福島が日本を超える日

  • かもがわ出版
3.50
  • (0)
  • (3)
  • (3)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 24
レビュー : 3
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784780308273

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 参考になる個所もあったけれど、講演会での講演がベースのため口調は厳しめ。結局日本人はあまり変わっていない。なかなか総体として国民が変わっていくのは難しいということなのかも。

  • 白井聡さんはやはり面白い。無責任の体系について丸山眞男がこう分析している。戦後、戦争指導者のうちの誰1人として、私が戦争始めたとは言わなかった。むしろ自分は内心反対だったのだがと全員が言う。ならば誰に責任があるのか。彼らによれば誰にもない!この無責任の体系によって、日本の間違った国家主導はより一層無残なものとなった。国策捜査で逮捕された福島の本県知事である佐藤栄佐久さんは、原子力大綱についてこう述べている。この大綱を決めた原子力委員並びに策定会員一人ひとりに、この核燃料サイクル計画が本当に上手くいくと思っているのかと問えば、実は誰も高速増殖炉がちゃんと稼働するとは思っていないだろうし、六箇所の再処理施設を稼働して生産されるプルトニウムは、プルサーマル程度では使い切る事はできないと思っているだろう。使用済み核廃棄物の処分方法について具体例を思っている人もいないのである。長く反原発の活動してこられた高木仁三郎さんという人が原発に反対するNPOを作ろうとしたけれど、なかなか役所が認可してくれないと言うことに関連してこう書いた。役人たちは、公益性を定義するのは国家の側であり、国家の役人がやっていることが公益に属することであって、民間の人間がこれにいいよ唱えるのは公益に反すると言うことをほとんど無前提に言うのである。要するに、国が原発推進ということを言っているときに、それに賛成しない、そのような批判勢力に公益性はない、こういう論理なのです。領土問題でも、日本は固有の領土だとひたすら言っている。しかしそれにはかなり無理がある。無理があることを国民の大半は知らない。なぜ知らないのかと言うと、政府が知られないようにしているからだが、これを知らせてしまうと、敗戦を否認してきたのに、そのごまかしが露見してしまうからである。この無責任の体系が戦後ずっと社会のど真ん中に残っていると言うのは、負けを認めず、敗北をもたらした体制が存続をしているのだから、日本は延々と負け続けるに決まっている。だからこの体制のことを永続敗戦と呼んでいる。
    日本の原子力分野では発電事業だけではなくて、バックエンド(最終工程)とフロントエンド(初期工程)もやってきた。フロントエンドとバックエンドと言うのは核兵器を製造する技術と金間的には同じだ。経済的に見合うようにするならば、電力だけを作って、核燃料は外から買ってきて、使い終わったものは返すという形でやったほうが安上がりである。日本も国民の中にも、敗戦の日明と言う歴史意識が前面に出てきて、俺たちは本当は負けていないんだと言う戦後の本音が露呈している。戦後民主主義や基本的人権の尊重は外から持ち込まれたもので必要ないと考えている。それが排外主義者の運動に現れている。国家が言う平和というのは何のあてにもならない。1941年12月8日に対米戦争を始めた時に出された開戦の詔勅には、世界の平和に気をすると書いてあった。平和のために開戦したのである。原子力の平和利用にはもともと矛盾がある。原発は政治的な事業なので採算を度外視していいはずなのである。極めて危険でリスクが高いものだから何重にもフェイルセーフをかけて、万が一にも事故を起こさないようにしなければならないが、当然それはコストを高めることになる。フランスはバンバン核兵器を作って、核技術者をたくさん要請し、核関連施設もたくさん建てた。それらは普段は遊ばせておくともったいないので、それから原発を作ろうと言うことになった。こうしてフランスでは、資本主義国であるにもかかわらず、原発に関する事業だけは国が全部責任を持つと言う形でやってきた。けれどもフランスでも新自由主義によって儲けを出せと言う圧力がたかまっている。二重を増やすには、安全性を犠牲にするしかない。
    国連(United Nations)は、戦勝国つまり連合国(United Nations)と同じなのである。日本は敗戦の否認のために、同じ言葉で2つの訳語を作り出した。原発を維持するシステムというのは結局、戦前から連続する日本国家の支配層が核兵器を持ちたいと言うこと、核クラブに入りたいと言うことと直結している。そして、核クラブに入りたいと言うのは、あの戦争に勝ったことにしたいと言う欲望とこれまたつながっている。つまり敗戦の否認である。
    だからこそこも言える。全然を中途半端にしか清算できなかった戦後レジーム、つまり永続敗戦レジーム。その象徴であり、中核をなす原発をなくすという事は、永続敗戦レジームを倒すことと同じなんだということである。沖縄の闘争は、東京の政府、永続敗戦レジームが提示した選択肢を拒んだと言うことである。
    ここで負けてしまうと、あの戦争を天災化されたように、原発事故も天災化されてしまう。ヘーゲルは歴史において重要なことは2度起こると言ったが、もう一度原発事故が起きたとしたら日本の国土はもつのだろうか。
    内田樹もいつも面白い。
    日本は3.11の後に変わるはずだった。目先の利益だけを追いかける今のシステムはやめて、もう経済成長は求めず、ダウンサイジングして、これから高齢化社会を迎える他の国のモデルになるはずだった。しかしその年の秋ごろになると、日本人は経済成長を選び、原発を再稼働し、儲かることだけを集中してやっている。東京圏には3500万人がいるがほとんど水の備蓄がなく、食料も医薬品も足りない。関越道が通行止めになったらどうするのか、東海道が通行止めになったらどうするのか、シミュレーションしていない。なぜそんなリスクを冒すのか。それは東京に資源を集中させ、リスクヘッジをしないことが自己利益になる人間が日本の政治を決定しているから。都市部に人口を集め、権限、情報、財貨とありとあらゆるものを集めている。そのほうが効率的だから、そのほうが儲かるから、ただそれだけのことである。これほどまでにリスクを冒すのは、自滅願望があるからではないか。様々な帝国や王朝が滅びるときはリスクを避けるのではなく、ハイリスク、ハイリターンの一発勝負に出て、早くカタをつけたいという焦燥感に支配されることがある。日本も滅びるなら滅びるでいいという投げやりな気分が国を覆い尽くしている。明治維新の頃も270年続いた江戸レジームに対する飽き飽きした気分が取り憑いていた。江戸のシステムの中で財貨を得て、重用されていた人ほどそれを憎んでいた。廃城令のとき、人々は城を残すための努力を全くせず、多くの城があっさりと壊された。廃仏棄釈もそう。奈良平安から続く古寺名刹が壊された。奈良の興福寺では7人の僧が仏像仏具を隠したが、五重塔は燃やして、焼け跡から金属だけを取り出そうという話があった。しかし火の粉が飛んできて延焼したら嫌だという理由で近隣の住民が反対したので事なきを得た。五重塔を燃やしたら罰が当たるという理由ではなかった。当時の人の無関心というより嫌悪感を想像することができない。
    戦後レジームからの脱却というのは、江戸レジームと重なる。戦後レジームというのは自民党が久しく政権与党であったシステムであり、安倍首相を二度も総理大臣に据えたシステムだが、そのシステムを首相自らが憎んでいる。安倍首相は壊すと言っているが、実際にやっているのは、1950年代から自民党がやっていることを5倍くらいのスピードでやっている。改憲も、対米従属も、経済政策も、教育政策も、その進め方が狂ったように早い。しかしこのままのスピードでは、戦後スキームは全部崩壊して、立憲政府も経済も医療も学術も教育も自治体も司法も、全て瓦解する。全システムが同時に劣化していくというのは国民が全部共犯でないとできない。こんなシステムは壊さなければならないということに、日本人全てが同意している。
    EUのアイデアは20世紀の頭からあった。ヨーロッパの貴族たちは自国の労働者より他国の貴族たちに同胞意識を抱いていた。国民国家は分裂の危機をずっとはらんでいた。いまヨーロッパ各国で独立の気運が高まっているのはそのためだ。
    中東の安定にはカリフ制の再興しかない。カリフというのはイスラムの最高権威者の称号で、1924年にオスマン帝国が滅亡するまで存在していて、今よりはるかに平和だった。諸部族は宗派の違いを超えて共生できていた。サイクスピコ協定によって英仏露が中東を恣意的に分割する前の状態まで戻す。カリフ制は7世紀から1300年続いてきた制度なので、たった90年の中断は挿話的なものに過ぎない。中東や西アジアでは国民国家が機能していない。もともと遊牧民なので、国境という概念がなかったからだ。
    これからは立ち止まって考えることが大切だ。よく対案を出せという人がいるが、もっと議論を尽くすべきというのが対案になりうるのだ。シールズのいいところは、国会の外でちょっと待ってと訴えていること。普通は若者のほうがスピードを求めるものなのに、いまは老人のほうが暴走している。レヴィストロースが言うように、人間が作り上げてきた諸制度、親族や言語や経済システムは、人類の黎明期の闇の中に消えている。なぜ言語があるのか、なぜ交換をするのか、そういう根源的な問いには誰も最終解を出せない。だから嫌だから無くせというような乱暴な解決を求めると、大切な制度を失って苦しむのは自分たちである。かつての過激派学生たちは、自分たちの理想を語っても自分たちの組織はしばしば非民主的だった。その者たちが政権を担当しても、非民主的な政府にしかならないだろう。シールズはいまある制度を守れという保守の立場だ。そして自分たちの足元を指して、民主主義ってこれだと叫んでいる。未来社会のあるべき市民として、そういう自分たちの足元を指していけるようなスモールサイズの共同体を多く作っていくことが、暴走を止める手段となる。
    学校教育の諸制度の中には、何のためにあるのかわからないものがいくらでもある。時代に合わないものをなくしていく、教員が教員を評価するというのは、少し考えれば愚かだとわかる。教員がどんな研究をしているかを評価するためには膨大な時間とエネルギーが必要で、100万円の使い道を考える会議の弁当代で100万円使ってしまったというくらい愚かなことだ。学校教育も人類の歴史と同じくらい古いもので、それがいまの形に落ち着いたということに深い意味がある。グローバル社会などが出てくるはるか前からあるのだから、それに合わせてなどナンセンスだ。学校のどこが変えていい部分で、どこが変えていけないかは長い時間をかけなければわからない。
    統治の仕組みが壊れるということはない食料が不足するとか、医療が受けられないとか、教育が受けられないとか、雇用が底なしに悪化するとか、年金がもらえなくなるとか、そういう人間の生身の身体を傷つけることだ。こんなシステム壊れちまえ!と自分も思っていたが、軽々しく言えないと反省した。
    藻谷浩介
    里山資本主義とは、お金に換えられないもの、無駄に捨てられていたものを使い、水、食料、燃料を自給、物々交換するばかりか、それを加工して売って、外貨を稼ぐこと。エネルギーを売って外貨を稼いで、若者の雇用を増やし、人口を増やす。
    岩手県陸前高田市の隣にある住田町では、町役場が100%木造である。
    ただ、鉄筋コンクリートはエコな商品である。日本は石灰石だけは鉱物資源の中で唯一自給してるので、セメントは国産原料で、鉄筋はスクラップから再生したものである。だから鉄やコンクリートを悪の権化のように言うのは間違いだが、もう少し木を使うべきだ。集成材も接着剤を多量に使うし、輸入材ばかり使うと怒る人がいるが、鉄筋コンクリートよりはマシだ。無垢材を使用すべきだという人には、集成材が普及した先にこそ、その内装材として無垢材が使用されることを予言したい。集成材で作った4階建てのアパートの骨格は震度7でもビクともせず、火にも強い。少しずつ焦げていくだけで隣の部屋には熱を伝えないので、その間に消化すれば火元の部屋以外は大丈夫。鉄筋コンクリートは熱をそのまま伝えるので、隣の部屋の内装材が燃えてしまい、全焼する。
    日本はオーストリアの6倍の森林面積があるが、 新しく生えてくる木の3%しか利用できていない。オーストリアの木材輸出は1兆円産業である。大量に出る木くずをエネルギーにも利用して、水力と合わせて3割くらいをまかなっている。
    浜矩子の話は、特に目新しいものがなかった。経済は人間しか使っていない、人間が人間のために作り出したものだから、人間が幸せになるためにあるのが大前提だというが、全く共感できない。経済学は生まれた瞬間から、もしくは生まれて次に利用される瞬間から支配者のためのものだ。これだから経済学者はダメだと再認識できた。

  • 『平成25年3月11日、800人の原告とともに、東京電力及び国を相手方として、福島地方裁判所に訴えを提起しました。安全神話を掲げて国と東京電力は原発を推進してきましたが、事故によって放出された放射性物質は、県境を越えて広い地域や環境を汚染し、多くの方々に避難生活、健康に不安を抱く生活を強いています。私たちは、本件訴訟において、地域を汚染した放射性物質を事故前の状態に戻すこと、そして元の状態に戻るまでの間、精神的な苦痛に対する慰謝料を求めます。多くの被害者が、それぞれの被害の状況や立場を超えて団結し、国と東京電力に対して立ち上がり、これ以上の被害を生み出さないことを求めます。・・・』
    福島の生業裁判の原告団・弁護団に賛同・参加している5人の講演の内容。
    5人ともに面白い選定というか、話を聞きたい人たちです。
    浜矩子『原発再稼働で日本経済は良くならない』
    白井聡『福島第1原発事故と「永続敗戦」』
    藻谷浩介『福島から広がる里山資本主義』
    大友良英『もし「あまちゃん」の舞台が福島だったら』
    内田樹『3.11は日本に何を問いかけたのか』

    中でも今回は内田樹氏の内容はいつも通りに面白く、論旨が楽しいのですが、浜さんの内容がとても面白く
    納得できる論説でした。

全3件中 1 - 3件を表示

著者プロフィール

1952年8月生まれ。1975年、一橋大学経済学部卒業。同年、三菱総合研究所入社。1990年から98年まで、同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。帰国後、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演。専攻はマクロ経済分析、国際経済。2002年より、同志社大学大学院ビジネス研究科教授。著書に『どアホノミクスの断末魔』『アホノミクス完全崩壊に備えよ』『国民なき経済成長 脱・アホノミクスのすすめ』『世界経済の「大激転」 混迷の時代をどう生き抜くか』ほか多数。

「2018年 『窒息死に向かう日本経済』 で使われていた紹介文から引用しています。」

浜矩子の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
菅付雅信
有効な右矢印 無効な右矢印
ツイートする