街場の読書論

著者 :
  • 太田出版
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本棚登録 : 1030
レビュー : 108
  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784778312886

感想・レビュー・書評

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  • 比較的長い期間にわたって書かれた文章を集めた基本的にはブログコンピ本。まえがき、あとがきも収載されており、そこまでやるか?感というか、出版社の何とかして稼げないか?感が表に出ている印象が強いか、見方を変えれば、読書論や書くこと論について集めた編集者の情熱を称えるべきなのかもしれない。タイトルと内容がマッチしていないと感じる内容も多々あるが、内田節は相変わらずで、納得できる指摘を読むとうんうんそうだとニンマリしてしまう。

  • 12.06.xx読了。内田樹デビューの一冊。いろんなことに対して物申すって感じだけど、口調や理論が決して攻撃的ではなくおだやかで説得力あふれるものばかり。前半の故作家哲学者リスペクトはついていけないが、後半の著作権論のところはなかなか痛快。

  •  内田先生の読書本です。
    棚ごとに本が紹介されていると同時に、
    内田先生の引き出しがどばーっと開いてきます。

    引用は職業柄です。 

     司法や医療や教育は広く社会的共通資本の中の「制度資本」にカテゴライズされる。それは、これらの制度はいずれも「わからないはずのことが、なぜかわかる」という人間の能力を当てにして設計されているからである。
     というのも、司法官も治療家も教師も、実はいずれも「存在しないもの」とのフロントラインに異にする「歩哨」の一族だからである(P184)。

  • 読書論、というわりに説教くさくなくて、どういう風に本と付き合ってきたかを当人の感覚で伝えられていて、よかった。

    コミュニケーションにおいて重要なのは「宛先」なのだということが、なるほどと感じた。

  • ブログを3年分くらい一気読みした気分。後半は特にそんな感じ。読書論から文体論へ。著作権について、学ぶ力、書くことについて。静かながら熱のこもった文章が読めて心地よい疲労感を感じることができました。

  • アメリカの西漸病てお話おもしろーい。
    GO GO WESTはてんとう虫が高いところへ向かうような本能のよーなものか?な?

  • つねづね申し上げているように、「自分の賢さ」をショウオフすることよりも、「自分の愚かさ」の成り立ちを公開することの方が、世界の成り立ちた人間のありようを知る上ではずっと有用だと私は思っている。

    つまり、脳の機能は「出力」を基準にして、そのパフォーマンスが変化するのである。平たく言えば、「いくら詰め込んでも無意味」であり、「使ったもの勝ち」ということである。
    書斎にこもって万巻の書を読んでいるが一言も発しない人と、ろくに本も読まないけれど、なけなしの知識を使いまわしてうるさくしゃべり回っている人では、後者の方が脳のパフォーマンスは高いということである。
    パフォーマンスというのは、端的に「知っている知識を使える」ということである。出力しない人間は、「知っている知識を使えない」。「使えない」なら、実践的には「ない」のと同じである。

    空気を読めないのは困るが、ちゃんと空気を読みとった上で、あえてその空気に亀裂を入れる事も、時として必要になる。いや、あまりに素朴で純真なために空気が読めないということも多い。が、そういう空気の読めない素朴な視点が、その空気の邪悪さ、あるいはくだらなさを暴露することがある。アンデルセンの「はだかの王様」を思い出してみればいい。「空気が読めない」というレッテルは、いじめの道具としか思えないのである。

    未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。

  • 各書籍について、著者のフィルターを通じて語られる
    様々な視点や要素が興味深かった。


    第一章 文芸棚
    第二章 人文棚
    第三章 ウチダ本棚
    第四章 教育棚
    第五章 著作権棚
    第六章 表現とリテラシー

  • 朝日ジャーナルの歴史的使命

    夏目漱石「三四郎」新潮文庫
    西洋に対する劣等感と日露戦争後の戦勝気分とがないまぜになった片付かない心持ちで、三四郎は、列車で向かい合わせた「髭のある男」にこう話しかける。
      「然しこれからは日本も段々発展するでしょう」
        すると、かの男は、すましたもので、
      「亡びるね」と云った。

    おそらくは幕末か明治初年の生まれである広田先生は、三四郎たち「若い明治人」に向かって、「君たちがいずれ国を亡ぼすことになるだろう」と告げたのである。

    私たちの父の世代はこの「明治人」たちと「戦後派」の中間にいる。
    彼らは思春期・青春期の全期を戦争の予兆と現実のうちで過ごした、戦争の「当事者」たちである。(中略)
    けれども彼らはこの植民地侵略と戦争の起案者でも、指導者でも、主たる受益者でもなかった。そのような立場は「明治人」たちが独占していたからである。

    そして、戦争が終わり、兵士たちが疲れ切って復員してきたときに、すでに政治でも経済でもメディアでも、めぼしいポストは勝利した戦争以外に戦争経験をもたないこの「明治人」たちによって占められていた。
    そして、彼らは「八紘一宇」の代わりに、賑やかに「民主主義」の旗を振っていたのである。

    「朝日ジャーナル」は戦争の加害者であり被害者であったこの「父たちの世代」の人々、敗れた戦争、大義のない戦争が唯一の戦争体験であるような世代がようやく手に入れたメディアだった。

  • トイレ本には、最適です。
    アイデアの素にならない事もないです。

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著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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