ゲイカップルに萌えたら迷惑ですか? ——聞きたい! けど聞けない! LGBTsのこと—— (イースト新書Q)

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  • イースト・プレス
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784781680248

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    牧村朝子
    タレント、文筆家。株式会社オフィス彩所属。2010年度ミス日本ファイナリスト。


    同性愛者=異性嫌い」っていう誤解がまだまだあるのかもね。私も「女が好き」なだけであって、別に「男が嫌い」ってわけじゃないです。

    世の中には、ゲイとして「ヤング・ゲイ・アメリカ」って雑誌を立ち上げた人が異性婚したり、逆に「同性愛は治療可能な病気だ!!」って 11 年も主張してた人が同性婚したりした例もあるのよ。

    レズビアン」って言葉は、そう名乗らなければ勝手に異性愛者だということにされてしまう社会で、いないことにされないために名乗る言葉なわけ。ということで、まず安心してほしいのは、なにも女を好きな女が〝レズビアンさん〟っていう異世界の生き物だというわけじゃないってこと。今まで通りに接すればいいってことです。

    友達に「レズビアンなの」と打ち明ける心理には、大きく分けて3種類ある! シンデレラ型 「私、レズビアンなの(もう異性愛者のフリをすることに疲れちゃって……)」 かぐや姫型 「私、レズビアンなの(だからあなたとは住む世界が違うんだと思う)」 エルサ型 「私、レズビアンなの(そんなありのままの私を生きるのよ。

    たとえば一見して女っぽい人でも、ありのままの人もいれば義務感でやってる人もいるのよ。

    いや、アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットの結婚みたいなものなんじゃない? ってこと。バイが結婚することは、なんにもおかしいことじゃないわよ。ハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーは、昔モデルで女優のジェニー・シミズとお付き合いしていて、そのあとブラッド・ピットと結婚したのよ。

    ちなみに、「人間は同性愛者と異性愛者のふたつに分かれるはずだ。どちらかひとつを選べない人は劣っている」みたいな考え方のことを、英語で「モノセクシズム(Monosexism)」って言ったりするのよ。

    私も中学生の時、ある先輩が他の先輩に取り囲まれて、「こいつレズだからね~! 女子は気を付けてね!」とかいって笑いものにされているところに直面したの。すごくいやな気持ちになったけど、何も言えなかった。まさに、注意して「お前もレズなの?」って言われるのが恐かったです。

    「同性愛者なのか?」と聞かれた著名人の反応いろいろ 質問自体が不愉快だ、とバッサリ全否定する。 ・ヒュー・ジャックマン(オーストラリア/俳優、映画プロデューサー) 「人がゲイだろうがなんだろうが、どうでもいいことだと思うがね。妻の前でそんなことを聞かれるのは不愉快だ」(テレビ番組において妻と共演時、2012年) 攻撃のつもりで「お前も同性愛者か?」と聞いたのかもしれないけど効いてないよ、と表明する。 ・ジェームス・フランコ(アメリカ/俳優、作家、映画監督) 「俺、『嬉しい! もっと言って!』って感じだったよ。だって、悪口でもなんでもないじゃん。だからゲイだと思われてもイヤじゃないよ。『やったー! 俺、ゲイだったらよかったのにって思ってたんだー!』みたいな」(WEBサイト「ザ・デイリー・ビースト」において、コメディ番組で「お前ゲイだろ」と笑いものにされた時のことについて聞かれ、2013年) そんなのどうでもいいじゃん? という反応をする。 ・小泉進次郎(日本/政治家) 「何書いてもらってもいいんですが……。もうね、まな板の上のコイズミですよ」(週刊誌での「ゲイでは」という報道についてスポーツ報知記者の前で、2013年) 自分自身の性的指向へとずらされた論点を、「そもそも人様の性的指向をネタにすることがおかしいんだろ」という本題に戻す。 ・ジョージ・クルーニー(アメリカ/俳優、作家、映画監督) 「笑えるね。けれど僕は、否定して騒いだりしないよ。そんなの、ゲイ・コミュニティにいる僕の友達に対して失礼なことだ。ゲイであることが悪いことであるかのような印象を、誰にも抱かせたくないんだ」(雑誌『ジ・アドボケート』で「ゲイという噂もありますが」と聞かれ、2011


    LGBTという言葉で呼ばれる人に対して失礼にあたる接し方は、LGBTでない人にだって失礼な接し方です。

    フランス人であるとか、LGBTであるとか、そういったことは確かに個人を構成する一部分であるかもしれないわよ。でも、同時に、一部分でしかないものでしょう。一部分を共有する人たちだって、それぞれ違う人間よ。「フランス人さんたち」とか「LGBTさんたち」みたいな存在がこの世にあるわけじゃないのよ。 モリガ   ある人間のことを、その人自身の名前じゃなく、「フランス人ってさぁ……」「LGBTの人って……」「やっぱり男は……」とかいうふうにカテゴリ名で呼んでいたら、それは要注意のシグナルかもしれないです。

    1970年ごろ~「ゲイ」から「レズビアン」「バイセクシュアル」が分離  「女どもは、同性愛者としてだけでなく女性としての権利も訴えてる。あいつらは俺たちゲイの社会運動を乗っ取るつもりなんじゃないか」  「バイセクシュアルはゲイを名乗れない中途半端なやつらだ」  「トランスジェンダーってなんだ、女装か? ああして異性愛のマネみたいなことをするから俺達ゲイが誤解される、迷惑です。

    人気俳優のロック・ハドソンが、エイズ患者であること、ゲイであることをカミングアウトして亡くなったのです。ハドソンはアカデミー賞司会者まで務めた大スターで、身長190 cm を超える雄々しい男性でした。いかにも異性愛者というイメージのハドソンが、ゲイであることをカミングアウトして亡くなったものですから、アメリカ社会ではこんな声が高まっていきます。  「ゲイは、見た目でわからないだけで、どこにでもいるんだ。みんな出て来られないだけです。

    LGBTの歴史年表 (533) 【東ローマ帝国】 帝王ユスティニアヌスI世、同性愛は飢饉や疫病の原因であるとして禁止。 (757) 【日本】 聖武天皇の孫であり、遺言により皇太子となっていた皇族・道祖王。孝謙天皇により「聖武天皇の喪中に召し使いの少年(侍童)と性行為を行った」とされ、皇太子の地位を失う。同年、拷問により殺害される。 (985) 【日本】 仏教書『往生要集』、男性同士で性行為を行った者は「多苦悩処」と呼ばれる地獄に堕ちると説く。責め苦の内容は、恋人だった男に地獄で会えるが、近づこうとすると全身を焼かれるように苦しく、抱き合えば全身がバラバラになってしまうというもの。 (1102) 【イングランド】 オーラルセックスやアナルセックス、特に同性間の性行為など、生殖を目的としない性行為が「ソドミー」と呼ばれ、罪深いものと定められる。この考えは後に、キリスト教の伝播およびイギリス帝国主義の波に乗って世界各国に広まり、2016年現在にあってもシンガポールやナイジェリアなどの旧植民地に法律として残ることになる。 (1278) 【日本】 この頃、日本最古のレズビアン小説として知られる「わが身にたどる姫君」が完成した。 (1532) 【神聖ローマ帝国】 刑法により、ソドミーが死刑に値する犯罪と定められる。 (1629) 【アメリカ大陸】 現在のヴァージニア州にあたる地域で、「トーマス」であり「トマシーヌ」でもあると名乗る人物が、「自分は男でも女でもある」としたため、性別決定裁判にかけられる。結果、訴えは認められ、男性の服装も女性の服装も許された。 (1652) 【アメリカ大陸】 現在のニューハンプシャー州にあたる地域で、ジョセフ・デイヴィスという人物が女装の罪で罰金刑を受けた。 (1659) 【アメリカ大陸】 コネチカットのニュー・ハヴェン・コロニーという地域が、女性同士の関係のみ合法化。 (1791) 【フランス】

    私は、2009年、 22 歳くらいまで、自分のことを異性愛者だと思って生きてきました。LGBTという言葉も知りませんでしたし、お付き合いしてきたのは私にとっての異性(つまり男性) でした。  そうして男性とお付き合いすることを、私は「努力」だと思ってきました。「私は女性に生まれたのだから、男性に喜んでもらえる振る舞いや家事の技術などを身に着けるべきなのだし、いずれは男性と結婚して妻となり母となるべきなのだ」と信じていたのです。  ……けれど、そんな自分を想像しても、ちっとも幸せな気持ちにはなれませんでした。  私はもう、6歳くらいの時には、とってもキレイで優しかった保健室のお姉さん先生に優しくしてもらいたいがために鼻をつつきまくってわざと鼻血を出すような子どもでした。

    10 歳の時には、「 20 歳になった自分の姿を絵本に描いてみましょう!」という課題が学校で出されましたが、「私は女の子なので ステキなお母さんになって 子どもにおやつをたくさん作ってあげたいと思います」と書いていたその絵本に夫と思しき男性の姿はありませんでした。

     初恋を押し殺してから、 10 年以上の時が流れていました。私は、フリーターを経て学生になり、100人くらいの学生と一緒に一般教養の講義を受けていました。  何の話をしていたんだか覚えていません。ただ、これだけは昨日のことのように目に浮かびます。  「レズビアン」  先生が黒板にそう書いて、レズビアンについて話し出したのです。私は焦って周りを見ましたが、笑ったり不快そうにしたりしている学生は誰もいません。  大学って、こんな場所だったのか!  レズビアンについて学問として真面目に扱う、こんな場所が世の中にはあるのか!  その日のことでした。「ジェンダー・セクシュアリティ論」と呼ばれる学問がこの世に存在することを知ったのは。  私は本を読み漁り、読書会や勉強会に参加し、前のめりでジェンダー・セクシュアリティ論を学んでいきました。LGBTという言葉の存在を知ったのは、そんな中でのことだったと思います。それは、アルファベットであるせいか、なんだか遠い、別世界の言葉であるように思えました。私より年下の学生たちが、まったく臆さず誇らしげに「自分はLGBTだ」と言っている姿にも胸を打たれました。  うらやましい、と思いました。当時、女性として男性とお付き合いしていた私は、LGBT勉強会に〝当事者〟として参加させてもらえる気はしなくて、「自分はLGBTだ」と言う学生たちをまぶしく見ているばかりでした。

    2012年、有名経済誌「東洋経済」と「週刊ダイヤモンド」のLGBT特集。  2014年、NHKの「週刊ニュース深読み」でのLGBT特集。  2015年、ジャーナリスト池上彰氏も「LGBTが流行語大賞の候補になるのでは」と思います。

  • 対話形式でLGBTsについてのQ&Aに回答する形になっていて、身近に感じられ、大変わかりやすく書かれています。読んでいて「あくまで一個人として誠実につきあうこと」「LGBTsに対して、というのではなく、集団全体に対して配慮すること」が重要だな、ということを改めて認識できた気がします。

    歴史がマンガで紹介されているのも、わかりやすいですね。

  • 『百合のリアル』『同性愛は「病気」なの?』に引き続き、牧村さんの新書のレビューは三冊目です。

    ・LGBTsQ&A
    ・LGBTsという言葉の歴史紹介漫画&年表
    ・LGBTs用語集
    ・「LGBT」ってなんだろう?(「LGBT」という言葉をどう考えるか)
    新書でありながらこのような内容がまとまって一冊になっています。

    まず、単純に感じたこととして、便利ですね。「考えるための叩き台」として活用するには、過不足なくまとまっていて、非常に勝手がいい。
    最近StevenPetrow”lgbt etiquette”(http://stevenpetrow.com/gay-manners.html)を読んで話し合う勉強会に出席した時感じたことですが、Q&Aにしても何にしても、あくまで「問題意識を共有して話し合う叩き台」として活用すべきだと思います。こういう内容の本を読む際よくありがちなこととして、「このように書かれているのだからその通りだ」「こういうマナー(あるいはその元にある苦情、差別事件等)があるからどの人にもそうしなければいけないんだ」という感想を抱いてしまうというのがあります。それは単なる強迫観念でしかありません。「LGBTsの人たちと関わるのは面倒くさい」と避けたり、具体的な人間関係から排除したりする原因にもなってしまう危険なものです。牧村さんも、この本ではそうした強迫観念を抱かせないような気配りを出来る限り、最大限払っていますね。第1章のQ.19(p.124-131)なんかは特にその現れだと思います。

    その上で感じたことを申し上げると、改めてですが、「性のあり方でお互いが合意しあう」って思っている以上に難しいことですね。お互いがお互いを丸ごと人間として尊敬して、同じ土俵に立って、話し合っていくということ。これは、あらゆる社会問題のあらゆる場面で全くあるいはほとんど出来ていない(だからこそ社会問題になる)ことですが、こと性差別、性のあり方をめぐる社会問題に関しては本当に出来ていない。何より私自身が、なかなか出来ていない。
    「LGBT」という言葉が、日本にも広まり浸透し始めたと同時に、どこか現実から離れたところへ独り歩きし始めてしまっているのが現状なのだと感じました。私自身、「LGBT」だとか「セクシャルマイノリティ」だとか「性差別」だとかに問題を感じて勉強している身でありながら、現状認識が甘いところがあったと思います。だからこそ、言葉の紹介だけでなく言葉の歴史も知らなければいけない。無論、言葉の歴史を知るということは、その言葉を使ってきた人達に目を向ける、その言葉に生きた人達の歩んだ歴史に学ぶということですが、その押さえるべき大事な、基本的な部分をこの本で教えられたように思います。

    「肝心なのは、社会にある性差別を、誰もが自分のこととして向き合えるかどうかです。「つらいのはLGBTsだけじゃないんだから我慢しろ!」とか「男性だって差別されてるぞ!」みたいな、「どっちが弱者でしょう合戦」をするよりも、「どうしたらよくなっていくかな」って、誰もが自分事として考えられたらいいなって、私は思っています。」(p.218)

    これは私自身の実感にもぴったりくる言葉ですね。性差別やLGBTsに関する勉強会に参加したり、私自身そういう会を立ち上げたりしている身としては、どうしても周囲に対して「性差別を問う」というアクションに非常に後ろ向きな感じを受けてしまう。どこかLGBTsに限らず「性」の問題全般をタブーにしてしまう雰囲気だとか、そういう会に参加したら周りから変な目で見られるのではないかと恐れられたりとか、初めから「自分とは関係ない」とシャットアウトされたりとか……。確かに悲しい気分にはなります。しかし私の方も私の方で、性差別に向き合い勉強している者として問題意識を握りしめてしまっているところがあって、「どうせ分かり合えないのならこれ以上は無意味かもしれない」とお互いが通じていく道を自分で遮っているという感じがします。真面目に議論する体で結局「どっちが弱者でしょう合戦」に簡単に嵌ってしまっているところがあるという感じがします。

    お互い「性のあり方はバラバラ」という事実を受け止めつつ、でも「人間ということでは一緒」ということで通じ合っていく関係をどう具体的な生活現場で実現していけるか、そのために日々の事柄においてどういう形の合意形成が望ましいのか、しつこくしつこく、考えていきたいと思います。

著者プロフィール

タレント、文筆家。2010年度ミス日本ファイナリスト。13年、フランスでの同性婚法制化を機に結婚。芸能事務所・オフィス彩に所属してテレビで活躍。並行して、『百合のリアル』『同性愛は「病気」なの?』(ともに星海社)、『ゲイカップルに萌えたら迷惑ですか?』(イースト・プレス)などの著書を刊行。17年に事務所から独立し、「脱婚」。LGBT関連にとどまらず多面的に活躍中。

「2017年 『ハッピーエンドに殺されない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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