愚民社会

  • 太田出版
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レビュー : 17
  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784778312916

作品紹介・あらすじ

近代への努力を怠ってきたツケが、今この社会を襲っている。日本の終わりを書きとめるための、過激な社会学者と実践的評論家による奇跡の対談集。

感想・レビュー・書評

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  • 読み進めるごとに、宮台・大塚両氏の諦念というか覚悟というか、とても納得できます。

    この国は、この国の人たちは、変わることなく流されるように生きていくんだな…
    どうしてそうなんだろう?と考えるけど、風土とか歴史とか地理的条件とか日本語とか…色々複雑にありそうだな…一言では言えない。

  • 読み手にもある程度の知識が必要。自分はまったく足りてないので、ところどころ分からない部分が多かった。

  • 素人置いてけぼり感のある対談
    この二人に関心がある人じゃなければとりわけ読まなくてもいい本

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    相互扶助的機能、とりわけ感情的回復機能や子供社会化機能に注目して、家族の機能を果たす「家族的なもの」をあえて家族として認めていくのです。

    伝統主義はかえって社会を破壊する。あえて機能主義に立つと社会を保全できる。これが「伝統家族から変形家族へ」の意味です。(宮台)105
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    子供のいない人も教育税の高い町村に移り住むことがある。

    子供を共同体がどのように扱っているかということが、子育てや教育に限らず、共同体がさまざまな公的問題をどのように扱っているかを示す、バロメーターになると考えられます。(宮台)125
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    周りのお母さんたちについて少しだけ弁護すると、ヨソの子を連れて行くことを主いつかなかっただけだと思うんです。(宮台)

    思いつかなかったから「土人」じゃないですか。(大塚)129
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    近代をみんなやりたくないから。ということで、共産党はないことになっている。(大塚)138
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    ローウェルはつまり日本人は猿だ、土人だといっているのにそれが自己肯定的な日本人像になっていく。

    外国人が語った日本人論によって日本文化が語られて、いわば、それが「近代」へのサボタージュの方便や根拠の一つになっている。

    「日本」とか「日本の美徳」とか称されるものの「つくられ方」は何度もいいますが、もう一度、丁寧に検証しておく必要がある。(大塚)149
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    天皇に安堵を求めるのでは、まさに<田吾作による天皇利用>につながってしまうからです。

    僕たちが何かというと天皇に安堵を求めることこそが、日本が永久に三等国家に留まらざるを得ない理由だと思います。そして三等国家に留まることを天皇陛下ご自身が望んでいらっしゃらないということです。

    近代化の不徹底を、何か別のものを持ち出して補完するというタイプの手段主義的な思考は、たとえ動員の戦略としてやむを得ず持ち出されるのだとしても、近代主義の立場からも、天皇主義の立場からも、最終的には無効だというのが、僕の考えです。182

    三島的な言説を吐くのをやめて、その後の小室直樹はウルトラデモクラット、ウルトラモダニストとして振る舞うようになったんです。そのことを通じて小室直樹は、昭和天皇への本懐を遂げたのだと、僕は信じています。(宮台)183
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    憲法意志というものがあるという前提で人びとが振る舞うことを前提にして初めて回るシステムがあるんです。

    存在しないものが存在するという前提でシステムを回すことによってしか保たれないコンスタンス(定常性)がある。250

    「憲法意志が存在する」というのは大乗的命題です。「実は憲法意志は存在しない」というのは小乗的命題です。「憲法意志は存在しないが存在するかの如くウソをつけ」がヴァジラヤーナに相当します。252

    僕が伝えたいのは、ヴァジラヤーナ的命題、すなわち社会の存続がどんなウソを必要とするのかを述べ伝えることです。(宮台)253
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    西洋的近代を支える固有の地面も、日本的近代を支える固有の地面も実はないんです。そんなものはあり得ない。254

    何かが起これば警察を呼べると思っている。ハンバーガーを注文すれば牛肉一〇〇パーセントが出てくると思っている。古泉純一郎が存在すると思っている。

    思い込みが真実かどうかということよりも、思い込みが成立し、持続するための条件を問うのが、予期理論です。(宮台)255
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    ここまで書いて、大抵の人たちが最後には必ずこう聞いてくる。「私はどうすればいいのですか」と。知らねーよ。

    あなたの「私」もあなたの「ふるまい」も、それはあなたの責任であり、それを引き受けるのが嫌なら、つまり「近代」が嫌なら頭の中を真っ白にして、魚の群れに加わりゃいいじゃないか。

    そうしていつかどこかでその群れが誰かを殺すことに、比喩として、あるいは比喩としてでなく、あなたは加担することになるのである。(大塚)306
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  • 東日本大震災と福島原発事故をきっかけとしてこの国は変わる、いや変わらなければならない、とあのとき思った。そして東浩紀の「一般意志2.0」を読み、未来に対して希望を持った。しかし2年が経ち、日本の恥部の一部が露呈しただけで一向に変わる気配がない。どうもおかしい。
    本書によると「たかだが地震ごとき、たかだが原発事故ごときで変わるはずがない」、それほどまでに深刻な状況に陥っているという。近代化への努力を怠った愚民、田吾作、土人が今更何を言うか!という痛烈な批判。
    暗くなる未来予測だが、「今いる『土人』たちはどうしようもないが、次の世代までそのことにつきあわせる必要はない」という大塚氏のあとがきに、ほんの少しの救いを見、重い肩の荷を感じた。

  • ──ぼくが震災後この国の言説に乗れないのはそこでつくり出されるものが相も変わらず「魚の群れ」たちによる「空気」であり、その「空気」を「愛国」と呼ぼうが「反原発」と呼ぼうが同じである──
    ──そして今や、大衆を動員するのではなく、「大衆」にメディアも知識人も「動員」されている。首相も東と西知事も、そしてある意味で「天皇」さえ「大衆」に動員されている。──
    大塚英志氏のあとがき部分からの引用だが、その通りだと思う。今の日本人に絶望している大塚氏の「土人」と切って捨てる言説は耳に痛い。

    よくある「日本人ダメ論」なので読んでて気持ちのいいものではないし、いちいち「○○によれば」「○○にもあるように」「○○的にいえば」などといった他人の言説をもってくるので、知っていればいいが知らないとさっぱりつたわらず、ややすると自分達だけがわかっているといったオナニープレイのような文章なので本としてはおススメとしにくい。
    対談集なのでこのへんはしかたないのかもしれない。

  • 『トゥルーマンショー』や『マトリックス』ではないが、「外側」に気付くことなく「マターリ」生きるのは、それはそれで幸せなのかもしれない。でも、私は、たとえすべてを知覚するのは不可能だとしても、置かれた状況について「自分の頭で考える」ことを徹底的に実践し続けていきたい。また、そういう個人を応援していきたい。そのような意味において、宮台氏の「共同体自治」や大塚氏の「カリキュラム」への取り組みには今後も期待したい。

  • 震災後の極端な二項対立での反原発、がれき広域処理反対を冷ややかに見ていたけれど、それではいけないと感じた。自分も土人であると意識し、自力で思考する、どうすべきか考えるきっかけになると思う。

    著者の両氏とも立場の変遷を素直に話し、誤ったと認めているので、地に足のついた内容になっていると感じた。自論を守るためにまた論を展開されると、ますますついていけなくなるので、、、。
    また、それぞれの主張について、背景や詳細な説明、備考が豊富であるのがよい。難しいと感じた話でもなんとか読むことができた。

    大塚氏が「人は教育によっていかようにも変わることができる」といっている。子供には「空気に従うのではなく自分で考える」習慣を身につけるよう促す。できれば周りにも広げていきたい。その点で私自身は弱いところがあるので、自分も意識していく。

  • 「土人」としての日本人。田吾作。
    国益。
    民度。
    日米関係。
    巨大システムとその非常時における不能性。

    気づいたのは、この手の対談ものは原則一気に読むべきだということ。途中で他の本を読んだりもしていたが、それが理解を大きく妨げていたようだ。

    あとがきの最後の一文を引用しておく。

    “そうしていつかどこかでその群れが誰かを殺すことに比喩として、あるいは比喩としてでなく、あなたは加担することになるのである。”

  • 震災後の日本に渦巻く『空気』

    常に日本に漂う『空気』

    そしてその『空気』に流され続ける日本人。

    自分で責任を取ることのできない国民が『空気』に流されるのだ。

    『震災後』『脱原発』『非日常』どれも皆『空気』なのだ。

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著者プロフィール

大塚 英志(おおつか えいじ)
1958年生まれ。まんが原作者、批評家。国際日本文化研究センター研究部教授。まんが原作者としての著書に『多重人格探偵サイコ』(田島昭宇画)『黒鷺死体宅配便』(山崎峰水画)、民俗三部作『北神伝奇』『木島日記』『八雲百怪』(森美夏画)、『恋する民俗学者』(中島千晴画)など。
評論では『「捨て子」たちの民俗学――小泉八雲と柳田國男』(角川選書/第5回角川財団学芸賞)、『公民の民俗学』(作品社)、『怪談前夜 柳田民俗学と自然主義』『殺生と戦争の民俗学』(ともに角川選書)などがある。

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