- Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
- / ISBN・EAN: 9784779114809
作品紹介・あらすじ
2008年11月15日、フランスの寒村タルナックで共同生活を営む9名の若者が逮捕される。新幹線への「破壊工作」を名目にした事実上の思想弾圧だった。押収された証拠物のひとつで、首謀者とされたジュリアン・クーパがかかわったとされるのが本書『来るべき蜂起』である。弾圧は「タルナック事件」として大メディアを席捲する論争へと発展。現代ヨーロッパを代表する哲学者ジョルジョ・アガンベン、アラン・バディウ、リュック・ボルタンスキー(因みにクーパは彼の弟子である)らが次々と抗議の声をあげる。問われているのは、現行の資本主義体制と、それに乗らない者への社会的排除が、テロリストという烙印のもと根拠なしの弾圧へと結実する、新しい統治の不気味さだ。
本書は“コミテ・アンヴィジブル(不可視委員会)”の名で2007年フランスにて発刊されている。フランスの政治・哲学雑誌で、ポスト・シチュアシオニストを標榜する『ティックン』誌の運動の流れのなかに位置する書物である。“スペクタクル・商品の支配に対する抵抗、情動の組織化としてのコミュニスム、そして蜂起・内乱の契機”がここでは賭けられている。翻訳版では「タルナック事件」とその背景、恐慌後のヨーロッパ動乱の様子、またそれらの哲学的意味に迫る解説を付す。
文明の勝利に欠けているものは何ひとつない。
恐怖政治も情動の貧困も。
普遍的な不毛も。
砂漠がこれ以上広がることはない。あらゆる場所が砂漠だからだ。
ただしなおも深化するかもしれない。
自明なる災厄を前に、憤激する者たち、行動する者たち、
告発する者たち、そして自己組織化する者たちがいる。
不可視委員会は自己組織化する者たちの側にある。
感想・レビュー・書評
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なんというか、ソ連崩壊後の所謂左翼運動って自分の生活(恋愛、お金、健康・・・なんでも良い)ってのが一番リアルだからそれらの問題をひっくるめたソリューションとして提示されてたわけね。かつては労働者の解放とかそういうの謳ってたけど、今はグローバル資本主義に対向する手段として見直されてるわけだ。
で、この本について。
2008年、フランスのとある村に資本主義が嫌いな若者たちが集まりました。けれども政府からすれば自分たちの統治制度を真っ向から否定するようなろくでなしの不良たちです。なので警官たちによって彼らを捕まえることにしました。罪状は、「破壊工作」。首謀者は、ジュリアン・クーパ。本書の著者グループの一人と言われている。
この事件がフランスで一大論争を巻き起こしてジョルジョ・アガンベン、アラン・バディウとかが抗議し始めたんだよね。まあなんというか、政府(あるいは権力者)は僕らを生かすも殺すも自由だということ。僕らが税金を払い、社会保険で医療を受けて(まあこれも崩壊間近だけどね!)、暮らしてるよね。じゃあもし政府が社会保険やめまーす、なんて言ったらどうなるんだろう。貧乏人は死んでもいいって?冗談じゃないよ!
この本が掲げるのは革命の倫理ではなく、論理である。
ほんと変な世の中だ。僕らはいつまでたっても貧乏だし、金持ちはますます金持ちだ。あの子、今日もオシャレな服着てるな、僕は今日も上下ユ◯クロ。これは別にどうでもいい話じゃない、冒頭で述べた自分の生活に密着する問題なんだ。あの子から服を奪うってのはどうだろう?でもそれに近いことをこの本は言っているのかも(!)
全部、全てがつながっている。
今官邸前で起こっていることがマスメディアでまるで報道されていないのは何故なのか。Twitterでは何故テレビで流れてこない情報が流れてくるのか(デマも多いけどね)。たまにテレビのニュースに出てくる、街頭の抗議者たちは「頭のおかしい人たち」のように報道されて、ますます権力者たちに彼らのその正当性を与える(有るはず無いのにね!)この社会を覆い尽くす諦念は何なのだろう。どうせ何も変わらない、世界はますます悪くなる、もうそれでいいじゃん。分かってる人たち(こんな言い方大嫌いだけど!)でさえ、そう思ってるんだ。僕らは国家に生かされている。それはそのとおりだ、だけどそれに感謝する必要はない。ここにおける主体者は僕であり、君なんだから。僕と君は「生かされる」必要はない。僕らの命は僕らで決めよう。国家に僕らの生き死にを制御されるなんてまっぴらだ!
「労働を超えて、労働に抗して自己組織化すること、動員体制から集団的に離脱すること、動員解除そのもののなかに生命力と規律を見出し、それを表現すること。窮地に追い込まれた文明はこうした行為を犯罪とみなし、それを許そうともしない。だがこれこそが、現在の文明を生き延びる唯一の方法なのである」(「第三の環」より、43ページ)
国家は常に「危機」を煽ることで僕らを制御しようとする。むしろ彼らが僕達にカタストロフィをの環境を作り出しているんじゃないかとさえ思う。そんな問題への回答はー僕らで僕らを考えよう。とてもシンプルなことだ。この本は「現状確認にとどまるな」と言っている。僕はこの本の言うことに全て賛成するわけじゃないけれど、少なくとも「取り返しがつかないほど正しい」と思う。著者は「comité invisible(不可視委員会)」で個人名は一切なし。翻訳者も〈『来たるべき蜂起』翻訳委員会〉でこれまた個人名は一切なし。匿名の臆病者になるか、匿名のドン・キホーテとなるか、匿名のゲリラとして立ち上がるか。選択は僕ら次第だ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ずっと 積んどく になってた。なんでもっと早くに読まなかったのだろうか。おもしろすぎる。
「われわれは極度に孤立した状態、極度に無力な立場から始めよう。蜂起のプロセスとしてすべては構築されねばならない。蜂起以上にありそうもないものはないが、蜂起以上に必要なものもない。」p97
「好機の到来、革命、核の黙示録、社会運動を待つ必要もない。これ以上待つのは狂気の沙汰である。カタストロフは到来するのではなく、そこにある。」p96
「建物から退去させられた住民は役所との交渉を打ち切り、役所に住みはじめる。」p140
どうせもう資本主義で回ってないところばっかりなわけだし。ヘタしたら市場経済にもなってなかったりして。
だいたい、飲食店も農作物も、商品の対価をきっちり支払ってもらったことなんて一度もないのではないか?とすれば、残価はそのまま生産者からの贈与なのではないか。もちろん、マクロでは社会的必要労働時間で引き直していることは理解している。
贈与をなかだちにしたコミューンの必然性。自己組織化。フランスやイタリアだけのお話ではない。 -
いたるところで、何者かであれ、って命令が叫ばれている。その命令によってこの社会を必然のものとする病的な状態が保たれる。強くあれという命令が維持されていく。それゆえ、働くことはもちろん愛することさえもすべてがセラピー的な様相を見せているほどである。
移民がいなければ、フランス人なるものも存在しえなくなるだろうからである。
メトロポリスとは低強度の紛争が絶えまなく続く場である。
メトロポリスは戦争と完全に両立する。
環境問題が重要なのは、それが人類にはじめてグローバルな問題を提起することができたからである。グローバルな問題とはつまりグローバルな組織だけが解決策を握る問題ということ。