- Amazon.co.jp ・本 (271ページ)
- / ISBN・EAN: 9784779126437
作品紹介・あらすじ
日本最大のダムに沈んだ村、岐阜県徳山村の最奥の集落に、
最後の一人になっても暮らし続けた女性(ばば)がいた。
奉公、集団就職、北海道開拓、戦争、高度経済成長、開発……
時代を超えて大地に根を張り生きた理由とは。
足跡をたどり出会った人たちの話から見えてきた
胸をゆさぶられる民衆の100年の歴史――。
映画『水になった村』(第16回地球環境映像際最優秀賞受賞。
書籍、情報センター出版局刊)監督の最新刊!
感想・レビュー・書評
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ダムに沈む村に最後まで住み続けた女性。電気もない不便な奥地に住んでいた方が豊かに生きていたと感じられる。その人生は本当に過酷で。開拓使として北海道で暮らしていた時のとても貴重な体験を知ることができました。
読み終えて、歴史に名を残すような壮大な人生ではないはずなのに、ずっとその偉大さのようなものに静かに感動しました。
本当にお疲れ様でした。ありがとうございます、と伝えたくなりました。
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ダムが建設されることによって移転を余儀
なくされた、ある集落に住む一人の老婆の
人生を追ったドキュメンタリーです。
と、書いてしまうとどこにでもありそうな
内容と思ってしまいますが、まさしく日本
のどこでも起こっていることなのです。
それがとても切なくて悲しくて、失ってし
まったものの大きさに気付かされることは
多いはずです。
ダムの寿命は100年と言います。
一人に人間の長さでしかないのです。そん
な人間一代の長さでしかない物の為に、先
祖代々から受け継がれてきた物を全て食い
潰してしまった、と嘆く老婆の描写は心が
痛みます。
我々が失った「豊かさ」の大きさに愕然と
させられる一冊です。 -
ダムに沈む村の老夫婦の暮らしぶりを伝える第1部は普通の良書だが、第2部はハイパー展開だった。
最後の住人となった老婦人は、この岐阜県の山村で生まれ育ったが、戦時中に、初めて会う夫と結婚するために北海道の開拓地に移住していた。しかもその夫とは血の繋がる関係だという。
その夫は戦時中には満州移民を、戦後にはパラグアイ移民を志望して果たせなかったという。そして開拓地を捨て、岐阜の山村に移り住んで生涯を終えた。
ダムに沈むような山奥の集落だが、その住人は丸1日歩かなければ越えられないホハレ峠を頻繁に行き来して外の世界と交流していたというのは、当たり前かもしれないが驚きがある。老婦人も14歳の頃から毎年この峠を越えて出稼ぎしていたという。
大正8年(1919年)生まれで小学校しか出ていない山村の老婦人の生涯、と聞いて想像するようなものとは全然違うものだった。そしてたぶん、彼女が特別なのではなく日本中にこういう人生があったのだろう。
第1部のダムに沈む村の最後の住人、という部分も、これも日本中にあった話なのだろうが、だからこそ彼女の話は重い。
「ここに家を建てて、やがて20年になる。正直に言うと、もう金がないんじゃ。ダムができた頃は、一時、補償金という大金が入ってきて喜んだこともあった。でも今はそうじゃない。気付いたころには、先祖の積み上げてきたものをすっかりごとわしらは、一代で食いつぶしてまったという気持ちになってな。」「体験した者じゃないとわからんが、耐えられんぞ。結局、税金などを長い時間をかけて支払っていたら、補償金は国に返したようなもんや。気づけば、わしらの先祖の財産は手元にすっかりことなくなとるんやからな。」 -
映画を是非見たいと思った。
廣瀬ゆきえさんの人生を、写真と共に詳しく書かれていて、私自身、ヒトとしての生き方を考えさせられた。 -
あれ?大西さんて『ぶたにく』の人じゃないですか。
ダムの是非という以上に、ゆきえさんという1人の女性の人生に、力強さ逞しさと共に、生きる悲しみそのものを思う。山村に生まれ、14歳で親元を離れて紡績工場で働き、写真で見た人と結婚して北海道へ渡って開拓の厳しい生活を生き、また生まれた村に戻るとそこはダムになる…。
村の、現金はないけれど四季折々の収穫や自分のやるべき仕事のある豊かな生活と、移転した先でのスーパーで買い物する暮らし。たくさんの人のためにネギも作ってきた「農民のわしが」なんでスーパーで「買わなあかんのか」と言うところに、生きてきたプライドを見る思い。
そうなのだ、「壊すことは簡単」だけど、「積み上げてきた年月は途方もないもので、一度壊したら元に戻すことはできない。その重みは他人には到底わからない」日本各地のダムや公共事業、科学的にも本当に必要なのか、また関係する人たちの人生と計りにかけてそれでも必要なのか、問い直してほしい。 -
ホハレ峠 大西暢夫 彩流社
ドキュメントとでも言うのだろうか?
改めて人の世とは何なんだろうかと
問い直すキッカケとなる素敵な本だった
理不尽な法治国家に生きる視野の狭い人間と
あるがままに人生を噛み締めながら80年生きたとして
その内何回の花を見て旬を感じて
一生を全うして行く心豊かな人間は
何を学びとって死と言う旅立ちを迎えるのだろうか〜
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ダム開発のために地図から消されていった日本の多くの村のひとつに、岐阜県徳山村がある。コミュニティが崩壊したあとも山で暮らしつづける老人たちのもとを1990年代初頭に初めて訪れたジャーナリストの著者は、トチの実やマムシ、種々の山菜などを採り加工し保存する日々の労働を克明に記録するにとどまらず、ひとり村にとどまったゆきえさんの人生、そして今や彼女の記憶の中にとどまるのみの村の歴史そのものを掘り出し、現場を歩いて自らの体によって確かめるようにして記録していくことになった。
角入(かどにゅう)という雪深く貧しい集落から一度は北海道開拓民の村へ嫁いだゆきえさんは、なぜまたこの村に戻り、最後のときまで立ち退きを拒んだのか――手探りでたどりついた先にあったのは、まるで集落全体がひとつの生命体であるような、地にへばりついて生存してきた人びとの記録だった。過去の安易な理想化を拒むその過酷さは、共同体の中の個人、特に女性たちや、またおそらくは入植先の先住民たちにも向けられてきたものであったろう。
日本全体が大きく商品経済化していく中で、この村の生活の厳しさを知ればこそ「帰りたくはなかった」というゆきえさんは、しかし最後まで角入にとどまった。そして立ち退き先を訪ねた著者に、「なんでわしが98円の特価品のネギを買わなあかんのや」と凄絶な言葉を吐露する。見たこともないほどの補償金を差し出され「先代が守ってきた財産を一代で食いつぶしてしまった。カネに変えたらすべてが終わりやな」と。
地に縛られ血に縛られながらも自ら重みを引き受けて生きてきた人たちがその中で探し求めてきた解放とはなんだったのか、わたしたちは解放のように見えるものを求めて、なぜこんなところに来てしまったのか。ゆきえさんは14歳ではじめてホハレ峠を歩いて越え、門入の外にあるきらめく海を目にしたという。その細い道を歩き通す重荷を捨てたとき、わたしたちは解放の道を見失っていたのかもしれない。 -
日本最大のダムを作るために沈んでしまった岐阜県徳山村。
岐阜県の西より、滋賀県と福井県の境にある徳山村の最も奥にある門入(かどにゅう)地区が本書の舞台で、隣の坂内村や川上地区につながる峠がホハレ峠、物資の流通や交流が行われた険しい山道だ。
同じ岐阜県出身の作者は、徳山ダムの話は小学生頃から聞いていて、カメラマンを志しいつしかその記録を残したいと思うようになり、東京から徳山村まで通い詰めた。
門入は徳山村の八集落あるうちの唯一水没を免れた地域で、昭和の末頃まで34世帯約百人が暮らしていたが、ダム建設によって危険区域となり移転を余儀なくされ、集落の人々は徐々に近隣の町に引っ越していった。
そんな廃村になっ4年目(1991年)門入を訪れた著者は数人のお年寄りが暮らしていることを知った。
村には店もない、電気やガスや水道もない、通信手段もない、母屋は契約時に壊してしまったから掘っ立て小屋を建てて、そんな状態で暮らし続ける人たちがいた。
不便を感じるどころか、「こんなええとこ、独り占めしていいんかな」と大笑いしていたという。
水は川で汲んで、畑で野菜を作り、木の実や山菜をとり、まさに自然と寄り添いながら、食べるためだけに体を動かすという生活。
原始に戻るというか、自然に逆らわない生活。
そんな中で作者は、廣瀬ゆきえさんという一人のおばあちゃんと出会い、廣瀬さんのそれまでの足跡をたどり始める。
廣瀬ゆきえさんの一代記ともいえる物語だ。門入住人、最後となった人だ。
そんなゆきえさんに寄り添い、記録に残し続けた作者はもはや家族同然。
栃の実のあく抜きや、自然薯堀など、貴重な体験をしたり、季節季節の山菜料理をお腹いっぱい食べさせてもらったり。
そんなことばかりしていたのかというと、ちゃんと仕事もしていて、ゆきえさんの生い立ちをたどっていくうち、なんと北海道の開拓という話が出てきて、北海道にも何度も足を運び、ご先祖のルーツを調べ上げた。
徳山村の人たちは、昔、北海道の開拓のために大勢移住して今もゆかりの人たちが暮らしている。
そして徳山村を途絶えさせないための、昔からの縁組の仕方など、岐阜と遠い北海道とが、巧みにつながっているその仕組みが面白いように明かされる。
たまたまダム建設のために廃村に追いやられてしまった住人の一人であった廣瀬ゆきえさん、その波乱万丈の一生は、作者によって見事に記録された。
実は、この徳山ダムを見ながら、福井の県境に向かうと、冠山とか、金草山があり、その山に登るため、徳山ダムは知っていました。
そのダムにこんな物語があったとは・・・
今でも、門入を訪れる人たちがいます。山歩きの延長だったり、探検と称して。
機会があれば行ってみたいです。