家族最後の日

著者 :
  • 太田出版
3.75
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本棚登録 : 460
レビュー : 42
  • Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784778315559

感想・レビュー・書評

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  • 石田さんのことをどうしても好きになってしまう。

  • 著者についての知識がないまま読んだ。
    母との確執、義理弟の自殺、そして夫である石田さんの闘病。
    メインは石田さんが入院し、ひとりで子供の面倒をみることになってからの日記だ。
    カメラマンで子育てや家事を、石田さんに任せていたところが多かったので余裕のない日常。
    家族が病気になると、つらいのは本人とわかっているけれど他の家族もつらい。
    感情を表に出す人のようなので、そんなに書いても大丈夫?と思うが日記ならば吐露してもよいか。
    自分勝手な人と思う部分もあるが、正直なのだろう。
    アラーキーが亡くなった妻の写真を撮っていたが、記録することで生きていることを実感するのがカメラマンや文筆業の性なのだろうか。
    病室でも患者にカメラを向け、日記にのこして本を出版する。
    起こることひとつも無駄にしない、悪く言えばがめつさと強さを感じた。

  • 2017/12/15

  • 図書館にて。
    実はこの前の本「かなわない」よりもこちらが先に手元のきたので、先に読んだ。
    最初の話で母親との絶縁した話が出てきた。客観的に読めばせっかく帰省した娘が全然家にいないので、娘と話すことを楽しみにしていた母親がついにしびれを切らして爆発したような気がするのだが、もうこうなるとここまでの歴史がつもりつもってということなんだろうなという気がする。どちらも痛々しい。
    その後の文章も、「かなわない」と比べて攻撃的な気がする。
    「かなわない」の他の人のレビュー、表現せずにはいられない、全てをさらけ出す才能がある、正直だ、というように肯定的なものが多かったけれど、この本を読んでもやはり私はそうは思わない。表現している本人はいいだろうが、書かれた側の気持ちを慮れずに描くことは暴力でもある。嘘をつけとは言わない。書かないこともできるだろうということ。でもその書く書かないの境界線が人と違うことが嫌だけどこのほんの魅力か。
    それと、この表紙や本の中に娘たちの写真を使うのも嫌だ。
    やっぱり私はこの本嫌いなんだなと思う。
    でも続編が出たら、また読むと思う。
    旦那さん、ガンが治りますように。
    娘たち、楽しい毎日が過ごせますように。

  • 読後、SNS時代の子育てというのに思いを馳せた。

    この本は私小説としては成功していると思う。子どもたちの名称が統一されなかったり、夫であるECDのことを読者は知っている前提で書かれているというような(小説としての)歪さも私小説的な表現として孔を制している功を奏しているし、自分がという"私"の小説としてありだと思う。

    しかし太宰治にしても、西村賢太にしても「これは自分のことなのだろうな」とは読ませるが、小説と私生活には一定の距離がある。体面だけでも"小説"として書かれている。

    『家族最後の日』は想定に著者の娘ふたりの写真が用いられている。著者は写真家であるし、中綴じにも収められている写真は素晴らしい写真だと思う。

    その写真は本文に描かれたリアルをより鮮明に彩る。実在する人物を実名で描いている上に写真までついているのだから、これでもかというほどにリアルだ。

    なるほど、その過剰なまでのリアルさはラップ(特にN.W.A.以降のギャングスタ・ラップ)を初めて歌詞対訳を読みながら聞いた時のショックに近い、のかもしれない。

    著者の夫であるECDはかつてメジャーから出した楽曲で現住所を歌い込んだり、「今日の残高」と題してMyspace上で預金残高を晒していたりと、そういったリアルさのショックを打ち出しているところがある。
    それは表現としてありだと思うし、真似できるかといわれたら出来ないけれど、支持したい表現方法だ(蛇足ながら書き加えると評者は新作が出たのなら買って聞くようなECDファンである)。

    が、それに付き合わされる家族のキモチはどうか…と余計なお世話だと思いながら、考えてしまう。いや夫婦間の話であればお互い同意の上だろうから、それでよい。受け手として支持する・しないだけの話だ。
    でも、子どもたちにはその判断はつかないのでは? そりゃお母さんがカメラを向ければ嬉しいだろうし、本になっても無邪気に喜んでいるのだろうが、ここまで赤裸々な心境の吐露を彼女たちは受け止められるのだろうか?

    自分自身のことを思い返してみると、両親もまた自分と同じように恋をしたりという自分が生まれる前のひとりの人間としての物語を知るというのはこそばゆい思いがしたものだ。ある程度の年齢を越してからだったからよかったものの、思春期の多感な時期にこの本にあるような赤裸々な母親の思いを受け止められただろうか。

    そんなこともあるので、もう少し小説よりの表現 ―つまりは著者=植本一子と重なるけれどあくまで架空のお話という体―で出来なかっただろうか。

  • 20171019
    もうすぐ読了
    結局自分より”こども”は受け入れられない(対応できない)人なのであろう
    村田は若い正直さをぶつけてきたから彼女は不満なんだろう、なんで自分のことを考えてうごいてくれないの?
    村田から見れば友達だから助けたのに、彼女は村田を”使った”だけなんだ
    いつもこの人の周りには大人しかいない
    大人が彼女の面倒を見てあげている、彼女も感謝はしながら、しかしそれがあって初めて生きていけている
    極楽とんぼの山本さんもそうだけど、何の魅力があって周りが支えたいと思うのか、それがわかるものが欲しい
    本人の日記からだけではそこまでして周りが助ける元が分からない
    子ども達は生きる希望、という記述があってとても驚いた
    そんな風に思っているのか
    生きる希望にしているほどの”拠り所感”や”頼っている感”はゼロじゃないか
    常に自分と同じ高さに子ども達をおいて生活するメンバーとして扱っている
    子ども達に助けられる場面はあっても、子ども達を助けている場面がない
    もし生きる希望発言が本当なら、この人の文章から伝わってこないという問題になる
    そうではなく、毎日感じたことを記録=発散するための日記なのだろうか
    わざわざ書くことではないから書いていないのか、小説やエッセイと違い日記だからだろうか?
    日記の中の楽しいことは、全て一人行動(もしくは友人と行動)の中からしか生まれていない
    それが悪いとは全く思わないが、それなのに生きる希望、という文章が唐突過ぎて馴染まなかった
    171020
    朝の通勤で最後の10数ページを読み終わった
    もう一度子ども達がいてよかったとある
    結局、ECDいなくなるかもの後、頼る人が残っていたのが彼女にとってよかったのではないかと思う
    これだけ周りに強くいきながら、自己主張は強いながら、頼らないと生きていけない人なのだろう

  • かなわない、よりずっと気持ちが楽に読めた。
    石田さんの病気のその後を知っていて読むのはつらい。

  • 740.2

  • 旦那さんが癌になったことで、母性を取り戻していく。なんとも皮肉な話。でも案外、自然なことなのかもしれない。

  • つらい。

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著者プロフィール

1984年、広島県生まれ。2003年キャノン写真新世紀で優秀賞を受賞。著書に『働けECD 私の育児混沌記』、『かなわない』、『家族最後の日』、共著に『ホームシック 生活(2~3人分)』がある。

「2017年 『降伏の記録』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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