恋愛論 完全版 (文庫ぎんが堂) (文庫ぎんが堂 は 4-1)

著者 :
  • イースト・プレス
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784781671123

作品紹介・あらすじ

著者自身の初恋の体験をテキストとし、色褪せることない普遍的な恋愛哲学を展開した名著『恋愛論』が「完全版」となって復活!表題作に加え、有吉佐和子さんへの追悼文「誰が彼女を殺したか?」、直筆マンガ「意味と無意味の大戦争」、本人による解説「巨大なナメクジ」ほかを収録。さらに、「最後のあとがき」を新たに加筆。

感想・レビュー・書評

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  • 先日亡くなった橋本治さんの本って読んだことなくて一冊手に取ったらめちゃくちゃ面白かった。

    講演会?かなんかで話したのをそのまま文字にしただけだから、話し言葉でダラダラしてて脈絡ないし内容飛ぶしその上書き方が古くて全体的に読みにくかったりはあるけど。

    でもこの時代に恋愛とか結婚という観点から男女平等について考えぬいて、日本の宗教のなさが恋愛に「宗教」を求めてしまう構造とか、とにかく今読んでも全然追いつけないくらいトガりまくった一冊だった。

    働く上での男女平等がようやく着目され始めたような時代に
    パートナーシップや家族間での男女平等に言及するとか、しかも性的指向についてもかなりオープンに語ってて、つがい至上主義なこの国のこの時代に?ってほんと鳥肌たちまくった。

    周りに流されずに自分と向き合って時代とか空気とかそういうものに惑わされないで己と向き合った人の言葉が心強い。

    逃げ場として閉じ込めた女たちへのエール、そして何も考えられなくさせられて天使になっちゃった男たちへのエール、どちらもバカみたいな愛に溢れてる。恋愛論ってタイトルなのに恋愛ってこの世に存在を認められてないからねってもうそんなめちゃくちゃな感じが面白かった。

    今の時代のフェミニスト風潮に居心地が悪くて、なんか疲れちゃってる女の人にこそお勧めの一冊。なぜ自分がこの時代の流れに疲れという嫌悪を示さざるを得ないのか、自由になるチャンスはいくらでもそこらじゅうに転がってる、いつでもここにあるそんなさまざまな生きる可能性を怖くないよと笑って差し出してくれた一冊。

  • 小説家デビュー前の保坂和志が関わった、当時としてはひどくラディカルであったろう講演の記録。
    高校の同級生である「彼」に対して抱いた初恋の経験を中核として、橋本治の恋愛観が語られる。これまで彼の著作を何作も読んできたけれど、とても飄々とした人物だという先入観があった。ところがところが、彼はことあるごとに泣く。講演の最中でさえ、母親の思い出を語りながら、ひとしきり泣く。なんでこれを先に読まなかったのだろう、ひたすら後悔。

    「恋愛至上主義者」橋本治が生涯に経験した恋愛の全貌はもはや永遠に知ることはできないが、本書を読む限りでは、時代の規範と橋本治個人の欲望がしのぎを削った結果、あまりに普遍的でプラトニックな恋愛観が吐露される、性愛以前、以後の。。。具体と抽象が一致した愛。

    もう、あまりに心を動かされてしまって涙すら出なかった。はっきりと言える、橋本治こそ、有限の生を生きるしかなかった天使だ。男と女の隙間という天界を、悩み苦しみながら生きた天使だ。比喩ではなく、まじで天使だ。3度死にたいと思った、死にそうになった、そして実際に死んでしまった天使。

    そうやって順を追って思うと、今更ながら目頭が熱くなってくるが、そんな液体で彼(彼女、もしくはそれ以外)の恩に報いるつもりはない、はやく乾いてしまえこの涙。

    天使にとって、橋本治の死には、ほとんど意味がない。この世にいる全人類にとってはあまりに多大な喪失だけれども。

    本を読もうと思うけど何を読んだらわからないという人たちに向けて。ならば本書を何度か読み返すだけで、そうとうの真理を手にすることができる。これ、私自身が責任を持って保証しますほんとに。

  • もともと古い本というのもあって、ちょっと読みにくかったけど、恋愛で惹かれるのは似たところと似てないところがあって〜という話は分かりやすかったし腹落ちした。あと男性の方がピュアなんだなというのも感じる。実体験と重なり納得するところもあった。

  • この本を読んでつくづく他人の恋愛なんてどうでもいいよ、と思ったので、「恋愛は個人的なこと」というのは確かにそうだと感じた。
    しかし「恋愛とはこういうものだ」「こういうのは恋愛じゃない」なんていうこと自体がナンセンスだと思うので、みんな好きなようにしたらいい。
    恋愛が個人的なものなら「恋愛論」なんてなんの意味があるのか。
    これは過去に自分がした恋愛を後から分析して語ったもので、こんな話聞いて本人以外の誰が楽しいのだろう、と思ってしまった。

  • 映画「キャロル」のレビュー記事で取り上げられていたので手に取り、著者の過去が語られ始めたところですでに読んでいたことに気づいた。『桃尻娘』シリーズが大好きだった30年近く前に読んで、そのあと自分の中では読んでないことになっていたのは、まああんまりピンとこなかったのだろう(そして陶酔能力が低いまま今に至る)。

    今回は「あーはいはい」「しらんがな」が7割、「あるある」「爆笑」が1割、「よかったね」が2割。講演時の橋本クン(ここはカナ)より年を食ってしまうと、まあそんなものである。あとがきからすると、著者も40過ぎた中年に「大丈夫」と伝える気はなかったようだし。ただ、彼の美しい思い出話に対してよかったねと思えたことにはほっとした。そこにすら白けた気持ちになってしまっていたら、自分の硬直加減に暗澹とするところだったから。

    勝ち負けとかその場で一番の男とか、そういうのは別にどうでもよくて、やさしくしたりされたりしていい相手がいたらすてきよねって思うだけだけど。そういうのは本書によると恋愛ではないらしく、だったら恋愛じゃないということでいいです。そのあたりをだれかに教えていただく気もないし、ただこの本は橋本クンの恋バナ本としてキュートなんじゃないの、って思う。

  • 1985年の講演を本にしたもの。社会的背景は古くなっているけど、橋本さんが語る「この世の真理」はまったく古さを感じない。

    名言・金言だらけです。
    20代の頃に読みたかった。
    でも、恋愛にとどまらず「世の中のしくみ」もたくさん出てくるので、恋愛する気がなくても面白く読めます。

  • ・男が男を好きになるっていうのは必ず、”社会的”なんだよ。だってそんなことスグ分かるっていうのはサ、女っていうのがなんで男を求めるのかって言えば、それは必ず社会的な力が欲しいからでしょ?男は女に個人的なものを求めるけどサ、女って違うよね。女は男に社会的なものを求めるよね。どんなに女が一人で頑張っても最終的に不安であるっていうのは、結局のところ、男に「私ってこれでいいのよね、そうでしょ?」ってことの答えを言ってもらいたいからだもんね。社会的っていうのは経済力っていうことじゃない、「最終的にはOKである」っていうその保証があるっていうことだもんね。

    ・”自分”っていう離れ小島がポツンてあってサ、その周りを膨大に海がとりまいててサ、それを埋め立ててって、遠い”陸地”と地続きにしちゃっていって、その、”陸地”ってなんだろうって言ったら、”現実”だってっていう答えが簡単に出て来るかもしれないけど、じゃァ、その”現実”ってなんなのサ?って考えたら、それはなんだか、分かったようで分かんないような話だなってことも思うのね。恋愛が結婚に続いてくっていう考えでいけば、その離れ小島と地続きになる陸地は”結婚”でしょうよっていうのもあるけど、僕の場合は、実は違うのね。これから先はどうか分かんないけど、今までのところで行けば、離れ小島と地続きになって行く陸地っていうのは、実は”自分”なのね。

    ・すごいよね。ひがみとかなんとかっての通り越して、冷静な事実とだけ直面してんだもんね。そういうもんに直面してると、結論というのが知らない間にやって来てて、背中押してんだよね。もう、自分に生きようとする気がないってことが、根本で分かってきちゃってるからサ、「ああ、明日起きたら死んでるな」ってことが冷静に分かるの。「そうか、死ぬってこういうことなんだ」と思って「またなんか新しい発見しちゃった」とかっていう気になると、突然こわくなるの。”明日の朝死んでる自分”なんてのを考えると、ホントにこわいんだ。そっちの方にズルーってすべって行きそうで。そんで、よく考えたら、「こわいからやだ!」っていって、そうなるのを止める足場なり手がかりなんて探すんだけど、もう、そういうものがなんにもない訳。なんにもないことに気がついて、実はそのことが一番こわいの。「死ぬことは事実だからこわくないけど、それを喰い止めるものがなんにもないっていうのはこわい」っていうのは、なんか逆みたいだけど、生きてる側に立ったら、勿論こっちの方が正解なのね。

    ・「おんなじ格式が高いんなら・・・」と思って、少年達は『地球防衛軍』の特撮に行ってしまうのである。”月光仮面のおじさん”が”ぼくらの赤胴鈴之助”の後にやってくるのは興味深い。自己主張ばっかりの”ぼくら”はダメになると改めて幼児化の中に入って行くのである。だからここで初めて、”おじさん”がヒーローとして出てくるのである。

    ・人体実験を競った世界的名医・花岡青洲の妻と母の凄まじい争いを描いた(とされる)『花岡青洲の妻』のテーマが、実はこれなんです。男は、女の内面を見て見ないふりをする、と。
     この『花岡青洲の妻』の最後は、墓石の話になっています。嫁と姑の争いに”勝った”嫁の墓は姑の墓よりも大きい、と。それを受けて、この作品の最後はこう結ばれますー。
       しかしこの二人の女たちの墓石を2つ重ねて倍にしても及ばないのは、それから6年後に歿した華岡青洲の墓である。ー中略ーこの墓の真正面に立つと、すぐ後に順次に並んでいる加恵の墓石も、於継の墓石も視界から消えてしまう。それほど大きい。
      
     凄まじい争いの話を書いて終始一貫冷静に筆を進めてきた作者は、遂にここへ来て怒鳴った。末尾の一行は、太ゴシックの活字で印刷された方がいいようなものだろうと僕は思う。
     それほど大きいー即ち、男は女の内面を見て見ないふりをするが、そのことを殊更に咎め立てする人はいない。即ち、隠れている。即ち”視界から消えてしまう”。「なんということだ!」の思いがこの”それほど大きい”の6文字に隠されている。

    ・エスタブリッシュメントという言葉は”支配階級”とか”特権階級”という風に使われますけど、僕にしてみればそれは”既に出来上がっちゃった人達”というのが正解なように思われます。既に出来上がっちゃってるから、その前提に関しては「もうどうでもいいじゃない」とうそぶいていられる人達がエスタブリッシュメントだと僕は思います。
     有吉さんが言った「私達親子は、もう、一族から、バカにされて、バカにされて」という言葉の説明をする時が来たようです。

    ・既に出来上がってしまった現実に対して筋を通して生きて行こうとする女に対して、世間の風当たりというのはやはり強いと思いますね。ある意味でそれは、世間から逸脱して生きて行くことですからね。そして、女であるということは、それ自体が男の作った基準から逸脱しているということでありますからね。世間というものは、あまり”女の自由”というのを喜ばないですね。そこら辺をとっつかまえて、世間というものは「彼女は女であることからさえも逸脱している」という言い方をしますしね。それを誰よりもよく知っていたのは、死んでから”奇行の人”という書き立てられ方をした有吉さんだったと、僕は思いますね。

    ・別の時、有吉さんはまた「バカな男が女を小バカにして!」と言ったけれども、「でもねェ有吉さん、もう違いますよ。世の中にはバカな男とバカな女とバカじゃない男とバカじゃない女の4種類がいて、バカな男だけが女をバカにするんですよ」と僕が言ったら、有吉さんはしばらく考えこんで、「そうやな」と言った。

    ・「志が低い!」と言ってくれる人に、僕はそれまで会ったことはなかった。「本当に、今の男の人はダメなんです」ーそう言って、僕は泣いてしまった。「チクショオ、キングになってやるぞ!」と思って。
     それが初めて会った夜のことです。有吉さんも、あまりのことにあきれたでしょうね。そして、その後ですー。
    「あなた、キングになっても、私の上には立ってはいかんよ」ーそう有吉クイーンは仰せになりました。
     なにをおっしゃるウサギさん。キングになると言った男が、どうして女王陛下の下に立てるって言うんですか。僕もなかなか大したものです。今泣いた烏がすぐ威張る。
    「いいえ、僕の方が上です!」ー天下の有吉佐和子に橋本治は初対面の席でそう言ったんです(誉めてくれ!)。
     それを有吉佐和子が見逃す訳もない。「私が上だ!」とあの人も言う。ほとんど喧嘩をしてたんですね。私と有吉佐和子女史は。
     「9月になったらセーターを編みますから」そう言って、「ああ、もう9月になるかなァ」と思っていた矢先でした。「また喧嘩するんだなァ」と思っていた頃でした、有吉さんが死んだという話を聞いたのは。本当に、あの人のご冥福を、やっぱり僕はお祈りします。
    どうぞ有吉さん、いつまでもお元気でー。

    ・要するに、私にとって仕事とは”個人的な楽しみ”が社会性という衣をまとって立ち上ることでしかなかった。ところが、河出の小池さんにしてみれば、仕事はあくまでも仕事、いくらそれが楽しいものであったとしても、それと自分自身の個人性との間には、抜き難い距離がある、と。これは彼だけではない、会社勤めという形で、公と私を切り離されてしまった男にとっては、あまりにも当然のことである。あまりに当然すぎて、そんなこと誰も言わないし、言ったってそのことの重みは分らない。そして私は、この、会社勤めも結婚もせず、自分の家から一歩も出ない私には、そんなこと分りようもない(ちなみに、現代の男にとって妻とは、会社の別名でしかない)。

    ・どうして自分のやりたいことをやるのに後ろめたさを感じなくちゃなんないんだろうね?僕がセーター作ってることあんまり人に言いたくなかった理由ってのもこれなんだけどね。
     だったら自己満足の向うに公共性だか社会性をくっつければいいじゃないか!いいもの作れば人は喜んでもらってくれるよ。もらっていただけるんだったら、それは立派に人の役に立つし、公共性とか社会性は成立するでしょ?最終的に自己満足から離れられればー離れられるということが分っていれば、そのプロセスとして存在する(多分)必要悪としての自己満足は、正当なる位置づけを獲得することになるじゃないか、という風に話はなって来る。即ち、若さの肯定は技術論の導入によって初めて可能になるという、おそろしい話になって来るのではあった。

  • 前半はちょっと面白くなるのかなとおもったが、結局言っていることがよくわからなかった。全体に80年代の衒学的雰囲気を感じてしまった。

    恋愛はステキなもので、ステキな人が自分を助けてくれることという幻想がある。これはごもっとも。

  • 橋本治って桃尻語訳の人というイメージだけで、書かれたものをちゃんと読んだことがなかった。本書を読むと、思考が止まらない人だったのかなという印象を抱いた。生き急いでいる感じがして、ちょっと苦しかった。

    冒頭では男はとか女はとかやたら言っているのが気になってジェンダーかセクシュアリティが揺らいでいる人なのかなと思ったら、まさにそういうエピソードが語られたのでやっぱりそうかという感じでした。なんかごちゃごちゃうるせえよって思ってしまったのは、自分もごちゃごちゃ考えてしまっていた過去(あるいは現在も)があるから。

    ただ、講演を起こしたもので話し言葉で書かれていたので、聴いて理解するのが苦手なわたしには話があんまり入ってこないところもあリました。

    マイノリティは否応なく、こんなふうに思考を繰らないとやっていけないんだよなと思うと同時に、わたしも思春期に橋本治に出会っていれば、自分のセクシュアリティにもっと自覚的になれたのかもしれないと思いました。

  • 1986年当時の彼女に進められて読んだ覚えがある。
    この年になって、ふと当時自分が何を思い何を考えていたんだろうって思ったときに、この本のことが頭に浮かんだ。

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著者プロフィール

1948年東京生まれ。東京大学文学部国文科卒。小説、戯曲、舞台演出、評論、古典の現代語訳ほか、ジャンルを越えて活躍。著書に『桃尻娘』(小説現代新人賞佳作)、『宗教なんかこわくない!』(新潮学芸賞)、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(小林秀雄賞)、『蝶のゆくえ』(柴田錬三郎賞)、『双調平家物語』(毎日出版文化賞)、『窯変源氏物語』、『巡礼』、『リア家の人々』、『BAcBAHその他』『あなたの苦手な彼女について』『人はなぜ「美しい」がわかるのか』『ちゃんと話すための敬語の本』他多数。

「2019年 『思いつきで世界は進む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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