国貧論(atプラス叢書14)

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  • 太田出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784778315313

感想・レビュー・書評

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  • 資本主義の欠陥は過剰を止められないこと=マルクス
    利子を取ることは神の所有物である時間を奪うことを意味するため、当初はキリスト教でも認められなかった。

    アメリカでは、大手銀行のうち4つが破綻してGSだけが残った。
    3年に一度、バブルが起きる

    20世紀は極端な時代、人口爆発、化石燃料の消費など。

    年間で、企業の資金余剰が23兆円、家計部門と合わせて48兆円。これが国債購入の原資。

    ケインズ的な大きな政府も、グローバル資本主義では焼け石に水、かつてのような乗数効果がないから。

    世代間の価値観が収れんしている。(見田宗介)

    石油価格の交易条件が改善しても、国内に投資機会がないから景気は良くならない。
    より速くより遠く、は世界全体が豊かにはならない。

    日本の過剰資本はチェーンストアにあらわれ、世界の過剰資本は粗鋼生産に現れる。

    東大物価指数=スーパーのPOSに基づく日々の物価指数。
    極端な格差は文明の一つの条件(ピケティ)

  • 今日の書籍は「国貧論」水野和夫著。著者の略歴を紹介すると、早稲田大学大学院経済学研究科修了後、八千代証券(現三菱UFJモルガンスタンレー証券)に入社後、2010年退社、同年内閣府官房審議官、法政大学教授と素晴らしい肩書を持った方だ。

    本書は簡潔に言えば「反リフレ派、ゼロ経済成長下でのマクロ経済運営、資本主義の限界論」であり、「アベノミクスの失敗」を理論的に詳述したものであり、これからの日本の経済政策の良き道標となるべきものだ。アベノミクスに限界を感じている方はぜひ読んで欲しい。

    まず、近代において「成長がすべての怪我を治す」時代だというと、19世紀は「経済主義の時代」、20世紀を「技術の時代」だと特徴づけられる。

    しかし、その原則が通用したのは「新大陸発見」などによって、実物投資空間が無限に広がっていた時であり、アフリカまでグローバリゼーションが進んだ21世紀において、物理的な空間は「閉じて」しまったのである。

    それでも、資本は自己増殖した。カネがカネを生む新しい空間、金融資本市場のバブル化である。このような資本主義は雇用を新たに創出するどころか、バブルが崩壊するたびに大リストラを断行して、賃金水準を引き下げていく。詳述は避けるが日本も例外でなく、国民の賃金は下がり続け、一方で大企業は史上空前の利益を叩き出している。

    著者はそもそも、小泉純一郎内閣や安倍晋三内閣の「改革なくして成長なし」が間違っていると述べる。

    なぜなら、誰が成長しているかというと株主が成長しているに過ぎないからだと喝破する。賃金は1997年以降、年平均で0,79%下落している。

    また雇用について検討してみると、安倍政権が誕生して以来、正規雇用が5万人減少し、非正規雇用が162万人増加している。

    結論として政府が成長戦略をとればとるほど、家計は困窮化していったのだ。

    それに対して、企業とりわけ資本金10億円以上の大企業からみれば法人減税も実施されるなどし、大企業のROE(株主資本利益率)は2012年4,1%から2015年に7,4%に達した。

    したがって、著者はいま問わなくてはいけないのは、「成長戦略」を誰のために実施しているかであるという。

    すなわち、アベノミクスは家計でいえば、生活の程度が「上」(1%)の人と資本金10億円以上の大企業のための「成長戦略」であるということだ。

    政府が企業に欧米並みのROEを求めれば求めるほど、人権費圧縮が生じ、生活の程度が「中の中」以下の人々のDI(「今後の生活がよくなる」から「悪くなる」)を引いた値は一段と悪化することになる。

    では資本主義の将来はという点に筆者は「資本主義と結びついたグローバリゼーションは、必ず別の周辺を生み出す。グローバル資本主義は、国家の内側にある均質性を消滅させ、同じ国の内部に「中心」と「周辺」を作り出す。そもそも資本主義はその誕生以来、少数の人間が利益を独占するシステムに他らないという。

    20世紀までの資本主義は、原油などの資源がタダ同然で入手できる前提で、日米欧の先進国が富を総取りできた。しかし、グローバリゼーションが発達し、新興国や途上国の人々全員が資本主義の恩恵を受けるチャンスがあるという前提になると、「安く仕入れて、高く売る」といった近代資本主義の成立条件は崩壊する。

    したがってその過程で、資本は国内に無理やり市場を作り、利潤を確保しようとする。その象徴がサブプライムローンであり、日本の労働規制緩和である。すなわち日本では労働規制の緩和により、非正規社員を増やし、浮いた人件費や社会保障費を利益に計上、株主に配当した。

    この結果一部の富裕層にますます資本は集まり、その一方で搾取される貧しい人々が増える。

    こうした問題に対して金融緩和と財政出動で対応して世界に先駆けて、バブルを経験しデフレに陥ったのが日本に他ならない。

    ここでアベノミクスのキーワードである日銀の金融緩和について考察する。金融緩和がインフレを起こすには、貨幣が物やサービスへの需要に結びつく必要がある。そうして需要不足が解消された時、初めて物価は下げ止まり、雇用も拡大して賃金も上がるのである。

    アベノミクスで安倍総理が自らの手柄話にする「株高」であるが、株式とは企業の業績見通しを反映して、値が付けられる。円安でトヨタの株価が上がるのは自明だろう。

    そして日本の株価全体が上がっている現況は、本来は日本国のGDPがこの先、上がり続けると見通しを立てなければ生まれない。しかし統計を見れば明らかなように、1997年を最後にGDPは上がっていない。

    結論から書くなら、アベノミクスは小泉純一郎総理の以来の「成長戦略」の帰結として破綻したのである。つまり、いまアベノミクスの数年間の当否が問われているのではなく、小泉政権以来の十数年間の経済政策が誤っていたといえよう。

    続いて、資本主義の後にどのような社会・経済システムが生まれるかを考察する。筆者は資本主義は利子率、もしくは利潤率によって決定づけられると考える。ある額の資本を投下して極力多くの利潤を得ることが資本主義の基本である。

    利子、つまり金利はもっとも重要な数値となる。その利子率が低いということは、資本主義経済において利益が上がらない状況を意味し、大変大きな問題であり資本主義体制が根詰まりを起こしていると考える。

    中世ジェノバでの1%という低金利状態の際には陸(スペイン)から海(イギリス)への覇権の交代に伴った、様々な資本主義の主体の変更が行われた。

    しかし、現実のアフリカのグローバリゼーションが何を意味しているかというと、この星のこれ以上の資本主義を発展させる空間がないということだ。

    本来的に資本主義は少数の人間が利益を独占するシステムとして歴史に登場した。1870年~2001年の間、地球の全人口のおよそ15%が豊かな生活を享受した。先進国たる日本もこの中に招待された一員だった。

    「一億総中流」が実現したのもこの時代である。一つの国家内での国民経済の均質化は、先進国の特徴とも言えたが、それは残りの85%の世界の後進国の人々の犠牲の上に築かれた資本主義社会の昇華でもあった、

    つまり、21世紀になるまで資本主義のルールを決めてきた先進国の15%の人々が、残りの85%のから安い資源を輸入して、高い付加価値をつけて輸出し、巨大な利益を享受してきた。したがって、資本主義が決して世界の人々を豊かにするシステムではないことは明白である。

    では、このようなグローバル資本主義の解決策、ポスト資本主義とは何ぞや?ということになる。それは一言で言うと、ゼロ成長社会を構想するということだ。

    ゼロ成長社会とは、経済的にはまず純投資がなくなることを意味する。投資は減価償却費の範囲内のみで行う、といったことだ。あとは消費だけが基本的な経済の循環をつくっていくことになる。

    例えば、家計でいえば自動車1台の状態から増やさずに、乗り潰した時点で買い替えるということである。

    買い替えサイクルだけになると、例えば内需で売れる自動車が600万台だったのが、翌年は500万台、翌々年は550万台と多少の増減で推移していくが、少子高齢化で人口減少しているため、台数のピークは人口が9000万人で横ばいになった時、定常状態になる。

    これは名目成長率でも言い替えられる。97年から名目GDPは毎年1%弱下がり続けている。ピーク時に524兆円であった名目GDPは、2014年は485兆円までに縮小し、金利もほぼ同じテンポで下がっている。それでも一人当たりのGDPは4万6千ドルで、アメリカ並みになる。

    しかし、日本にはストックとして、1,000兆円の借金があり、フローでも毎年40兆円の財政赤字を作っている。この借金をどうすればいいのか?「ここのこそ日本が模索すべき「定常状態」のゆたかさを享受するヒント」が隠されている。

    定常状態を維持するのに欠かせない条件、ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレを日本はすでに手にしているといってよいだろう。しかしこれだけでは不十分で、基礎的財政収支(プライマリーバランス)を均衡させておくことが必要になる。

    このプライマリーバランスをゼロにするためには、増税はやむを得ない。消費税も最終的には20%近くの税率にせざるをえないだろう。だが、ここで問題なのは、財政均衡の打開策として、累進性の強い法人税や金融資産課税を増税するしかない。

    現在の経済システム化では、富を生むものは金融資産しかない。資産が資産を生むという状況を作る政策を政府・日銀はとってきたのだから、そこで増えた分から税金を取るしかこの危機的な税制状況を抜けられる術はないものと思われる。

    そこで、もっとマクロな視点での日本のゼロ成長時代の制作だが、日本国内をブロック化することで、企業のナショナルブランドは無価値になる。リージョナル(地域)ブランドを作るには、分社化が必要になる。巨大総合スーパーは近代の遺物であり、ポスト近代は地域特化型のスーパーである。売上高の11%を占める企業利潤を人件費に順次振り替えていけば、人件費はおよそ1・5倍に増える。その一部を家計は地域金融機関に利息ゼロの株式預金として預ける。株式預金は預金保険機構の対象外とする。地域住民が地域金融機関を通じて、企業の利害関係者となるのである。株主の構成が近代とは全く異なることになる。

    すなわち、利子率がゼロとなった21世紀の現在、中世から800年たって、利子を生まない世界(すなわち資本主義の終焉)になったので、中世同様、ゼロインフレが正常となってインフレは例外状況になったのである。

    そこであらたな「中世」へ向かうには我々の世代はどうすればいいかを本書では詳述している。これは誤解を恐れず書くなら、新たな「中性化」ということかもしれない。中世かをいくつかのポイントからみてみる。

    ■人口─2050年以降、人口成長率ゼロないしマイナス
    2050年になればアフリカ大陸を覗けば、人口の伸び率は全部、マイナスかゼロになるため、それ以降は人口についても確実に中世の時代だといえる。

    ■価値観─「世代間の価値観の収斂」(見田宗介)
    社会学者の見田宗介が言っている「世代間の価値観の収斂」といいうことがある。NHKの世論調査では、今の親子は価値観の差が全くない。数値化され昔「2」ほどあったものがいま「0,01」となっているという見方だ。例えば親子のファッションが一緒になる。

    ■社会─「相続の黄金時代」(ピケティ)
    ピケティによれば、21世紀は「相続の黄金時代」である。中世も相続社会で実力のある人も、親から財産をもらわないと財産を築けなかった。相続の黄金時代というのはフランス革命の前の時期のこと。21世紀末にまたそのようになりそうだ。

    ■権力構造─「帝国の時代」(ジャンマリ―ゲーノ)
    ジャンマリ―ゲーノに言わせれば21世紀は「帝国の時代」である。債務問題を抱えたギリシャは、気の毒にもドイツのメルケル首相に頭をさげないとユーロに留まれないという事態に陥った。最近はギリシャが開き直っているように多少開き直っても良いのではないか。

    そこで上記も踏まえた筆者の日本への処方箋だが「地方分権」である。我が国の500兆円経済は、5つのブロックに分けるには、ざっと一つが100兆円規模になるように塩梅するのである。

    人の移動は、甚だ不自由なのがよろしい。例えば地方の若者が高校を卒業して地元の国公立大学を目指すなら、学費は免除、中央の東京大学や東京工業大学に入るというなら学費は2倍にするのである。優秀な成績で地方の大学を卒業した若者は優先的に地元の地方自治体や地方銀行、その地に本社のある会社に採用させる。

    会社も東京本社を引き払って地元に戻るなら、法人税を東京より割安にするのがいい。交通も域内の料金は無料にして、域外に出るときはしっかり徴収する。日本に存在する400万社すべてグローバル化などをする必要性はまったくない。大半はドメスティックなままで何の不都合もないのである。

    資本主義の限界を金利から見るには、現在EU加盟国で10年国債利回りが2,0%を下回っているのは2015年には18か国になり、超低金利は日本固有の問題ではなく、近代化を終え成熟化した先進国共通の問題となったのである。大半の先進国の10年国債利回りが2,0%を下回っているのは、先進工業国がこれ以上優良な投資先がないという事実を反映している。

    金利から見れば、明らかに近代システムの終わりなのである。それは同時に統治システムからいえば、国民国家の時代の終わりであり、経済的には資本主義巣システムの終わりを意味している。

    利子率ゼロ(=利潤ゼロ)の世界とは、資本が豊富な社会にほかならない。資本係数(=民間資本ストック/実質GDP )が世界で最も高い日本とドイツでゼロ金利が実現してのは、何も無理に移動しなくても(遠くにいても)豊かさが手に入るようになったからである。

    日本のコンビニの普及がそれを示唆している。そうであれば利潤を正当化する理由はなくなる。利潤が正当化されるのは、国民があれもこれも欲しいといっているときに、数年の我慢(経済的には貯蓄)を強いることで、企業利潤と家計の貯蓄を合わせた資金で工場、店舗、オフィスビルを建設したからだった。

    その結果供給力を増やし、家計は欲するものを手にすることができたのだった。ところがいまや企業利潤は将来の損失、とりわけリストラ費用と化しており、全く合理性を欠く。

    しかし、ゼロ金利となったいま、企業行動で正当化されるのは、固定資本減耗の確保であって、利潤極大化ではない。利潤ゼロとなれば、当然配当もゼロとなる。預金金利ゼロと整合的である。リスクはもはや株式よりも1000兆円を超える借金を抱える国が発行する国債の方が高い。

    その国債利回りがゼロとなった段階で、国債は出資証券化したことになり、次に起きるのは株式の債券化である。国債は利子という現物給付から日本人が国内に住んで安全、安心のサービスの給付に変わったのだ。

    ところが、事実上ゼロ金利になった1990年代半ば以降、人件費はエネルギー高騰に伴って売上高変動比率が上昇する程度において、売上高人件費比率が低下するようになった。一方、売上高に占める企業利潤と固定資本減耗の比率は24%で安定している。すなわち、本来最終利益が損益計算書の一番下の項目であるばずなのに、現実は人件費が最終項目となっている。

    とここまでかつまんで本書を紹介したが要は、利子率(=利潤率)が0%というのは資本主義の終焉を意味しており、そのような現在の日本でこれ以上「改革」を進めると、企業経営者は、利潤率がゼロであるために、人件費を抑制するのである(=アベノミクスによる非正規雇用社員の増加)。

    それに対応するには、地方分権が必要である。またプライマリーバランスを均衡化するには消費税、法人税、金融資産税の増税が避けられない。その様な中で日本国民個々の給与所得を上げるには、人、モノ、カネの動きを東京一極集中にするのではなく、日本国土を十二分に活用すべきであり、地方に活力を与えるような経済施策を遂行すべきであると筆者は述べているのだ。

    この書籍はゼロ成長の日本国で啓示となる書籍であろう。「アベノミクスは上手くいかったな~」と思われる方ぜひ本著を手に取ってください。みんなで日本を「ゼロ成長でも持続可能な国家」に変えていきましょう!

  • 2010年からの5年間で、上位62名の資産は44%上昇し、貧しい半分の人々の総資産は44%減少した。

    安倍政権誕生直前の2012年には320万円の負債超から、2015年には434万円の負債超となり、全勤労者世帯の半分は負債が増えた。
    成長戦略が予算に反映された2002年と比較すると、当時は20万円の貯蓄超過なので、政府が成長戦略に力を入れれば入れるほど中間層の家計は困窮していった。一方で、2001年度末には1,417兆円だった個人金融資産は、2016年末には1,741兆円に増加している。

    資本の成長戦略を破棄し、企業の最終利益を抑制し、人件費を増やす政策に転換すべき。企業の最終利益は、最終的には新規設備投資の為にある。

    資本主義を活用して豊かになれるのは、世界総人口の15%まで。

    12世紀のスペインでは、デフレ状態を回避する為に、半年でマイナス2%のマイナス金利を適用した。事実上の金融税。この収入で、領主は教会などの礼拝施設の充実や巡礼に来る信者達が宿泊する施設を建設、領内経済が活性化した。

    資本の概念が生まれた13世紀のイタリアフィレンツェでは、「商業についての助言」という小冊子が出回り、そこには「貧乏人とは付き合うな。なぜなら彼らに期待すべきものは何もないからだ」と書かれていた。資本主義は元来、貧しい人を豊かにするという発想は持ち合わせていない。

    消費者がより多くのモノ・サービスをより速くと要求していれば、それは金利に現れるが、20世紀末から日本、ドイツ、欧州の2/3は2%を下回っている。ゼロ金利は消費者が新規の投資は不要と言っているサイン。

    預金者がゼロ金利を受け入れているのであれば、配当はゼロでよい事になり、家計は新規の工場、店舗をもやは要求していなければ、利潤もゼロでよい。

    リスクの観点から、会社の配当は預金利息より低くていいのだから、配当はゼロでよく、代わりに株主には現物給付すればよい。


    1215年、ローマ教会によって金利が認められて以来、800年の歴史の中で、最低金利を経験した国は7カ国のみ。まずスペイン、ついでイタリアジェノバ、そしてオランダ、イギリス、米国、日本、ドイツ。超低金利国の交代はシステムの終焉を意味するか、あるいは同じシステムの中での中心の移動を意味する。2015年の日本からドイツへの交代は前者を意味している可能性が高い。前者は世界の枠組みを一変させてしまうので、それだけ衝撃が大きく、その吸収に時間を要する。中世・帝国の時代から近代・主権国家の時代へと変わるのには約二世紀を要した。(1453年ビザンチン帝国滅亡から1648年ウェストファリア条約でオランダ共和国の独立が認められるまで。)
    同じシステムの中での中心の移動の場合は、移行期は数十年。

    金利から見れば、明らかに近代システムは終わり。統治システムから見れば、国民国家時代の終わりであり、経済的には資本主義システムの終わりを意味している。
    国民国家の成熟と、近代デモクラシー制度は、歴史的役割をもう十分に果たした。第四の帝国はEU。

    主権国家システムとは、1.多数の主権国家が存在し、2.相互作用が主権国家間である事、3.共通規範と共通制度の承認という3つの基本的属性から成り、これらの条件を外していく事でこのシステムを超えていく。

    21世紀前半は、単一通貨時代から複数の地域基軸通貨時代への移行期。

    企業は、過剰資本と化した段階で出資者のものではなく、社会的存在となった。

    事実上ゼロ金利になった1990年半ば以降、人件費はエネルギー高騰に伴って売上高変動費率が上昇する程度に売上高人件費率が低下した。一方、売上高に占める企業利潤と固定資本減耗の比率は24%で安定している。人件費が最終調整項目となっている。

    原油価格急落は、先進国にとって交易条件を改善させ、計算上の付加価値は増加するが、製造業の売上減によって人件費削減が行われる為、家計の所得は減少する。

    国内チェーンストアについて、2013年の店舗調整後の総販売額は0.7%減となり、1997年以来17年連続で減少している。消費税引き上げ前の駆け込み需要で0.2%増大した1996年を特殊要因とすれば、1993年以来21年連続で減少している事になる。一方、店舗面積は増え続けており、総販売額がピークをつけた1996年と比して1.47倍に増える一方、総販売額は24.6%減少した。この結果、1997年には99.3万円だった1㎡当たりの販売額は2013年には50.8万円へと、この間48.8%減少した。

    資本の利潤率は国債利回りで代替できるので、資本の生産性と10年国債利回りは正の相関関係がある。日本の歴史的超低金利は資本過剰が原因であり、ベースライン予想の世界が現実化すればさらに20年続く事が予想される。

    国内の食品ロスは2009年で21%。

    人口当たりのイノベーション件数は1873年以降減少している。これは、電気と自動車の時代への移行期とほぼ一致する。

    1980年以降、富の集中と格差の拡大は、フランス革命前の身分社会のレベルに戻っている。

    国内役員報酬について、2011年から2014年にかけて3.3%増となり、同期間の従業員一人当たり賃金は0.3%減と格差が広がっている。日本の格差上昇幅はドイツやフランスよりも上回っている。

    日本の個人資産はもはや相続を通じてでしか増えない。

    21世紀は資本主義対民主主義の戦いとなる。資本主義を終わらせる事ができるのは民主主義だけ。

    今が近代ではないというのが正しければ、近代の延長線上の政策を採る事(より速く、より遠く、より合理的に)が一番やってはいけない事。次にどういう社会が来るかを考える事。(よりゆっくり、より近く、より寛容に)

  • 著者の「資本主義の終焉と歴史の危機」という新書の続編みたいな本。
    続編と感じるのは、新書を読んだ直後に読んだからそう感じやすいのかもしれない。
    この本でも一貫して主張していたのは、暗黒の中世のような時代がやってきて、資本主義にとって代わるような制度が生まれるのではないかということ。
    日本は今の経済状況を20年先取りしていて、先進国は今の日本の経済を追随しているかのよう。
    日本から変わる、世界に類を見ない制度が作れるはずなのに、実際に行われている政策はこれまでにとられた政策と変わらない。
    一体どこへ向かうのでしょうか。

  • 水野さんの新刊。
    日本では経済に関してかなり深い洞察力を持っている人だと思う。ちょっとこじつけて格差を煽ってる部分もあるのは玉にきず。
    それでも色々な考え方や見方の発見があり、自分の考えと照らす面白さもある。
    この水野さんとじっくり対話できると考えればこの本は(高いけど)安い。

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著者プロフィール

1953年愛媛県生まれ。埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了。博士(経済学)。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て、内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)、内閣官房内閣審議官(国家戦略室)を歴任。現在、法政大学法学部教授。専門は、現代日本経済論。著書に『正義の政治経済学』古川元久との共著(朝日新書 2021)、『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』(集英社新書 2017)、『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書 2014)他

「2021年 『談 no.121』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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