- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784779122286
作品紹介・あらすじ
古代日本国家成立=天皇の歴史
(朝鮮渡来集団による国家の建設)が
天皇家による先住民エミシへの領土侵略と支配なくして
ありえなかったするならば、
日本の古代・中世における通説の東北の“辺境の民”論を
大きく修正しなければならない。
本書は東北の先住民とその末裔に対して、
新旧二つの加羅系と百済系の朝鮮渡来集団を出自とする
天皇と藤原氏とその爪牙(軍事集団)となった源氏が
白河と勿来の関を越えてどのような侵略・支配を行ったのか、
戦争・反乱・支配・差別・強制連行の実態を物語る。
感想・レビュー・書評
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エミシはなぜ天皇に差別されたか という題の著作で、縄文人の末裔との関連も期待して読みだしたが、弥生時代、古墳時代を経てからの時代の話で、勉強不足で飛ばし読みでした。
内容は以下のとおりです。
序章
第1章 律令国家のエミシ差別政策
第2章 エミシ征討の拠点多賀城と雄勝城
第3章 秋田城エミシの反乱
第4章 平将門の反乱と源氏の台頭
第5章 前九年の役
第6章 後三年の役
終章 源氏の悲劇と天皇・藤原氏
あとがき
河内平野に生まれ、今も住んでいる私としては、最後の文章が気になりました。以下、紹介
高句麗の侵略から逃れてきた何十万、何百万と言われている故郷を失った百濟からの難民(開拓民)の末裔が源氏三代の先祖であるならば、大小の川が網の目のように流れる湿地と沼の河内平野をいまの大阪平野の原型に造り上げたのは彼ら百済人である。
確かに百済系の桓武天皇もその子孫の天皇たちも坂上田村麻呂も源氏三代もエミシを侵略し支配し、かつ抵抗するエミシを殺害し、あるいは奴隷・賎民とした。
話が前後するが、この件も紹介
かつて八幡神社は源氏を祀る神社だと思っていた私は、今では源氏が八幡神=応神=百済昆支王を祀った神社であることを知っている。
鳥居をくぐって52段の急な階段を上ると壺井八幡宮の北西方向に前方後円墳の誉田陵(伝応神陵)の姿がのぞいている・・・・・
というようなことで、羽曳野まで自転車で行けますので、この付近を散策しようと思いました。
もう少し勉強して(笑)。詳細をみるコメント0件をすべて表示