辻征夫詩集 続続 (現代詩文庫 第 1期181)

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  • Amazon.co.jp ・本 (158ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784783709565

感想・レビュー・書評

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     「続続・同」の冒頭は、これまでの現代詩文庫で5詩集から漏れた作品を集める。
     「天使・蝶・白い雲などいくつかの瞑想」からでは、「むらさきの蝶」で「酒に依存し  酒に夢を/つむぎながら」と告白する。
     詩集「かぜのひきかた」の「アルバムの余白に」では、「ぼく 依然として/六年B組の/あの/ぼくです」と締める。大学を卒業するに至っても転向せず、少年少女のまま、成年とならない人が僅かにいると聞く。辻征夫も、稀なその1人なののだろう。「続・同」の詩集「鶯」より表題作「鶯」に現れる10歳に成ろうかという女の子は、敗戦革命を乗り越えられず、成年とならなかった女性(あるいは詩人)の内心のようだ。
     詩集「ボートを漕ぐおばさんの肖像」からでは、詩人の胸に住む優しいおばさんを巡って、縷々と語る。「ぼくにはまだ会ったことのない/不思議なおばさんがいて/いつもぼくの脳細胞の暗闇で/優しく呟いてくれるのだが」。

     詩集「萌えいづる若葉に対峙して」を読みました。
     「萌えいづる若葉に対峙して」は、生前最後の詩集である。
     第Ⅰ部の表題作「萌えいづる若葉に対峙して」は、林の若葉に窓内より対峙し、詩人は昨日に自転車でコンクリートに落下し、顔や足にけがをしながらも、ボールペンを握って白紙に向かっている。末尾は「血まみれの抒情詩人がここにいて/抒情詩人はみんな血まみれえと/ほがらかに歌っているのです」と、詩人の悲惨と栄光を歌うようだ。
     「おじさん狩り」「チェーホフ詩篇」は、複数の小詩を集めた、連作仕様である。詩人が傾いていた、小説執筆を思わせる。
     「玉虫」は散文詩で、出征した父が帰還して、母と出会う感動的な場面を描く。彼の詩の理解に、一助となるだろう。
     「風の名前」は、部屋を通り抜ける風に名前を付けて、会話している。病む老抒情詩人らしい。「薬缶」は、優しいが故に頼りない人たち(自分を含めて)のストーリーである。
     「蟻の涙」では、詩人は「きみのなかに残っているにちがいない/ちいさな無垢をわたしは信ずる」と訴えてやまない。
     「東武伊勢崎線」は、出会った知日派外国人を、地名を連ねながら描いている。
     第Ⅱ部では、「アリス」「トム・ソーヤー」「ロビンソン・クルーソー」など、童話の主人公を中心とする、10編である。第Ⅲ部は、散文詩「ワイキキのシューティングクラブ」で銃の実弾射撃(試し撃ち)の経験を描く1編のみである。内心に武闘派的な所のある詩人が、念願の1つを果たしたのだろう。

     未刊詩篇を読み了えました。
     未刊詩篇の内、新作は1996年~1999年の5編である。
     「蟻の涙 2」は、詩集「萌えいづる若葉に対峙して」の「蟻の涙」に対応する。「蟻の涙」では、「きみのなかに残っているにちがいない/ちいさな無垢をわたしは信ずる」とあった。「同 2」では、「このぼくのどこに/汚れていないもの/無垢があるというのか」と思いを反転させる。
     「穴の底」は、これも「萌えいづる若葉に対峙して」の第Ⅱ部、アリスやトム・ソーヤーら童話の主人公が中心の連作に、続く作品である。「オクスフォードの日暮れ」と同じ、明晰な墜落感を表す作もある。
     「おばさん思い」は、詩集「ボートを漕ぐおばさんの肖像」と同じく、胸内に住むおばさんへのオマージュの連作である。
     このように、仲間内でよく理解できる作品の発表は、卑しい(堕落だったか)と書いた詩人がいた。僕は既に読者仲間の身内なので、いささかの快さを感じた。
     初期未刊詩篇10編は、1957年~1971年に渉る。
     未刊詩篇が少ないのは、1編をよく練って、満足するまで仕上げる寡作だかろうか。

    散文作品を読みました。
    http://sasuke0369.blogstation.jp/archives/38204858.html

    未刊散文作品とエッセイを読みました。
     「未刊散文作品」の「花見物語」は、友人と上野で花見をして、自分の得意な「雨に咲く花」を唄うが、歌詞の「ままになるなら」の「まま」を「ママ」と思い込んでいて、「儘」と知らなく皆から大笑いされる話が主なストーリーである。
     「遠ざかる島ふたたび」は、家にいたお手伝いさんの真理子さん(片足がスカートの中までしかないのに、杖なしで歩いたという設定は、不自然である)を主人公にした物語「遠ざかる島」の余談である。2作共に話題がぐねぐね歪んで行く。
     エッセイは、回想談、人情噺が主で、取り上げる事もない。編集者に請われて書いたらしい。「菅間さんに郵便です」は「劇団卍」への、「人事を尽してポエジーを待つ」は写真家・高梨豊への、オマージュである。
     作品論・詩人論及び年譜を読み、本冊を読み了えました。
    http://sasuke0369.blogstation.jp/archives/38314056.html

  • 正しすぎず難しすぎず、かなしみを含んだ愛にあふれて、しんどい時には必ずページをめくる、私のバイブル。
    もちろん、辻征夫詩集、続・辻征夫詩集も所持☆

  • 収められている詩、散文のうち一割はとても気に入り、3割はわりと気に入り、残りはあまり好きでありません。
    とても気に入ったものは、抒情的・生活的な雰囲気、臭いを漂わせるもの。たとえば、『俳諧辻詩集』からの作品など素晴らしい。たとえば作品<床屋>では、

    床屋出てさてこれからの師走かな

    という既存の俳句にまつわった詩を書いている。それが下町の一年の〆を感じさせて、とても良い。

    あまり好きでないものがわりと多くある理由は、すこしく修辞が勝ちすぎている傾向があるからです。すなわち、詩のもつ趣に比べ、修辞が過剰で、疲れる。構成よりも修辞に重きを置いたせいで修辞のパッチワークのようなものになってしまっているものがあり、それは好きでありませんでした。
    しかしひらがなだけの作品<宿題>のような素晴らしい修辞と構成の妙が見られるものもあるので、腕は確かだと思います。ブレなく創出するタイプの人でないだけでしょう。作品<宿題>は、老年の男性が、遠くない未来に失われる自分の過去を見つめて、執着しようとしたり、遠ざけようとしたり、それでもなお過去を慈しむ詩趣が感じられ、とても良い。
    作品論・詩人論において引かれている、辻の作品<あしかの檻>においてあらわれる あしか は金子光晴の作品<おっとせい>においてあらわれる おっとせい との比較で倍楽しまれるでしょう。

  • 辻征夫という詩人には、すごくやわらかな視線と、透徹とした視線が混在しているように感じられます。「かぜのひきかた」という詩がとても好きです。

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著者プロフィール

1939~2000。詩人。


「2015年 『混声合唱とピアノのための 未確認飛行物体』 で使われていた紹介文から引用しています。」

辻征夫の作品

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