- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784781608990
作品紹介・あらすじ
人気絶頂の最中、突如姿を消した一人の芸人-。統合失調症という病に襲われたハウス加賀谷の半生と、「松本ハウス」復活までの軌跡が、相方・松本キックの視点を交えて、いま明かされる。
感想・レビュー・書評
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統合失調症。若い時期に発症することが多く、100人に一人くらいの割合になるようだ。
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この疾患は改めて周囲の理解が大事なのだなぁと思う。相方さんは本当に素晴らしいなと思った。最後のあとがき「社会の偏見は根深く、なかなかなくならない。だけど、ぼくは、偏見がなくなることを期待するより、自分がどう生きるかが大事だと考えてるんだ」が心に残った。
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統合失調症を少しでも知ってもらうのに多くの人に読んでもらいたい。ここまで書くのはさぞ辛かったろうと想像できたが、ほんとうに吐きながら紡ぎあげたらしい。感謝の気持ちでいっぱいになった。
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統合失調症というよく耳にする病名。かつては精神分裂病とも呼ばれたこの病であるが、その患者が直面する現実を知っている人はどれだけいるだろうか。本書では、まさに当事者であるハウス加賀谷により、統合失調症患者が直面する生活がありありと綴られている。幼少期から悩まされた幻聴、十代後半のグループホームでの生活、そして、松本ハウスの結成から解散まで淡々と情景が描写されているのだが、余りにも淡々とし過ぎているため、本書では省かれた著者の苦難を想像すると何も言葉が出なくなってしまう。
一般的に、統合失調症を含めた精神疾患は当事者による病の受容が難しいとされることが多い。「私が精神疾患であるはずがない。」と誰もが信じたいし、その結果、多くの当事者が症状による健康被害とその受容の狭間で苦悩する。著者のように自身の症状を客観視できるまでには通常多くの時間と困難を要するため、当事者とその支援者が歩んできた並々ならぬ日々にはただただ頭が下がる思いだ。
現在、国内には約70万人の統合失調症患者がいると言われる。閉鎖病棟への数十年もの入院を強いていた時代は終わり、著者のように地域で仕事に就く人も少数派ではなくなりつつある。そんな時代だからこそ、一人でも多くの人に本書のような当事者の声が届くことを願って止まない。 -
ろくに知りもしないナイーブな問題については私の軽々しく薄っぺらな意見を人目にさらせないので割愛。
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キックさん 男前やな~。
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あとがきにあったお母さんのことば
「あなたが充実した毎日を送っているだなんて、そんな親孝行なことはありません。」
加賀谷さんは親孝行のハードルを下げさせた って言ってるけどそれは親の本音。
親孝行にハードルなんてないんだもん、きっと。 -
『感想』
〇人の苦しみを他人が全てわかるわけがない。感じている自分がうまく表現できないのに、他人にそのまま伝わること、ましてや察することなどできやしない。それでも周囲の人は助けてあげないといけない。
〇本人もつらいが、周りの人間もつらい。ましてや家族なら他人ごとにできないし、切り捨てるわけにもいかない。自分が苦しみは自分でしか解決できない。それを他人がどう援助していくか。
〇ハウス加賀谷さんは学校も接客業も肉体労働もうまくいかなかったようだが、漫才という自分に合うものがあってよかったね。一度はそれで体を壊したわけだが、それでもこの道でやろうと思えるんだから素晴らしい出会いなのではないか。
〇周囲の評価と自分の評価が違うのは辛いな。考えようによっては自己嫌悪を解消するきっかけになるのだが、真面目に考えすぎるとそれができない。
『フレーズ』
・大嫌いな自分を認めてほしいから頑張る。頑張ると評価され、認められていく。認められるほど、自己否定は強大になっていく。(p.102) -
ボキャブラ天国大好きでいつも見ていました。今でも生き残っている人たちもいれば、長らく姿も見ていないのですっかり忘れてしまった人たちも沢山います。
そんなすっかり忘れてしまった人たちの中に「松本ハウス」がいます。
エキセントリックな動きとパツパツの格好、坊主頭で印象深かったハウス加賀谷は、当時統合失調症で幻聴や幻視に悩まされ、大量の薬を飲みながらスケジュールをこなしていたそうです。
そして1999年活動を休止して治療に専念。10年後に再度「松本ハウス」として復活するまでの道を書いています。
松本キックとの絆にぐっときますが、それ以上に統合失調症の凄まじさが分かる本です。
クラスの皆が自分を臭いと言っているという幻聴が聞こえる。窓の外で、相方が自分を見張っている姿が見える。これが四六時中起こるわけですから神経が休まるときは無いでしょう。本当に気の毒だと思います。 -
生い立ちから現在に至るまで、統合失調症と悩み、戦いながら生きていく日々のストーリーの記録。
これぞ、本の醍醐味が味わえるという本。他人の人生を、文字上だけではあるものの、追体験できる。
統合失調症というものがどういう病気なのか、どういう症状が現れるのか、どのように苦しいものなのか...少し理解を深めることができたように思う。
誰にかは分からないが、突然訪れる病気。
周囲からもなかなか理解してもらえず、自分さえもその病気なのかどうか、どこがどう悪いのかよく分からない。なんて大変な病気なんだろう。
一時期は自殺を考えるほどに仕事に追い込まれたことも。
どんなつらいことがあっても、病気にあっても、希望を捨てず、前向きに歩んでいきたい。統合失調症への理解が少し深まるだけでなく、そんな前向きなエネルギーももらうことのできる本だった。 -
レポートのために書いたけど、読みいってしまった。
体験談だからこそ、幻覚の感じが生々しく伝わった。
精神疾患を抱えながら夢を叶える、そして芸人に復活する著者は本当に強いと思った。
母親に対して、親孝行のハードルを下げてくれたという言葉に親に対しての申し訳無さを感じるし印象的。
相方や友人の一言や行動に込められた優しさが、考えるほどステキだった。出てきた人すべてに人間として尊敬する。 -
お笑いコンビ「松本ハウス」のハウス加賀谷さんの病気について、相方のキック松本さんが聞きとり綴ったもの。私は彼らを知らないので、統合失調症を理解するためだけに本著を手に取った。薬を常用しながら社会で生きていく姿を読みたかった。
統合失調症という病気を扱っている本であるが、あえて重い本ではないと紹介したい。なぜなら相方キックさんをはじめ理解者に恵まれ、加賀谷さんは自分を生きているからだ。後半にかけて加賀谷さんと相方のキック松本さんの友情に泣きっぱなしだった。うらやましいほどの友情だ。
これからも理解者が増えていくことを願っている。 -
私はテレビを殆ど見ないので、この著者のことは全く知らない。統合失調症の患者の体験記として読んだ。
統合失調症になぜなるのかはまただわからないところが多いとは思うが、草間彌生や著者のように、かなり若い内に発症し、本人も家族も病気と気付かず苦しむことを考えると、、こうした読みやすい本でどんな病気か知らしめることは、非常に意義があると思う。
偏見が根強くあるものの、いつ、誰がなってもおかしくない病気だから。
幻覚や妄想は、肉体的苦痛より耐え難いと推察する。
相方のキックさんの深い優しさに感動。
加賀谷さんには無理して病気を悪化させないで、できれば活躍して、統合失調症の希望の星となってほしい。 -
よかった。
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「松本ハウス」の加賀谷さんが精神疾患にかかっていることは割と最近知ったんですが(コンビ復活のニュースで、だったかな?)、あの落ち着きのなさ、テンションの高さは芸風だと思っていたのでびっくりしました(もちろん、キャラとして演じていた部分もあると思いますが)。
芸人としての全盛期(ボキャブラ天国のあたり)も、裏では大変なことになっていたんだなぁ。そしてその後も。病気は色々なものを奪っていきますね・・・。
でも、加賀谷さんは諦めなかった。浮いたり沈んだりしながらももがき続け、ついに芸人として復帰するところまできた。これは本当にすごいことだと思います。
それから、キックさんも。壊れてしまった相方を何年も見守り続けるなんて、愛情がなければできませんよ。二人の間に強い絆を感じました。
精神疾患は特に偏見が強いけれど、頑張って生きている人が受け入れられるような、優しい世の中になっていくといいな、と思いました。 -
芸能界に疲れて発症されたのだと思っていたけど、もっと根深いものだった。お利口さんの子供が抱えてしまう心の負担は本当に怖いものだ。親としては良かれと思ってやらせてしまう早期教育はその子の性質をきちんと見極めた上で進めていかないといけない。昔では考えられないような子供の精神病や犯罪などはやはり無関係ではないと思う。
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あまりテレビを見ない僕でも知っていた「松本ハウス」。芸風が特殊だったので、見なくなっていたのは世間が距離を置いたためと勝手に思っていた。こんな事情があったとは。関連の本を読んだわけではないが、こんなに症状を上手?に活字化されたものをはじめて読むような気がする。新聞などでは紙幅のせいか、どうもわかりづらくて。結構好きだったので、今後の健闘を祈念したいです。松本キックも筋が通っていて結構格好いい。
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ほぼ同年代の芸人さん。テレビに出ていたあの頃よりずうっと前からだったとは・・・。
あとがき、本当に今の気持ちなんだろうな、と感じます。
応援し続けよう。 -
ブクログさんの懸賞で。サインも。ありがとうございます。
ブクログさんの対談でも書かれていましたが、ハウス加賀谷の追憶も全て松本キックが聞いて、書いています。相手の(ハウス加賀谷)の立場に立って相手の状況を汲むのはとても難しいと思いますが、全く違和感なく心情が描かれていました。
高校で書初めに「愚」と書いて自分もみんなも愚かだと達観していた様子が書かれています。早熟な人だけれど、その判断とか頭の回転の速さは今ある情報だけで判断するというある意味狭さがあって暫定的に得られるものだと思います。
その特性は相手の立場を汲むことには向いていないのではないかと感じていましたけど、全く苦にしていないようで(あるいは大きな努力で克服していて)素晴らしいです。
対談で松本キックが言うには、普通にインタビューをしたのでは客観的に理解してもらえるように語ろうとして、状況だけを説明するようになってしまう。そこをなるべくハウス加賀谷の心情を聞き出して書いた、そう。
昔は精神分裂病と言われていた、統合失調症。それを専門に診ていたある精神科医(中井久夫)の言葉を思い出しました。ケアする医師に求められるのは、自分が少しでも動けば世界が粉々に崩れてしまうというような劇的な体験を患者がしていても、そこに注意を向けるのではなくて、少し近くの喫茶店に出かけられたとか、散歩ができた、野球を見たといったようなちょっとした日常の嬉しさにどれだけ患者と一緒になって喜んであげられるかだ、と。
ノンフィクションとして絶妙の距離感でした。長年連れ添った奥さんでも、経験をアウトプットするときは、こうは出来ません。何冊かそういう(偉人の奥さんが書いたような)本も読みましたけど、本当に。
・そして、時間の概念が破壊され始めた。
仕事に行く時の準備は「靴」と「衣装」と「薬」。最低この三点さえあればこと足りる。ところが、荷物をすべてカバンに詰め、さあ出ようという時に、「あれ?」と玄関で立ち止まるようになった。
「あれ?何か忘れてるな。あれあれ?なんだっけ?」
忘れ物がなくても、気になって考えてしまう。なんだろう、なんだろうと、同じことをぐるぐる考えてしまう。ふと我に返り、時計を見ると、一時間半が経っている。ぼくはその間、微動だにせず、玄関先で突っ立っていたようだ。
→重症患者は何年も入院病棟で何年も微動だにしないと読んだ。どうなっているのだろうかと思っていたが、思考というか意識が無いんだ。
・保護室という現実がそこにあった。
部屋のスペースは六畳ほど。床は緑色のシート貼りで、両脇が白いペンキでコーティングされたコンクリートの壁。奥は上から下まで一面が白い鉄格子。
その白い鉄格子の向こうにようやく一人が通れるほどの狭い通路があり、そこに荷物置き場がある。自分の荷物は見ているが、鉄格子で阻まれ勝手に取ることができない。危険防止のため、必要なものは看護士さんに言って取ってもらう。
部屋の中にあるのは、布団一式とむき出しの便器のみ。
…保護室を一通り見渡し、ぼくの心は混沌としてきた。
これから先のことなど分からない、怖さがないと言ったら嘘になる。もう二度と外の世界に出ることはできない、という思いも頭をもたげる。でも、良くはなりたい。幻覚や幻聴から解放されたい。保護室に入ることは、ぼくが良くなるための最善の策なんだ。
錯綜するいろんな気持ちを抑え込もうとした時、母さんが明るい口調でこう言った。
「素敵なとこじゃない」
母さんは、好みの引っ越し物件でも見つけたように、部屋の中にあれこれと目をやっていた。
「床の緑もいいじゃない。トイレもあるし」
安心させようと努めて明るくぼくに語りかける母さん。ごめんなさい。申し訳なくて、ぼくは返事もできなかった。
看護師さんが着替えの説明をし始めた。ジャージの紐やスニーカーの紐、自殺の道具に使用できそうなものは、すべてその場で没収された。そのためぼくは紐の抜けた、ちょっとずるずるのジャージを着用し、しまりのないブカブカのスニーカーを履くことになった。
着替えが終わり、ふと白い壁に目線がいった。
いつの間にか草の絵のシールがペタペタと貼られていた。一枚あたり、横十五センチ、縦五センチくらい。うさぎが跳ねて出てきそうな緑の草の絵。
母さんだった。母さんが黙々と草のシールを貼っていた。ちょうどぼくが座って目に入る高さに合わせられている。床から九十センチくらいに、保護室の壁に緑のラインができていた。
おそらく母さんは、ぼくがどんな部屋に入るのかを知っていたのだろう。でないとシールを準備できないし、常識のある母さんが、部屋に入るなり無許可で貼るはずもない。殺風景な保護室で、少しでも息子の癒しになればいい。そう思ってしてくれたはずだが、あの時のぼくは、そこまでくみ取れなかった。
→お母さんは、保護室がひどいと思ってもそれ以上そのつらさに感情移入を表現できなかったんじゃないだろうか。全くそうじゃなくて、単に希望にフォーカスしたい、何か治療のためにも前向きのイメージを探したいっていうだけだったかも知れないけど。改善する力を持たずに苦しい状況に感情移入するというのは、僕にはとてもつらく、努力が要ることなので。
・加 調理場から板場は見えるんですけど、声がよく聞こえないんですよ。何かいってるなあと思っても分からない。そこでぼくは考えました。
キ 何を?
加 職人さんの唇の動きを読めばいいんだ。読唇術だ、と。
キ そんなことでけへんよな。
加 できません!
キ そしたら無理やないか。
加 でも、人間っていう生き物は、追い込まれると、とんでもない能力を発揮するんです。職人さんの唇の動きを見ていたら、「みりん」と言っているのが分かったんです。
キ 分かっちゃったんや。
加 急いでみりんを持って行ったら、職人さんがパッと受け取り、ぼくのほうをくるっと振り向いて、「バカヤロー!アジだよ!」って。 -
ブクログの懸賞で戴いた。ありがたい。
この病について、概要は知っていたが、具体的な症例はわからなかった。自分の生活の中で、たまにこの病の人にであるけれども、何を考えてどう苦労しているのか、私は深入りしてこなかった。
この本を読んで、ひとつの事例ではあるが、当事者と支援者がどんな症状に苦労し、どう考え、どのように乗り越えようとしているかを知った。だいぶイメージできるようになった。投薬と無理のない生活によって、かなり順調に暮らしていけるのだと思う。その状態を維持できるような努力と周囲の理解が必要だけれど。
ハウス加賀谷さんて、壊れてるだけの人かと思ったけど全然違うんだな。特に小・中学校時代の彼に、辛かったねと声をかけてあげたい。
いつも『いいね!』を付けていただき、ありがとうございます。
拙い感想しか載せられませんが、今後もよろしくお願いします...
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この作品は、以前図書館から借りて読みました。精神障害は、周りの理解と助けがないと本当に辛い一方です。
当事者より周りの人たちに読んでもらいたい本ですね。
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どうぞ、よろしくお...
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