永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04)

著者 :
  • 太田出版
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レビュー : 99
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784778313593

作品紹介・あらすじ

「永続敗戦」それは戦後日本のレジームの核心的本質であり、「敗戦の否認」を意味する。国内およびアジアに対しては敗北を否認することによって「神州不滅」の神話を維持しながら、自らを容認し支えてくれる米国に対しては盲従を続ける。敗戦を否認するがゆえに敗北が際限なく続く-それが「永続敗戦」という概念の指し示す構造である。今日、この構造は明らかな破綻に瀕している。1945年以来、われわれはずっと「敗戦」状態にある。「侮辱のなかに生きる」ことを拒絶せよ。

感想・レビュー・書評

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  • 刊行は5年前だけど、全く内容は古びていない。それはこの本の先見性ではなく、日本の抱える問題が当時と驚くほど変わっていないから。それどころか深化してしまった感がある。

  • なるほど「永続敗戦」か。半分ぐらいは同意出来たかな。それでも、敗戦から終戦に向け「何をすべきか」にもっとページを割いて欲しかった。

  • 本書は漂白しようにも拭いきれないイデオロギー臭に満ちています。
    「朝日新聞書評(2013/6/16)で大絶賛された」実績は伊達ではありません。
    私も言動に問題有りだと思っている石原慎太郎ですが、本書では彼を品性の無い言葉で罵っています。
    このように感情的で下品な言い回しを活字にしている書物を絶賛する新聞社もどうかと思います。

    本書ではアジアとアメリカとで日本が戦後にダブルスタンダードな対応をとってきたことを批判します。
    しかしその批判の内容は、総じて自身のイデオロギーに反する政府の決定を「侮辱」として片づけているにすぎません。
    難しく考える必要はありません。
    日本が中国に対して敗戦を認めない理由、それは8月15日の時点で日本軍が大陸に戦線を張っていたという事実です。
    ロシア(ソ連)に対して敗戦を認めない理由、それは中立条約の一方的破棄ゆえの、倫理的に敗戦していない感覚です。
    朝鮮半島の国家に対して敗戦を認めない理由、それは戦ってすらいないからです。
    第一次大戦でドイツが禍根を残すほどに敗戦を認めたがらなかったことと状況が似ています。

    でも実際に日本は敗戦を迎えました。終戦ではなく敗戦を強調することに本書と同じく、私もためらいません。
    終戦という言葉でお茶を濁すのはやめにしようという思いに賛同します。
    敗戦を終戦と置き換えることによって、当時の日本人が当事者意識をどこかに投げ捨てたことは欺瞞です。

    だからといって敗戦という事実に則して、馬鹿正直に現代日本の行動原理をも敗戦を前提にする必要があったのでしょうか。
    こんなことを言うと、それこそ著者のいう侮辱であり、欺瞞であり、なんて不誠実な対応なんだと怒られそうです。
    しかし、その憤怒発露の理由は、著者が国際社会における客観的正義の存在を信じる優等生だからです。

    戦後日本が語ってきた欺瞞は内政に外交に大変有効でした。
    内政的には、敗戦の現実を受け入れることによる社会不安を緩和しました。
    社会主義革命や暴動などを抑えてきた実績があります。少なくともそのように見えます。
    冷静に考えればあんなファナティックな戦争の後で本土進攻がされないまま占領されたにもかかわらず、旧軍による反乱や革命が起きない方が不思議であって、イラク戦争やアフガン戦争みたいに収拾つかない方が当たり前のはずです。
    だから敗戦という事実を知りながら、敗戦といわず終戦と言ってきたのです。敗戦が人に与える鬱屈を緩和し封印するために。
    まだやれた感、勝てなかったが負けてはいない感、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」の強がり、そんなものは全て幻想です。
    今となっては欺瞞であることは百も承知ですが、敗戦直後の混乱と無政府状態を回避するため実際に強がる人をそうやってガス抜きしてきたのです。

    そして冷戦時代においてはパワーポリティクスを生き抜くため、必死でばかなふりをしてそれを終戦だと言い張ってきたのです。
    もう、敗戦という事実から与えられるダメージを終戦と置き換えることにより最小限に抑えたかったのです。
    なにしろ干戈を直接交えなかったものの、冷戦という世界戦争の最前線で戦っていたのですから。

    そんな苦しい工夫から得られた果実を戦後散々ほおばっておいて、今だれが大上段から批判できるでしょう。
    少なくとも本書のようにイデオロギー的な観点から感情的に批判するのは的が外れていると言わざるを得ない。
    また、あまりにも言い回しが扇動的すぎて、一部のそういう思想の人からは共感を得ても日本人の大勢の支持は得られないでしょう。

    しかし、その果実も時代が代わり食べどころが無くなってしまっているのは事実です。
    これからは、この終戦という用法を批判をしましょう。批判は、戦後そうしてきたように、これからの日本が生きるための建設的で国際的時流にあった批判であるべきなのです。敗戦という事実が武器にだってなりうる可能性すら考慮に入れることは、やはり欺瞞でしょうか。

  • ここ数年で頭角を現してきている若き論客とのことで読んでみた。
     目立って新しいことは言ってないが、やたら被害妄想的な記述が本書では目を引く。もっと大胆に将来展望を掲げた主張をしてるのかと思ったが、批判が目立つ(まずは戦後の総括が必要だと随所に書いてはあるが)。理想や理念といったものがあまり感じられなかった。相手があっての批判。それによる己の立ち位置ではなく、自分がこうしたい、ああしたいというのを聞いてみたいと、まず思った。

     好意的に見るなら、国民を覚醒させる意図で書かれているのであろう。ならば、よし(敗戦の事実を無意識に抑圧している国民こそが主犯であるという著者の主張だ)。そう、批判は国、政府だけに向けられるものではない。国民も、その時は「終戦」を受け入れたのだし、その後の時代も享受・謳歌してきたのだから。なので、戦後これまでの暮らしは、著者がのっけから言うような”屈辱”(大江健三郎のスピーチを引用して)では決してなかったよ。鋭利な言葉で読者を煽ろうとする意図が透過しているようで引いてしまう。
     3.11後のこの国の対応、その後の福島にまつわる諸問題を以てして、戦後の対応そのものが全て批判されるのもどうかと思うが、第1章はアジテーターとして読者を煽っている導入部として読めばよいかな。事実誤認とまではいかないが、自分の論調に沿う、それを補完する事実だけを都合よく並べ立てている気がする(それもテクニックだが)。

     領土問題を取り上げる第2章からは、事実、歴史を整理して、それなりに説得力のある部分。ロシアに関わっていると佐藤優を読むことが多いが、佐藤もきちんと二国間の条文、宣言などを元に国として主張するところは主張すべきと常々説く。この著者もこう言う。
    「実際にどのような文面に署名がなされ国家の意思が刻印されたのかを知らずして、国家の現在の主張の是非を判断することは決してできない」
     その通りだ。日本を取り囲む三方の領土問題(北方領土・尖閣諸島・竹島)の各々の性質の違いが分かりやすく分析されている。

     ただなぁ、若さゆえなのか、頭良すぎるのか。いや、ホントに頭がいいなら、もう少し簡素に分かりやすく書けばいいのにと思う。
    「自明の事柄に属する」って、「それは当たり前のことです」って意味でしょ?(笑) 「問題は親米か反米かということではありません」て言うのを、”「親米か反米か」という問題設定は斥けられるべき偽の問いにほかならない"って、わざわざそんな論文調にするかなぁ(「斥けられる」って思わず辞書引いちゃったよ)。書いてるうちに自分の論調に酔ってくるのか。これも扇動者の性ではあるが、どうかそれは本性でなく、技法として分かって使っていると思いたい。
     あとエピローグは要らなかったでしょ。理路整然と語っていたものが、最後に、実は小さな出来事の個人的感情から出てきたものかと(それも大事ではあるけど)、理念が矮小化されてしまった感がある。

     でも、今この時代に、こうした意見が出て、それがしっかり社会に受け止められ、本書の発行部数もそこそこ伸びているのは良いことだ。日本はまだ健全なんだと思う。週刊誌(東洋経済?ダイヤモンド?引用元をメモっておくのを忘れた)で、大学でなぜレーニン研究をしてきたかと訊かれて、こう答えていた。
    「革命の理念みたいなものを失ったとき、社会はどうなってしまうのか、という関心がありました。革命というのは<外部>です。<外部>がないと何がおきるかというと、人は病むのだと思います。オウム事件というのは、その病み方の一つだったのでしょう。」
     彼は、今、意図して<外部>になろうとしているのかな。

     そして単に戦後の対米従属を批判しているのでなく、そのあり方というか、時代が変われば、同じ従属であっても、やり方も変わるだろうと言っているのだと思う。そして、まだ我々は変わることが出来る、その選択があることを言っているのだろうな。
     日米同盟も、もう過去の形では今後永続しない(日米同盟が終わるリスクがあるという著者の指摘は当たっていると思う)。ただ、同盟が終わって、再びアメリカと事を構えるかというとそれは違う。現在の敵はそっちじゃないよね。その時の備えを今、日本は進めている(分かりやすく攻撃の的にされやすい集団的自衛権や軍事力強化など以外にも)。 それを、「敗戦」を正面から受け止めず、「終戦」と言って誤魔化しアメリカに追従してきたことで、アメリカ、安保を盲目的に支持する右派と、己の主張もなく反対することで存在する左派がいる云々、という戦後から”永続”する対立構図で説明しようとする論調、その構図の中で今の国家としての対応を批判するのもどうかなぁ、という気がする。

     ただ、きっと著者は分かっている。分かっていてアジっている。だから、どんどん語調が論文調、演説調になっていく(あえてそうしている、と好意的に見る)。先の週刊誌のインタビューでも「国家には国家のロジックがあり、それは国民を幸せにするかどうかとは別次元のもの。」と言っている。
     国民一人一人が無関心、無自覚を脱却し、物事を判断して、選択し行動することを我々に促しているのだろう。
     そして、まだ我が国には、その「選択」が残されている。それがあれば、いいじゃないかと思う。どっちを、何を選ぶのも自由だし、結果は後の世になってみないと分からないものだから。

     今はまだ、しょせん<外>からの意見でしかないが、著者にはいずれは中からの破壊者になってほしいなと思った。感情的に、なんの覚悟も出来てない輩の遠吠えかと思わせる前半を読んでいる時、ふと「侍ジャイアンツ」という子供のころ見たTVアニメを思い出していた。
     読売巨人軍が嫌いな主人公。漁師の父をクジラに殺された体験から、クジラ≒「強くてデカくて威張った奴」に異様な闘志を燃やし、巨人を野球界のクジラとしてアンチ巨人、打倒ジャイアンツを目的とするが、川上哲治監督に、外からギャンギャン言ってないで、中に入って内側からその腹を破れと説得される(そして巨人軍なんてちっぽけなものでなく、野球という大きなものを変えていってくれという川上哲治の願いを叶えていく物語)。

     本書の中のこんな文章を読むと、そのつもりはあるのだろうなという気もする。
    「私は、国体なるものの本質とその戦後における展開の軌道を見通し得たと信ずる。問題は、それを内側からわれわれが破壊することができるのか、それとも外的な力によって強制的に壊される羽目に陥るのか、ということに窮まる。前者に失敗すれば、後者の道が強制されることになるだろう。それがいかなる不幸を具体的に意味するのか、福島原発事故を経験することによって、少なくとも部分的にわれわれは知った。してみれば、われわれは 前者の道をとるほかない。」

     批判だけじゃ何も始まらないよ。でも、甘んじて現状を受け入れる無自覚な者は目を覚ませ、と。そして、あとがきでガンジーの言葉を引用して著者は筆を置く。

    「あなたがすることのほとんどは無意味である。それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、あなたが世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」

     本書の主義主張はともかくとして、大いに知的刺激を受けた一冊だった。

  • こういう人っているよね.文章を書きながら「俺は今すごい論文を書いているんだ.俺は偉いんだ」と高揚して行って日本語では「当たり前だ」と言うところを論文語で「自明の事柄に属する」と言ってしまったりする.レジームと言う曖昧な言葉が連発されるのも気になる.でも内容はご立派.

  • 冒頭で著者は「私らは侮辱の中に生きている」という大江健三郎の言葉を引用する。

    たしかにそうだと思う。
    原発事故後の対応を見て、この国の政府が国民の生命と安全を守る気が無いことが良く分かったし、アメリカというよりむしろ軍産複合体の利益にしかならないような違憲立法がゴリ押しで今まさに成立しようとしている。TPPの例を見ればわかるように、日本はアメリカにとってもはや収奪の対象でしかない。そして、それを「粛々と」主導しているのが、自称「愛国者」という倒錯。

    この日本という国の、一見理解不能な自己矛盾を理解する手掛かりになるのが、著者の唱える「永続敗戦レジーム」なるもので、簡単に言えば日本人が無意識にしている「敗戦の否認」のことだそうだ。

    この問題を「アメリカが悪い」と言ってもどうしようもない。そもそも国家とはそういうものだから。敗戦の事実を無意識に抑圧している国民こそが主犯であるという著者の主張に私は同意する。

    そこからの脱却は「われわれは、負けたのであり、負け続けてきたのであり、負けている」という敗戦の事実を認識することからしか始まらないという。しかしこのようなトラウマに向き合い克服することが、大きな痛みを伴うことは避けられない。

    日本人にできるだろうか。できないとしたら、将来われわれが払う代償はとてつもなく大きなものとなるだろう。

    • creerさん
      おっしゃることに深く同意します。「トラウマに向き合い克服することが、大きな痛みを伴う」。この点が本当に重要なところだと思います。痛みを受け入...
      おっしゃることに深く同意します。「トラウマに向き合い克服することが、大きな痛みを伴う」。この点が本当に重要なところだと思います。痛みを受け入れ、乗り越えるには、相当な知性が必要とされるような気がします。
      2020/02/07
  • 日本の八方ふさがりの状態を、何故こういう風になっているかの根本をわかりやすく整理してくれて、とても腑に落ちた。あとがきにある、「物事の順序を守る」とか「『真っ当な声」を一人でも多くの人が上げなければ」という熱い思いが伝わって来る。

  • 「対米従属」と「敗戦の否認」によって構造化された日本の状況を「永続敗戦」という概念で捉えなおし、社会変革を訴える本。著者は1977年生まれのまだ若い政治哲学・社会思想の研究者です。

    まず目につくのが語り口の暑苦しさでしょうか。現状に対する不満を全面的にぶちまけたような文章、ほとんどアジっているような感じに映りました。ことに「親米保守」的なものに向けられた舌鋒は鋭い。"国内およびアジアに対しては敗戦を否認してみせることによって自らの「信念」を満足させながら、自分たちの勢力を容認し支えてくれる米国に対しては卑屈な臣従を続ける、といういじましいマスターベータ―"(P.48)。個人的には「親米保守」的な論調には大いに違和感があります。同じように感じている方にとっては痛快な本といえるでしょう。ただし著者は決して単なる反米主義者ではなく、"「親米か反米か」という問題設定は斥けられるべき偽の問いにほかならない"(P.129)と述べており、問題のありかを日本社会の内部にみています。

    領土問題に関して述べている第2章は比較的マイルドな印象でした。条文を引用しながら、説得力のある整理をしています。なんでもかんでも都合のよいように解釈するのではなく、事実ベースで筋が通っており、北方領土・尖閣諸島・竹島それぞれの性質の違いが浮き彫りにされています。"実際にどのような文面に署名がなされ国家の意思が刻印されたのかを知らずして、国家の現在の主張の是非を判断することは決してできない"(P.54)。その通りだと思います。

    それから印象に残ったのは、"どれほど熱烈に国体を支持するもの(すなわち右翼)であっても、「革新」を口にした途端、その者は「左翼」と分類されるべき存在となる。してみれば、国体とは、一切の革新を拒否することにほかならない"(P.182)という文章でした。戦時中の「近衛上奏文」から導き出された結論ですが、現在の日本社会においても通じるところがあるように思われます。

    本書を手に取ったのは、どちらかというと著者の主張を知りたいというよりも、本書が提起した問題とそれに対する世間の反応を知りたいと思ったことが理由でした。外見の割に歯応えのある本ですが、議論・思考に入るきっかけとして、政治に興味がある方であれば読んで損はない一冊かと思います。

  • 大きな台風は動きが遅く
    まだ、危険がいっぱいです。
    あまり出歩かないように、お気をつけ下さい。





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    いやはや、、難しい本を読みはじめてしまった。。。
    何度か後悔しましたが、コレはどうしても読み終えねばならぬ、
    そんなふうに、難しい言葉の海をかき分けて、読了。

    超訳『日本国憲法』~の本は、読みやすく
    実に簡易な言葉で、書かれていたのですが
    この本は、ちょっと私には難しい言葉が多かった。
    がしかし、こんな私でも著者が発するメッセージは
    少しは届いた、、、と、思う。

    今、集団的自衛権しかり、
    福島原発事故しかり、
    すべての政治の動きは、
    責任をうやむやにしてしまって来た
    政治家及び、我々国民にも
    産み出す素地があったということ。
    それは敗戦から。。。

    中に書かれている言葉で、こういう一節が
    『占領軍の「天皇への敬愛」が単なる打算に過ぎない
    ことを理解できないのが戦後日本の保守であり、
    このことを理解はしても、
    「米国の打算」が国家(アメリカ)の当然の
    行為に過ぎないことを理解しないのが戦後の左派である。
    いうなれば、前者は絶対的にナイーブであり、
    後者は相対的にナイーブである。』

    敗戦国だという事実から、冷静に考えれば
    ポツダム宣言によって切り離された領土に関しての
    日本の主張。

    この時に日本国と同一だったと
    戦勝国からかんがえられていた韓国や
    当時は革命前の国だった中国は列強からポツダム宣言から
    排除され、ますます複雑に。
    そのうえ革命前と、日本に占領され解放された前の中国の
    ダブルスタンダードな主張。

    沖縄駐留と米国からの圧力でソ連(ロシア)に対して
    主張させられた北方領土。

    敗戦、原爆を受け焦土になった日本。
    これをただ、情感だけで捉えてはならない。
    勝てるはずも無い戦争をおこし、
    完膚なきまでの状況になりながら
    原爆まで落とされる。
    国民を守る為には、もっと早い見極め
    敗戦宣言をすれば、被害はもっと少なく
    防げることも多かったはず。
    戦争を起こしたことの国民に対する責任も
    反省も無く、今では敗戦した事実さえ
    ポツダム宣言の事実さえ忘れようとしてる。
    戦争を起こさせない為の憲法であったかもしれないが
    それを変える意味は、戦争を起こすかもしれないという
    可能性であるし、そんな政治家を放任していいのかという
    問いも見えてくる。

    情感で走ってしまう国民性の怖さ。
    いま、自分たちの心の中を深く見て
    戦争をしないのか、まだ、したいのか?
    どういう未来を考えているのか?
    考え直さなければいけないのかもしれない。

    敗戦したのだ、という事実。
    ここを忘れなければ、
    すっきりしない問題がだいぶ輪郭が見えてくる。
    難しい本でしたが、ある意味気持ちのいい
    すっきりとは、してる一冊でした。


    日本が大好きで
    誇れる国にしたい気持ちの国民が多いと思います。
    だから、もっと知らなければならないことも
    多いのですね。

  • 「敗戦の否認」によって、日本が「永続敗戦」状態にあり、アメリカとの関係や領土問題の他、様々な捻れを生じさせていることを指摘した本。

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著者プロフィール

白井聡(しらい・さとし) 1977年、東京都生まれ。政治学、政治思想。

「2020年 『街場の日韓論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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