- Amazon.co.jp ・本 (157ページ)
- / ISBN・EAN: 9784783708483
作品紹介・あらすじ
八木重吉が自編した二冊の単行詩集『秋の瞳』『貧しき信徒』の全篇を収録し、さらに数多い詩稿のなかから156篇を選び制作年代順に二群に分けて収め、それに散文2篇を加えた。
感想・レビュー・書評
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八木重吉の詩は、淡く澄んだ光か、風や水を連想させる。触れた瞬間にすっと優しく、抵抗もなく体の隅々に染み込み、響きわたるような感覚を覚える。深いのにさりげなく、温かくて愛おしい。
冒頭の序にはこう書かれていた。
「私は、友が無くては耐えられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。」
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40年前、数十円すらはたき市電分もなし、それでも足りず古本屋のカウンターに頭を下げる。
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詩はあんまり読まないほうだけど、八木重吉の詩は凄く分かりやすいから好き。
ストレートで心に直接響く。
キリスト教の愛のかたち。
親子愛だいすきな私にはたまらない。
桃子よ、とかたまらない。
綺麗事ばっかり並べてるように見えるかもしれないけど、
本当に大切なことなんだもん。 -
自然です。
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とてもシンプル
しかしとても美しくて「真のキリスト者」たる綺麗な感性で綴られた味わい深い詩の数々は八木重吉の「祈り」そのものだったのかもしれない。
「きりすとをおもひたい
いっぽんの木のようにおもひたい
ながれのようにおもひたい」
「こどもはなぜえらいかといへば
天国にちかくゐるからだ」
「どこを
断ち切っても
うつくしくあればいいなあ」
「生徒たちはつまり『隣人』である
それゆえに私の心は生徒たちにむかってゐるとき
大きな修練を経てゐるのだ
何よりも一人一人の少年を
基督其人の化身とおもわねばならぬ」
「こどもが
せつせつ せつせつ とあるく
すこしきたならしくあるく
そのくせ
ときどきちらつとうつくしくなる」
彼の感性に触れることが出来る人は幸いです。 -
農村の空気と素直な心が感じられる。
もじゃもじゃの犬が
桃子のうんこを食ってしまった
という詩が強烈だった。 -
今から何年か前、休日の昼間、井の頭線に乗っていたら、若いスーツの男の人が向かいに座っていて、この本を開いていた。
なんか珍しくて覚えていた。
その後、探すともなく探していたので見つからなかったが、去年下北沢の古本屋さんで偶然発見、本棚に(その後引っ越しのどさくさでしばらく行方不明に)。
昨日、とある授賞式で、賞を受けた詩人の方が、受賞のことばとして「蟲」という詩を引用して、詩に本腰を入れたきっかけを話していた。それがとても印象的で、また手に取るきっかけになった。
短い一篇一篇をたどっている。「かなしみ」ということばが心に残る。ちょっとずつ味わいたい。 -
どうしてもわからなくなると
さびしくてしかたなくなると
さびしさのなかに掌をいれ
本当のものにそっとさわってみたくなる -
絶望のど真ん中に自分を置いている気分になってる時や、他人を僻んだり蔑んだりしそうな時に読むと、一気に心が洗われるような気がします。
他人に対する優しい心を思い出させてくれます。個人的には、一生かかせない本です。 -
良いんですよ。しみじみとしていて。
静かで力強い。
そんな詩がいっぱいです。