科学が問われている: ソーシャル・エピステモロジー

  • 産業図書
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  • Amazon.co.jp ・本 (247ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784782801291

作品紹介・あらすじ

高エネルギー物理学、ヒトゲノム計画、古生物学、これらがなぜ「科学」という名でひと括りにされているのだろうか。社会はどうして科学を援助しなければならないのか。高度に産業化した社会の中で営まれる現代科学の変容とその思想的特質を、哲学的、政治的に読み解く。

感想・レビュー・書評

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  • 認識論的議論と倫理(価値)的議論の区別。

    「何を排除しているか」が重要。
    科学の強みはそれが排除する誤りにあるのであって、確率する真理(残余カテゴリー)にあるのではない。

    誰もが信じなければいけないーさもなければ非合理と見なされるー信念など存在しない。

    モード1、2のどちらかの選択を迫るのには反対。
    (無自覚にモード1と自覚しているモード2は?)

    日本の大学はもともと実学(防御的近代化、技術)思考。欧米は文化、価値、イデオロギーを導入しようとしたが失敗。日本はマルクス主義に対して「後進性の相対的有利」(先人の失敗から学ぶ)で抵抗。日本は西洋の”悪い部分”形而上学的な部分を排して操作的に導入した。(そこが日本教育の味気なさにつながるのかも。)

    デンマーク「コンセンサス会議」(市民参加)市民が専門家並みの知識を吸収して議論。
    ー対話空間の創出

    科学社会論的なものははじめの一冊はとても発見があり感動するのだが、それが退屈な”ありがち論”に変化し、退屈してしまう速度も速い。理由はわからないが、感覚的にそうなのである。大枠を理解したらあとは重箱の隅的な話をいかに広げるか、というぐらいの微小な違いしか感じられない。

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著者プロフィール

1959年、ニューヨーク生まれ。1979年、米国コロンビア大学卒業。ケンブリッジ大学で修士号を取得した後、ピッツバーグ大学博士(科学史科学哲学、1985年)。ヴァージニア工科大学、ダーラム大学等を経て、1999年より英国ウォーリック大学教授

「2009年 『我らの時代のための哲学史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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