蒲原有明詩集 (現代詩文庫 第 2期13)

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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784783707981

感想・レビュー・書評

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  •  桜の花びらが排水溝に落ちて泥にまみれている。それを美しいと感じる女の子をぼくが小説に描いたら、同じ同人仲間のおじいさんに「蒲原有明のぱくりだな」と言われたことがある。
     いったいどのぱくりなのだろう。で、見つけた。本著の寺田透の解説にも「醜を美に転化させて歌ふ」ということで取り上げられているのが、「朝なり」だ。丁度、蒲原30歳の時。

    【朝なり】

    朝なり、やがて濁川
    ぬるくにほひて、夜の胞を
    ながすに似たり。しら壁に――
    いちばの河岸の並み蔵の――
    朝なり、湿める川の靄。

    川の面すでに融けて、しろく、
    たゆたにゆらぐ壁のかげ、
    あかりぬ、暗きみなぞこも。――
    大川がよひさす潮の
    ちからさかおすにごりみづ。

    流るゝよ、ああ、瓜の皮、
    核子、塵わら。――さかみづき
    いきふきむすか、靄はまた
    をりをりふかき香をとざし、
    消えては青く朽ちゆけり。

    こは泥ばめる橋ばしら
    水ぎはほそり、こはふたり、――
    花か、草びら、――歌女の
    あせしすがたや、きしきしと
    わたれば歎く橋の板。

    いまはのいぶきいとせめて、
    饐えてなよめく泥がはの
    靄はあしたのおくつきに
    冷えつゝゆきぬ。――鴎鳥
    あげしほ趁ひて、はや食る

    濁れど水はくちばみの
    あやにうごめき、緑練り、
    瑠璃の端ひかり、碧よどみ、
    かくてくれなゐ、――はしためは
    たてり、揚場に――女の帯や。

    青ものぐるま、いくつ、――はた、
    かせぎの人ら、――ものごひの
    空手、――荷足のたぶたぶや、
    艫に竿おし、舵とりて、
    舳に歌を曳く船をとこ。

    朝なり、影は色めきて、
    かくて日もさせにごり川、――
    朝なり、すでにかがやきぬ、
    市ばの河岸の並みぐらの
    白壁――これやわが胸か。


     蒲原は「詩の将来について」で「自由詩が旧詩壇に取って代わってからすでに三十年にもなる」と回顧し「自由詩は然しながら普及したのである。現に街頭の宣伝ビラにも、新聞に載る化粧品の広告にも、酒場や珈琲店のちらしにも。そこには現代が裸でよく踊っている。あれはあれでよいのである。」とあって、現代語で書く自由詩を、アマチュア作家の群れを呼ぶはめになったとか、律格や散文語を用いているため、範囲も狭く、やがて自壊すると述べている。この30年は、自由詩においてまったく収穫はないと不平を言っている。
     萩原朔太郎は「蒲原氏の詩風は浪漫的にして、しかも情緒の濃厚なる神秘的気韻を特色とする」「蒲原有明氏の詩風は象徴詩である」と述べるが、ロマン主義、高踏派、象徴主義というものが日本語になったとして、ぼくは区別できる自信がない。
     ところで、この本の……いや、この蒲原有明詩集の最大の特徴は、「解説」だ。
     解説というのはたいがい褒め言葉の羅列で死ぬほどつまらないものだが、この寺田透は思想の違いもあるのか、蒲原有明のディスりまくっている。ぼっこぼこにしている。ってか、添削までしている。いったいどの詩集に、解説が、収録された詩人の詩を、「ここいまいちなので、なおしました」みたいなのを載せるだろう。また、萩原朔太郎とは逆に、寺田透は彼を「非象徴主義的資質」と述べる。容赦がない。改作を重ねた、改悪になっていった、詩人に破れた詩人。その近代の一面を、出だしから嫌々書いている寺田透の文章は見物で、逆に蒲原有明のことをもっと知りたく、読み込みたくなる。

     あと、叙情を排す小野十三郎のように、「浄妙華」(P86)で機械・工業を歌っているのが、なんとも面白い。もちろん同じ機械をうたっているとしても、スタンスは正反対どころではない。けれど、一周回って、どこか似ている。

  • 恋とか愛とか語ってるよ。

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