- 本 ・本 (325ページ)
- / ISBN・EAN: 9784781611105
作品紹介・あらすじ
作家の五木寛之は、藤圭子の演歌を「<艶歌>でも、<援歌>でもなく、正真正銘の<怨歌>である」と評した。藤圭子は、人生の辛酸を嘗めた作詞家・石坂まさをが書いた「圭子の夢は夜ひらく」にあるように、「十五、十六、十七と 私の人生暗かった」と歌い上げた。 1970年代、若者たちは失意に満ちていた。学園紛争から安保闘争へ連なる革命に敗北していた。外に向けられたエネルギーは萎み、あてどない気分に揺れていた。 戦後日本の高度成長の陰で、人々は急激な明るい変貌ぶりに不安と迷いを覚えた。 藤圭子もまた、デビュー前に、人知れ
感想・レビュー・書評
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1970年 熱い日々をおくっていた青春。
1969年9月25日。藤圭子は『新宿の女』でデビューした。「演歌の星を背負った宿命の少女」。
売れたレコード枚数 88万枚。
私が男になれたなら
私は女を 捨てないわ
ネオンぐらしの 蝶々には
やさしい言葉が しみたのよ
バカだなバカだな だまされちゃって
夜が冷たい新宿の女。
1970年2月5日 『女のブルース』売れたレコード枚数 100万枚。
女ですもの 恋をする
女ですもの 夢に酔う
女ですもの ただひとり
女ですもの 生きていく
1970年4月25日 『圭子の夢は夜ひらく』売れたレコード枚数 90万枚。
15 16 17と
私の人生暗かった
過去はどんなに暗くとも
夢は夜ひらく
1970年7月25日 『命預けます』売れたレコード枚数 70万枚。
命預けます
流れ流れて東京は
夜の新宿 花園で
やっと開いた花一つ
こんな女でよかったら
命預けます。
19歳の藤圭子の低音のハスキーボイスで、凄みがあり、影があり、不幸な女がたどりついた最後の男に命を預ける。その4曲で、全てを出しきってしまった。作詞は石坂まさを。1970年念願の紅白出場、そして、前川清との結婚。あまりにも幸福な姿に、不幸の味は消えてしまう。1年で、前川清と破局。本当はロックが歌いたかった。アメリカに行く。そして、1982年再び結婚。1983年1月。宇多田ヒカルを産む。ヒカルを天才だと言って売り出す。1998年15歳の宇多田ヒカルが歌手デビューする。2013年8月22日 62歳。新宿6丁目にある高層マンションの13階から飛び降り自殺をする。新宿の女で始まり、新宿で死ぬ。壮絶な生き方としか言いようがない。都会の孤独の象徴のような生き方をする。
父親は浪曲師、母親は瞽女であり浪曲師。巡業中の岩手県一関市で生まれる。3歳の頃北海道旭川市に定住。両親は巡業を続けるが、貧しい家庭だった。流しに幼い頃から、母と出ていた。15歳の時、岩見沢の雪まつり会場で北島三郎の『函館の女』を歌い、目に留まる。上京し、石坂まさをと出会い、二人は懸命の努力をして、レコードレビュー。石坂まさをは、藤圭子の中に何かがあると思った。
この本を読んで、藤圭子、そして宇多田ヒカルのことを知る。歌を歌うことの定めのようなものがある。自己主張は明確。好き嫌いのはっきりしていた藤圭子。したくないことはしたくないという。
藤圭子は、藤圭子なりに、1970年を走り抜けた。ある意味では、「生きづらさ」をはっきり歌った歌姫だった。読み終わって、なんとも言えない気分となる。宇多田ヒカルに「あなたはいったいどういう人間なのか?自分のことをどう思っているのか」と聞かれたら、「人でありたいという気持ち意外考えたことなかった」という。ふーむ。なるほど。
#大下英治 #藤圭子 #石坂まさを #宇多田ヒカル詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2021.01―読了
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なぜ死を選んだのか。
そこを少しでも知りたいと思って、こうして発言を読んだり、評伝を読んだりしたけれど、やっぱりどうにも分からない。
それは身近な人でも尚更そうだろうし、そういうものだとは思うけれど。
知れば知るほど、「15、16、17と私の人生暗かった」というようなパブリック・イメージに読み手である自分自身もはまっていくのを感じる。おそらくそういう思いが本人も強烈にあったのではないだろうか。宇多田順子(本名)が藤圭子に侵食されていくというか。
にしても宇多田ヒカルの巧さはコーラス・ワークの組み立て方にあると思うのだけれど、「Automatic」の時点で「バックコーラスでなく裏声で重ねてみたい」と録音現場をしきっていたとは、スゲエぇ。 -
藤圭子を育てた石坂まさをとの関係やデビュー当時の話、一番好きな歌手宇多田ヒカルの小さい頃の生活等が垣間見えて読んで良かった。藤圭子も宇多田ヒカルも母娘で大歌手!祖母もすごい瞽女だったらしい。宇多田ヒカルの子もイタリアの血が入って超大物の歌手になりそう。ますますのご活躍を楽しみに、お祈りしてます。
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藤圭子の半生を追ったノンフィクション。
歌が上手くて綺麗で、すぐにスターになったような印象があったが、デビューまでに時間と多大な労力がかかっていたこと、労力というより執念、作詞家であり藤圭子のプロデューサーでもある"石坂まさを"の執念に驚いた。
また、晩年の藤圭子のことは初めて知った。
タイトルにある宇多田ヒカルのことは最後に少し。
強いて入れなくても良かった気がする。
著者プロフィール
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