この本は、おもに「書物」や「書くこと」について内田が書いたものが編まれている。

    とくに5章の著作権棚におさめられている文章は、「『We』がこの頃ほんまに売れへんなー」ということと照らして、いろいろと考えることが多かった。たとえば「読書と書籍購入者」には、こんなことが書いてある。

    ▼ネット上で無料で読もうと、買って読もうと、どなたも「私の読者」である。本は買ったが、そのまま書架に投じて読まずにいる人は「私の本の購入者」ではあるが、「私の読者」ではない。私は「私の読者」に用があるのであって、「私の本の購入者」に用があるわけではない。
     著作権についての議論ではどうもそこのところが混乱しているような気がする。
     もの書く人間は「購入者」に用があるのか、「読者」に用があるのか。(p.312)

    そりゃもう「読者!」に用があるわけだが、『We』をつくる経費もなんとか賄いたいから「購入者」もそれなりにいてほしい。「『We』がこの頃ほんまに売れへんなー」という実感からすると、(今のまま続けるのはかなり厳しいなア…)と思い、「こちらからお金を払っても申し上げたいことがあるので、本を書いている」(p.311)という内田の心向きを読むと、(私は『We』を出すことで何がしたいんやろう?)と思う。

    『We』の一読者だった私が、ひょんなことから「乱読大魔王日記」を書くようになり(原稿料はずーっと現物支給だった)、校正を手伝ったりの時期を経て、『We』の編集部に入った。「読者」だった頃と、変わらないこともあるけれど、「つくる、編集する」側に入って、感覚が変わったところもやっぱりある。

    読者であった頃から、『We』の行商を手伝ったりもしていたが、つくって売る側になって、より一層(『We』がもうちょっと売れへんかなー)と考えるようになったことが、いいのかわるいのか…とも思う。読んでもらいたいという気持ちと、買ってもらいたいという気持ちと、ちょっと分けて考えたほうがいいんかな…と内田があれこれ書いてるのを読んで思った。

    「このメッセージは自分宛てだ」と感じられるかどうか、そこが大事なところやと内田は書いていて、『We』を「これは、私のための雑誌や」と思える人に届けられるかどうか(そして、いま届けられているか)、のようにも思った。

    「あとがき」にある贈与と存在の話がよかった。

    ▼贈与の本質は「これを受け取ってください」と差し出すことです。そのとき手渡される「これ」にはあまり意味がありません(そう思っている人が多いですけれど、違います)。
     そうではなくて、「はい、どうぞ」という贈与行為そのものが重要なのです。
     というのは、「はい、どうぞ」は「あなたはそこに存在する」という重大な認知的言明を含んでいるからです。
     贈与に対する「たしかに受け取りました」という返礼も同じです。それは「私に贈与したあなたはそこに存在する」という言明に他ならないからです。
     「あなたはそこに(受信者として)存在する」という言明に対して、「あなたはそこに(送信者として)存在する」という鏡像的な言明が返される。この相互認知、お互いに「あなたはそこに存在する」という言葉を贈り合うこと、それがすべての夾雑物を削ぎ落としたときの贈与の本質だと僕は思います。(p.412)

    present、存在そのものが贈りものだという、西村理佐さんのお話に通じるものがある(理佐さんのお話は、『We』181号に掲載)。

    (11/25了)

  • とにかく分かりやすい。するする読める。

  • ★★ブログをまとめた本。書き手の最優先課題は「どうすれば読み手がこのメッセージを『自分宛だ!』と思ってくれるか」に集約される。つまりリーダブル、文字通り「読解可能」な文章であること。なになに?メッセージが運搬しうる最も重要なメタ・メッセージは「宛先が存在する」こと?中身より宛先?続きは『クリエイティブ・ライティング 街場の文体論』現時点で未完成本で。。。

  • 三葛館一般 019||UC

    テーマとなる本についてのエッセイ。本について書かれていたり、挙げられてはいるもののあまり本にはふれていなかったりします。
    独特の語り口調で引き込まれます。

    和医大OPAC →http://opac.wakayama-med.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=64240

  • 面白かった!
    あとがきにあるように、「言葉が伝わるというのは、どういうことか」という主題についてあれやこれやとブログ日記で論じられた文章をまとめたもの。
    1つのテーマが2~5ページと短いので、さくさく読める(内田先生風)。

    久しぶりにこうした学術的?理屈っぽい?文章を読んだなぁと(いやブログだしかなりくだけた文章なのですが、何しろ大学のセンセイであるからして、やはり内容が…)。
    脳が色んな方向からいい具合につっつかれ、動いていない細胞が覚醒するような感じだった。

    下記記述以外はほぼ賛同できた。

    「私たちは『自分の本棚』を自分の『脳内マップ』として他者の目にさらす。他人から『こういう本を読んでいる人間である』と思われたいという欲望が私たちの選書を駆動している。」

    そうなんだろうか?
    わたしはこれぞ手元においておきたい、というものを買うようにしている。
    図書館で借りて、ひどくよかった本は購入したり。

    他人の目ということは一切考えないのだけど…ううむ。

    あと、本はそもそも「商品」ではない、という著作権をめぐる論述。
    商品となったのはせいぜいこの200年くらいだと。
    買ってもらうことより読んでもらうことが大事だと。
    おっしゃることはよくわかる。わたしも読者として、書き手としては、まったくそう思う。
    ただ、出版界の事情など考えると…。
    出版業界で日々売らんかなと必死な人間には素直には聞けないお話かもしれない。

    -----
    『レヴィナスと愛の現象学』読んでみたい。

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    P169「エネルギー政策」(フレドリック・ブラウン『電獣ヴァヴェリ』)には熱くなっちゃったよ。
    中島工務店・中島社長の「もう電気はいらない」発言に「びびび」と来たというお話。

    原発依存の理由はモデルそのものを刷新できないように仕組まれていたからだというのは目から鱗(↓)。
    もう電気はいらない!(原発はいらない、という意味です。必要な分は自家発電という時代になれ。)

    テクノロジーの進化は、当然電力においても、パーソナルなパワープラントとその自由なネットワーキングを可能にした。環境負荷の少ない、低コストの発電メカニズムの多様で自由なコンビネーションによって、「電気は自分が要るだけ、自分で調達する」という新しいエネルギーコンセプトが採用されるべき時期は熟していたのである。電力においてもIMBモデルからアップルモデルへの、中枢型から離散型へ、商品から非商品へのシフトの技術的な基礎はもう完成していたのである。
    そのシフトが果たされなかった。旧来のビジネスモデルから受益している人々が既得権益の逸失を嫌ったからである。
    原発は彼らの「切り札」であった。
    国家的なプロジェクトとして、膨大な資金と人員と設備がなければ開発し維持運営できないものに電力を依存するという選択は、コストの問題でも、安全性の問題でもなく、発電が原発中心である限り、離散型・ネットサービス型のエネルギーシステムへのシフトが決して起こらないがゆえに採用されたのである。

  • ブログ「内田樹の研究室」からのエッセイ集。
    内容の濃さ、ボリューム共に思いっきり読書というものを堪能できる。
    リーダビリティの本質についての論考が興味深かった。
    独特の文章体が読みづらくはあるが、それでも、理解しようと食いついて読んでしまう。
    図書館で借りて急いで読んだのだが、これは購入して何度でも繰り返し読みたい。

  • 読んだことのある話しが多いが、同じ話でも読む度に腑に落ちることが増えていく。
    自分に向けて書かれたように感じさせるのが内田先生はうまい。

  • ブログやその他の既出の文書を集めたものなので、この本でなにか一つの読書についての論を展開しているわけではないです。
    ただ書かれていることのいくつかについてはなるほどと思いました。

    ・学力について
    学力とはテストの点のように測定できるものではなく、学ぶ力のこと。すなわち、①無知の自覚、②師を見つけるアンテナ、③師から学びとる開放性

    ・母語運用能力について
    母語運用能力の高さとは、口から出る文章の分岐点の多さであるという話。

    ・著作権について
    著作権によって著作料を得ることと、作品を読者に届けること、どちらが大事なのか?という話。

    ・論文について
    論文の序文は二回、すなわち書く前後に書く。その二つが乖離しているほど、書くことにより自分が変化したことになる。その変化がなければ、書く意味はない。という話。

    ・メタメッセージ
    メタメッセージ、すなわちメッセージに関する説明をつけ加えることで、メッセージが伝わりやすくなる、という話。

    などなど。

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著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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