社会学への招待

著者 : P.L.バーガー
制作 : Peter L. Berger  水野 節夫  村山 研一 
  • 新思索社 (1995年12月発売)
3.38
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784783511786

社会学への招待の感想・レビュー・書評

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  • P.L.バーガーの名著。
    社会学入門編として名高い。
    1979年刊行だが、読むたびに新しい。

    「社会学とは何か?」について、その学問的意義を、懇切丁寧に解説。
    学問的興味が深まるのはもちろんだが、最終的には読み手が自己の内面について改めて考察せざるを得なくなる、内省型の理想的著書といえる。


    アメリカにおける社会学発達の源泉は、産業革命にひきつづいて発生してきた多くの問題であった。
    たとえば急激な発展とその中につくられていったスラム街、アメリカに渡ってきた移民の群れ、伝統的生活様式の崩壊などが、社会学的調査の対象となった。
    しかし、その初期においては、アメリカのソーシャルワーカーが「理論」を発展させるのに影響を受けたのは心理学であった。
    ここにおいて、ソーシャルワークのための心理学が、社会学と混同されはじめた。しかも、精神科医のイデオロギーを取り入れたことで、ソーシャルワーカーの「理論」は都合がいいように削除・訂正された内容がほとんどを占めるようになったという。

    ソーシャルワークは、社会における、ひとつの実践である。
    社会学は実践ではなく、理解しようとする試みである。
    つまり、社会学がソーシャルワークに対する評論家といったイメージについて、著者であるPLバーガーは完全に否定している。

    社会学の企てに関する考え方を的確に明言したものが、マックスウェバーの「社会学の価値自由」である。
    社会学者として活動する限りにおいて、唯一基本的な価値である「学問的誠実さ」と合致するとバーガーは解説する。
    社会学者が自己の視野に入った対象に対して、人間に与えられた手段で可能な限り純粋に知覚すること。この事こそが、社会学の目指す目標であるとした。

    社会学とは特定の学問的規律にしたがって社会を理解しようとする者のことである。この規律の本質は科学的なものである。自己の研究している社会現象について社会学者が発見し、論ずるものは、比較的厳密に定義された特定の準拠枠の中に現れてくるのである。
    社会学の目標は社会を理解する事であると、繰り返し述べられている。

    社会学研究の醍醐味について、PLバーガーは「それはまったく見知らぬものに出会う時の興奮ではなく、見慣れたものの意味が変容するのを知るときの興奮である」とし、この変容は他の多くお学問分野で経験するものよりも、人間の存在にとって持つ意義が大きいと述べている。
    その例として、権力・階級・地位・人種・民族性などの慣れ親しんでいた場面についてそれまで前提にしていた事が、ある洞察に依って突然根底から覆えり、疑問をつきつけられてしまう経験を通して社会学が与えてくれる興奮を理解すると解説している。

    そもそも社会学発展の契機は、文化の自己理解が激しく動揺している社会的状況にある。
    キリスト教世界の規範的構造が崩壊しはじめ、それに次いで旧体制(アンシャンレジーム)も崩壊を開始した時にはじめて、近代社会学的な意味における「社会概念」の出現が可能になった。
    社会とは建築の隠れた骨組みであり、一般の目からは隠されている。中世キリスト教世界においては、ヨーロッパ人に共通な世界を構成する宗教的・政治的
    ファサード(西洋建築の正面部分)に覆われ見えなくなっていた。宗教改革がキリスト教世界の統一を破壊した後では、絶対主義国家が世俗化された政治的ファサードによって、同様となった。
    社会的現実を公式的に理解したのでは、奥に潜む社会と言う枠組みを理解できないような力が視野に入ってきたのは、絶対主義国家の崩壊と同時である。
    社会学的視界も、見通すとか裏を見るという言葉によって理解しうるものがある。
    社会学者が知りたいのは、「非公式的権力構造」を形づくっている支持者層であり、人々とその権力の布置状況についてである。
    公務員や既得権益、初期業や犯罪組織の中でそれを発見することにより、権力を規制していると考えられる公式的な機構の「裏を見る」のである。


    社会学的意識意には、「現実暴露」という動機が内在しており、人々の行為を覆い隠している虚飾やプロパガンダを剥がすべしという命令を論理的に引き出して来る。

    「現実暴露」の機能的分析について、社会学者ロバート・マートンは、「顕在的機能」と「潜在的機能」という概念で説明している
    この例えが面白かったのでいくつか記す。
    1)賭博禁止法の顕在的機能は賭博を禁止することであり、潜在的機能は賭博シンジケートを産み出し、非合法の帝国をつくりあげるということになる。
    2)アフリカ各地でのキリスト教布教活動は、顕在的にはアフリカ人をキリスト教に改宗させようとし、潜在的には土着の部族文化の破壊をうながし、その結果急激な社会変革の方向へと加速度をあげることになる。
    3)ロシアにおいて社会生活の全局面を共産党がコントロールするのは、顕在的には革命のエートスを永続させるためであり、潜在的には官僚という、ボルシェビキの事項否定ともとれる新しく裕福な階級を産み出す。
    4)アメリカに多く見られる自由加入制の結社がもつ、顕在的機能は社交と社会奉仕であり、潜在的機能は結社への加入が許された人々に地位の記章を与えることである。

    以上のような機能分析を使って、プロパガンダのベールの奥にある真実を明らかにするアプローチも可能である。
    5)アメリカの多くの医者が抱く「患者がサービスに対価を直接支払うことを廃止し、健康保険制度を導入すれば、健康の標準が低下する」という信念を分析するときに、イデオロギーについて語る事が可能と成る。
    イデオロギーというものは、ある種の観念が社会の既得権益に奉仕することを指し、しばしば社会的現実を体系的に歪めてしまう。

    それゆえ、社会学が日常生活の惰性的な精神状態に陥り、体裁を引きはがすという態度をすっかり忘却してしまった場合や、体裁の整った思想しか認めなくなったとき、社会学は死へ向かうのだ。


    また、本書は名言が各所に鏤められているのも魅力のひとつ。
    気になったのを以下に抜粋。

    もっとも親密な人間関係とは、自己像のもっとも重要な要素を維持するために依存する必要のある人間関係のことである。


    人間の尊厳とは、社会的に認可されるか否かという問題なのである。


    自己とは、もはや状況から状況へと動きまわる実在であり、信頼のおける所与の実在ではない。記憶という細い糸によってかろうじて繋ぎとめられながら、社会状況において絶え間なく創造・再創造を繰り返していく過程なのである。


    各々の社会は、それにふさわしい人間を獲得するという言い方は正確ではない。むしろそれが必要とする人間を産み出すのである。


    人間が「自己欺瞞」に陥ることができるのも、人間が自由であり、にもかかわらずその自由に直面したくないからである。
    我々は自由へと呪われている。(サルトル)



    そして、最後に本書の核心とも言うべき記述として、以下を紹介する。

    「社会は、我々の動きを統制するだけでなく、我々のアイデンティティや思想、感情まで形づくる。社会の構造は、我々自身の意識の構造となる。社会は、我々の皮膚の表面で、止まっているということはない。我々を包み込むと共に、我々の内に食い込む。我々が社会の囚われの身になるのは、社会に征服されてというよりも、社会との共謀によってなのである」

  • 「正しい」とされていることが、どのように形成され、またどのように検証可能であるのかを、ロジックと著者らしいユーモアで丹念に描きだす。自分自身の常識に照らしても、ハッとさせられる例が多い。(キリスト教における洗礼と、共産主義における自己批判の対比など)。また、そうした意識の恣意性を認めつつも、「自己」というものを持つことは可能なのか、またそれはいかにしてするかの意見も添えられており、決して突き放してはいない。社会学を少し学んだ入門者にお薦めする。

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