- Amazon.co.jp ・本 (152ページ)
- / ISBN・EAN: 9784781690209
作品紹介・あらすじ
「東北」って、いったいなんだ!?-もしかするとそれは、架空の場所?そして幻想の呼び名?3.11以降、あたりまえに語られるこの名称の起源と、「まん中」との関係の歴史を、じいちゃん、ばあちゃんの声なき声を交えてやさしく説き起こしながら、「原発」大国日本が切り捨ててきた事実をみつめる。まったく新しいスタイルで語られる、宮城出身の俊英による異色の日本近代史と、私たちのゆくえ。
感想・レビュー・書評
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東北人からみた東北についてはよく理解できたが、できれば東北に住んでない人からみた東北についてをもっと知りたいと思った。
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「まん中じゃないところに目を向けてみよう」
これが、この本のずばり言いたかったことではないか
東北に育った著者が、自身の認識と周囲とのずれ、
自身が都会に行って初めて見えてきたもの、
そういった実体験にもとづく客観的で、視野の広い
「東北学」の一冊 -
私自身東北(山形)を見つめ直したのは、ここ数年の話。
首都圏の感覚で捉えてはいけない、東京の資本に侵されてはいけない、と真剣に考えた。
これほど豊かなものを大企業に食いつぶされるのは悔しい。そんな私を支えてくれるような本だ。
今までの歴史の蓄積を信じて、大地を、海を信じて
進んでいきたい。
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私は、震災後の東北はおろか、
震災前の東北ですら何も知らない。
地方と中央。
度重なる自然災害。
本来は適さないはずの場所で営まれる米の栽培。
東北に生まれたことへの恥じらい。
こういうものは、
いわゆる都市で生まれ育ったわたしには、
本当にわからない感覚だ。
わかってほしいとも思われないかもしれない。
でも、知りたい。
できることなら寄り添いたい。
同じ日本人として、
日本に暮らす者として。 -
2011年、東北という土地は大きな傷を負いました。
3年経ったいまでも復興活動は続いているけど、新しい東北に生まれ変りつつあるのではないかと漠然と思っています。
このこども東北学を読んでその思いをさらに強めました。
「まんなか」に従属した地方としてではなく、その根をその土地に張り巡らせたものとして、東北が変わっていく流れが途絶えないことを祈ります。 -
東北という地方についてとても考えさせられる1冊。今まで自分では想像することのできなかった考え方や、知らなかった世界に触れることができました。
安藤昌益の言葉の引用で、「自分で食料を生産できない人間がえらそうなこというな(ざっくりとそんな感じのこと。詳細は違います。)」っていうのが、「そうだよなー」となんだか納得。 -
こども向きだと侮る勿れ、簡単に読める文体ではあるが、内容は寧ろ大人向きはないだろうか。とっつきやすい文章でも、テーマは重く、筆者の実体験などをも通じたエッセイ的な東北学が展開されていく。
筆者は東北地方の出身。当事者であるがゆえに、雑多な印象を受ける部分もあったが、当事者だからこそ、入り込んで真に迫る部分もあり、後者のインパクトが強い。
大都市側と農村側("まん中"と"東北")がもっている細かな心理的部分を全て拾いきることは、地方都市出身である私には難しいことなのかもしれない。というより、筆者の体験談を読んで、我が地元は地方都市型な地域なのだと再認識させられた。
私の地元は、電車の車窓から田園風景が広がるような地域で、世間一般的には「田舎」の部類に入る地域だ。いや、「田舎」の部類に入る地域"だと思っていた"と言うべきか。
エッセイの語り口で述べていく筆者の地元談は、私が18年間、故郷で経験してきたような田舎談とはまるで違った。軽くカルチャーショックを受けた面すらあった。
この国の"東北"が身を削りながら"まん中"を支える極端なシステム論的構造は、依然として想像以上に根深く残っている。"東北"が"まん中"に対して持つコンプレックスも同様に根深いものなのかもしれない。
ただ、震災を契機に、これらの構造は見直されつつある時期に突入している印象は受ける。東北地方は自分たちの"まん中"を歩んでいってほしい。