信じるということ (Thinking in action)

制作 : Slavoj Zizek  松浦 俊輔 
  • 産業図書
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本棚登録 : 40
レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (193ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784782801475

作品紹介・あらすじ

本書では、欠けているものを補おうとして次々と何かを求める、物質主義的な世俗の現代生活も、実は信仰に根ざすことを、多様な素材を基に解き明かす。

感想・レビュー・書評

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  • ジジェク的というかラカン的な、普通の見方を逆転させる発想が、出来事をあるがままに見たときむしろ真実をついていると納得させるアイデアの連続。「確かに人間は、トイレでほっとするような実に楽しいこともするが、そのためには、食べるという退屈な文明化された儀礼を代償にしなければならないことを忘れるべきではない。」など。

  • 社会的な事柄が信じられていく過程について書かれている本だったと思うけど、そこには宗教と関連した「信じる」ということと、社会的な事柄の結びつきが書かれていて面白かった。

  • うーん。面白い。知的好奇心を刺激される。

    大胆なキリスト論でしたが、「新奇性」ってこういうことを言うのね。

    まだ「分かった!」とは言えないので、あと10回は読み直す必要有り。その前にある程度、ハイデガー、ヘーゲル、カント、ラカン、デリダを抑えておく必要があるなー。ああ、大変だ。でも、今、勉強する気満々なの。

    原書は英語なので、今度はそっちで挑戦。

  • ジジェクはこれで4冊目になるが、わずか200頁足らずの本だがずいぶん難物だった。反語・逆説のオンパレードには慣れてはいるが、テーマが深まればそれだけ思弁も複雑化する。
    西洋キリスト教文化の抑圧からの脱却は、資本主義原理への対抗でもあり、その活路としてのグノーシース主義的なもの(東洋的神秘主義と同列にここでは取り上げられる)を排し(それはすでに資本主義イデオロギーに汚されたものというお得意の議論)、置き去りにされたキリスト教のアガペーを再発見する。
    はたしてこれは順説か?

  • 「今日の、『デジタル革命』から古い社会形態の退行まで、絶えず急速に変化する時代にあっては、思考はかつてないほど『弱気になり』、古い概念的な座標を早々に捨ててしまう誘惑にさらされている。」
    『起こったことを理解することは、たぶんできない、さらにしてはならない』
    「真に自由な選択は、私が単に、あらかじめ与えられている座標の集合の内部にある、二つあるいはそれ以上の選択肢から選ぶのではなく、この座標の集合そのものを変えることを選ぶ選択なのだ。」
    「『神』は結局のところ、意味のない犠牲、つまり自分にいちばん大事なものを放棄するという純粋に否定的な身振りを表わす名前である。」

    恐ろしいほどに、この本に何が書かれているのかが解らない。それでも、何かが隙をついて飛び込んでくる。読むことを止められない。結局、掬いだせるものといったら、アフォリズムのように強い力を感じる言葉だけで、その背景となる思考、もちろんそれをジジェクは幅広い分野からの引用で色付けるのだが、それが論理的に何かはっきりとした構造物のようなものとして頭の中で整理されたような気が全く起こらない。

    例えば、それは、この文のような英文法で言うところの複文構造を持った、つまり一つの文章の中にある言葉を補おうとする文章があるような文章が次々に表れるせいかも知れない。思考は頭の中で明らかに、行ったり来たり、する。普段の日本語では意識にもあがらない主語と述語の関係を、必死になって追いかけていることに終始するような読書を強いられている気がしてくる。その言葉の辻褄の向こうに何があるのかが知りたくて仕方がない。

    一方、引用される古今東西の人物の思想、著作に対する余りに低い認知度が、ジジェクの展開する論法についていくだけの体力の無さ、あるいは足かせとなって、前へ進めないのかも知れない。それについては遠回りでもそこを一端辿ってみて出発点に戻るというのが真摯な態度というべきものであることは、自分自身の分野における論文を読む経験からも認識しているのだが、この著作の場合、それは一つ一つ足場の踏み石が固定されていくというよりは、おそらくどこから這い上がってよいのかさえ見失いかねない底なし沼に陥るような遠回りになりそうであることは容易に想像がつく。

    辛うじて理解しえたと思えるのは、自由とか、信じる、という根源的に魅力的に響く言葉、そしてその意味するものが、ナイーブに日常生活の中で取り出して眺め得るような輝きを持ったものとは程遠いものなのであろう、ということである。それさえ、雰囲気としてそうなんだろうな、と思うだけで、ぎりぎりと自分自身を困難な状況に追いやったり、追いやったと仮定してみたりして、その状況から出てくるであろう何かを通して感知したというものではなく、かの人がそういうのならそうなのであろう、という程度の感覚である。

    本書はもちろん「信じるということ」という位であるので、宗教と根深い繋がりのある議論が展開されている。しかしそれは「信じる対象」を語ることではなく、「信じるということはどういうことか」というモデルを、つまり人間の倫理観や論理的整合性の中で一体何がなされるのか、あるいはなされるべきであるのか、を解いた本であると思う。信じることはできなくても信頼することは可能である、という言明が頭の中のベルを激しく打ち鳴らした。

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著者プロフィール

1949年、スロヴェニア生まれ。哲学・精神分析から、映画・芸術、現代政治まで、縦横無尽に論じる現代思想界の奇才。『イデオロギーの崇高な対象』『ラカンはこう読め!』『ロベスピエール/毛沢東』他。

「2015年 『事件! 哲学とは何か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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