ゴジラとナウシカ 海の彼方より訪れしものたち

著者 :
  • イースト・プレス
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784781612508

作品紹介・あらすじ

なぜそれは、おそろしいのか。なぜなつかしく、切ないのか。そして私たちはどこからきて、どこへ行くのか。ふたつの物語に、日本人の精神の原風景を幻視し、刻印する。著者渾身の論考、満を持して刊行!

感想・レビュー・書評

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  • ゴジラは、水爆であり、核であり、第五福竜丸であり、戦死者であり、太平洋戦争であり、文明であり、技術であり、それら全ての象徴として皇居を目指す。

    しかし、皇居は不可侵な聖域として破壊しない。

    皇居は、いわば森である。
    森は、自然であり、聖域であり、神である。

    ゴジラは、ゴジラ的なものは、神を侵せない。

    ナウシカの森もまた、不可侵である。
    火は、森の前に無力であった。

    ゴジラもナウシカもただのお話ではない。

    物語に包まれずには語れない、生々しい批判がある。

  • 米アカデミー賞でも評価された、日本発のゴジラとジブリ。そのコンテンツの源流はどこにあるのかを民俗学視点で解き明かした本。

    ゴジラが決して侵攻しない場所がある。国会議事堂も東京タワーも破壊したゴジラは、皇居には足を踏み入れない。それはゴジラが太平洋戦争の英霊たちのメタファーであり、またその表現をした瞬間に映画としての評価は地に落ちるからだ。

    ナウシカでも行き過ぎた人類科学が崩壊して、そこに自然界が再生していく様子が描かれる。人間はむしろ汚濁を広める存在であり、津波のような王蟲と人身御供として差し出される蒼い衣の少女。清浄なる自然と聖なる犠牲が当たり前のものとして、日本の精神性には対置されているのだ。

    大いなる清浄な存在、それは地震であり津波であり、現在進行形で原子力災害に向き合う我々に問いかけられている。無力な人々は、それを讃えやり過ごすことで、やがて豊潤な実りをもたらすことを理解していた。汚濁としての人間社会は、相変わらず混沌と理想に満ちている。自然を制御しようと線形的に進む進歩主義の行く末は、とっくに答えが出ているのかもしれない。

  • 2014.11記。

    「ゴジラ」の意味について:赤坂憲雄氏の見解

    核実験によって眠りを覚まされたゴジラ。南の海から東京に上陸し、破壊の限りを尽くし去っていく。著者はそこに南洋に散った多くの日本兵の英霊を見ている。
    ゴジラ第一作の公開は1954年、この年の人々にとって、「南の海から舞い戻り自分たちに怒りをぶつける存在」として、多くの戦死者たちはリアルそのものだった。「海の彼方より訪れしものたち」を巡る、沖縄伝承や遠野物語といった民俗学的知識を動員しての考察は興味深い。ゴジラを単なる「反核兵器」のアイコンとみるのは一面的にすぎることが理解できる。

    実は三島由紀夫はゴジラを高く評価していたそうで、著者の推測も含めて言えば、彼の作品「英霊の声」にはゴジラと符合するとも思われる部分がある。「この日本をめぐる海には、なほ血が経めぐってゐる。・・・月夜の海上に、われらはありありと見る。・・・赤い潮は唸り、喚び、猛き獣のごとくこの小さい島国のまわりを彷徨し、悲しげに吼える姿を。」三島由紀夫が単なる軍国礼賛主義者などではないことがよくわかる。

    日本人であれば、無念を晴らすために荒ぶる神になった尊い存在をいくつも知っている(菅原道真しかり、崇徳上皇しかり)。ゴジラも同様に祈りの対象だった、という解釈は可能に思えた。

    ちなみに我々の世代であれば、初代ウルトラマンにおける名作怪獣「ジャミラ」を思い出さずにはいられない。惑星探査に派遣されながら事故に合い見捨てられた元宇宙飛行士が灼熱の中で怪獣に変異し、地球に舞い戻って復讐する。ウルトラマンの発射する水流によって倒れ、国際会議場の万国旗をなぎ倒しながら死んでいく姿はもはや世代の共通記憶と呼びうる領域に達している。
    評論家の加藤典洋氏は「ウルトラセブン」のセブンは、つまり米国第七艦隊を意味している、と指摘した。自国の防衛を「セブン」に依存することへのディレンマを、沖縄出身の脚本家であった金城哲夫氏は題名に込めたのだ、と。ことほどさように、怪獣モノは戦後日本思想史を色濃く反映している。

    蛇足だが、赤坂氏と対談している俳優の佐野史郎氏の恐るべき知識量と洞察が圧巻。

  • 映画

  • 「怪獣は異界からの訪れ人である。異界にたいする豊かな感受性と想像力を背景とすることなしには、怪獣は誕生せず、その物語が大衆的に受容されることもない。昭和30年代の後半からはじまった高度経済成長期という名の、日本列島の根底からの変容と崩壊の季節のなかで、怪獣を分泌するに足る想像力の源泉としての異界とその闇は、列島の内部から根こそぎに失われていった。もはや列島はみずからの内部から、異形の愛すべき怪獣を産む力も根拠も失ったのである」 面白く真摯な考察。

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著者プロフィール

1953年、東京生まれ。学習院大学教授。専攻は民俗学・日本文化論。
『岡本太郎の見た日本』でドゥマゴ文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)受賞。
『異人論序説』『排除の現象学』(ちくま学芸文庫)、『境界の発生』『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫)、『岡本太郎の見た日本』『象徴天皇という物語』(岩波現代文庫)、『武蔵野をよむ』(岩波新書)、『性食考』『ナウシカ考』(岩波書店)、『民俗知は可能か』(春秋社)など著書多数。

「2023年 『災間に生かされて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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