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本 ・本 / ISBN・EAN: 9784784101481
感想・レビュー・書評
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りんごの木と男の子は仲良しだった。
いつも男の子はりんごの木によじ登り、りんごの実を食べ、木はそれが嬉しかった。
だけど、大きくなった男の子は木の所に来なくなり、久しぶりに来た時にはりんごを全部もぎ取り、何年か後に来た時には枝を全部振り払い、そしてまた何年か後に来た時には幹を切り倒した。
そして、何もかも無くして歳をとった男が木のところに帰ってきた。
仲良しだった「男の子」が喜ぶなら、
「木はそれでうれしかった」という言葉が心温まる。
この本、今は村上春樹訳しか出回ってないですが、私が小学生の時の教科書には、“ほんだきいちろう訳“が掲載されていました。
申し訳ないですが、この本に関しては村上春樹訳は、私は受け入れられません。
もう出会うのが難しいかもしれませんが、是非、ほんだきいちろう訳で読んで下さい。 -
何度目か数えられないほどの再読。
読むたびに思い出すのは【フランダースの犬】の「おじいさんの口笛」という話だ。
コンクールに出品する絵は、画用紙ではなくてパネルでなければならない。
もちろん、貧しいおじいさんとネロに、パネルを買う余裕など無い。
そこでおじいさんは、ネロに内緒で野菜売り(だったかな?)のアルバイトをして、なけなしのお金をはたいてパネルを買って帰るのだ。
その道々、おじいさんはあまりにも嬉しくて口笛を吹く。
ネロの喜ぶ顔を想像すると、楽しくて幸せで心が弾んでくるのだ。
ネロが言う。「おじいさんが口笛を吹くなんて・・!?」
何十年も前に見たアニメだが、いまだに忘れらない名場面だ。
不幸で悲惨な話などではなく、家族の深い愛情の絆を描く、とても幸せなお話なのだ。
この一冊もそうで、誰かをとことん愛する幸せを描いたもの。
作者が思想家と聞くと何か作為的なものを嗅ぎ取ろうとしてしまうことも、ままあるかもしれない。
でも、何度読んでもそれは感じない。
ただ、白黒の線画ではなくて、もう少し凝って欲しかったなぁと、☆ひとつ減らす。
それとも、文章に主体を置いているから、絵はこれでOKなのかな。
木は、ともだちのために、葉を与え果実を与え枝を与え幹までも与えてしまう。
自己犠牲などという表現は、他人が言えば良いのだ。
木は、与えることにひたすら喜びを見出していたことが、とてもとても大切。
だって、それを「愛」というのだものね。
与えることで、自分の命も輝いていたのだ。
自分を不幸と感じる人は、奪うことばかり考えている。
地位だったり仕事だったり他人の夫や妻だったり(笑)お金だったり、時に命だったり、そうそう、図書館の「本」だったり!
私は「持てる者」ではないけれど、優しい言葉と笑顔くらいだったらいつでも与えられる。
何しろそれって、お金も労力もかからないし。
今日も、これからもそうして生きようと、読むたびに思い返す一冊。
村上春樹さん訳もあるが、こちらの方が断然良い。 -
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風がそよぐ水辺にある、いつもと違う小さな図書館「水辺の図書館」オープン|フェニックス・シーガイア・リゾートのプレスリリース
https:/...風がそよぐ水辺にある、いつもと違う小さな図書館「水辺の図書館」オープン|フェニックス・シーガイア・リゾートのプレスリリース
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000129.000017658.html2022/04/28
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なんできみどりと、みどり2種類あるのかと思っていたら、翻訳家が違ったのですね。
深入りせずスルーしてました(*_*)
本田錦一郎訳、
の方を借りて読み比べをしてみることに。
★ きみどりの本は、村上春樹訳
こちらを頂いたので、先に読みました。気になっていたのでとても嬉しかったのですが、少し物語りに入りづらさがあり初見ではいまひとつでした。。
今回読み比べてみて、
ですます調で書かれていたので、絵本にしては丁寧すぎて少し固い表現だから馴染みにくかったのかな、、?と感じました。
ルビ付き漢字あり。
一部抜粋
「はっぱでかんむりをつくり 森の王さまになりました」
★ みどりいろは、本田錦一郎訳
やわらかい語り口調で物語に入りやすく、絵本らしさがあってこちらの方が私には合いました◎
字体もソフトで好み。
すべてひらがな表記。
一部抜粋
「かんむりこしらえて もりのおうさまきどり」
読むたびに感じる世界が変わってくるのだろうなと思いますが、まだ私は少年の方にいるな~と感じました。
木のような親の存在に有り難さを感じながら、いつか自分も木のような無償の愛を与えられるような人になっていきたいな。
それにしても、木よ愛あるけど与えすぎ!少年よ、くれるからとゆってもらいすぎ~!お礼してあげて。が素直な感想です。笑 -
村上春樹さんの訳よりも本田錦一郎さんの訳の方が私は暖かくてすきかな。
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原題"The Giving Tree"の本田錦一郎訳版。村上春樹訳版と比較のため、20年ぶりに再読。とてもシンプルな絵本だが、翻訳者の解釈や意図、言葉遣いでこれ程印象が違うかと感じる。私は本田版の方がしっくり。一本の木は一人の少年のために自分の身を削り、与え続けることを喜びとする。少年は木から与え続けられる一生だが、なぜか彼から木への感謝の表現は見当たらない。美しい献身、母性愛か、寄り添う存在の大きさ、はたまた搾取する人間の醜さか。年齢を重るごとに、私のこの絵本の読み方が異なっていることに気づいた。
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大人向けの絵本
与えることで幸せになる
母性愛を感じる
素晴らしい内容だ -
無償の愛の物語。
一番初めに娘に読み聞かせしました。 -
メモ:こちらのpodcastで「おおきな木(The Giving Tree)」は虐待的・搾取的な関係を描いており母性愛を描いてはいないという指摘がされていて興味深かったのでメモ。家にあってよく覚えている絵本。
podcastで言っていたこと
・男の子は幸せとは何か分からないまま「もっと、もっと」と要求している
・木は断ることをせずに切り株になるまで(つまり何もかもなくなるまで)あげてしまっている
→これは両者にとって本当に幸せの形なのか?きちんと断る能力を身につけよう!というのがpodcastの趣旨
・saying no is an expression of self respect. It's not about letting others down. It's about standing up for yourself.
・setting healthy boundaries is a very important part of giving. It assures you will always have something left to give. And so the tree was happy. Everyone was.
ReThinking by Adam Grant, How to say no
https://open.spotify.com/episode/5opaJ4IXA5F466GScwzh7r?si=5huEFQFsTqKmOpxtnNYsOw&context=spotify%3Aplaylist%3A37i9dQZF1FgnTBfUlzkeKt
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コメントありがとうございます。
木は誰のためにも全てを与えられたのではなく、あの“男の子“だけに全てを与えたかったのです。
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コメントありがとうございます。
木は誰のためにも全てを与えられたのではなく、あの“男の子“だけに全てを与えたかったのです。
“母“のような愛だと思います。
“母の愛“というと必ずしも愛情のある親子関係を築いてられる方ばかりではないので、普遍的な言い方ではないかもしれないですが。
親子でなくとも、「この人のためなら全てを与えたい」と思える人(動物でも)に人生の中で出会えることは幸せなことであって、木はちっとも「犠牲」になんかなっていなかったと思います。
Giving Treeの日本語訳は大きな木なのですが、学生の頃、その邦題の素晴らしさを感じつつも、もっと言葉に近い訳はできないかと、ない頭を捻りましたが、全然思いつきませんでした。
実は日本語訳の作品を読んでいないので、今度ほんだきいちろう訳探して読んでみたいと思います。
初めまして。コメントand沢山の「いいね」ありがとうございます。
原文!そういえば私は原文では読んでいません。原文のニュアンスをど...
初めまして。コメントand沢山の「いいね」ありがとうございます。
原文!そういえば私は原文では読んでいません。原文のニュアンスをどちらがより良く伝えているかは読んでみないと分からないですね。
翻訳家にも世界観があり、翻訳されることで別の作品になっていえるとも言えますね。私は、ほんだきいちろう訳の「大きな木」の世界が好きだから、原文を読む気にもならなかったのだと思います(他の作品でも原文を読もうとはしませんが)
でも、Giving Treeを「おおきな木」としたのはほんだきいちろうさんでしょうし、そこは村上春樹氏も踏襲されたのだから、本田さんの訳は素晴らしかったと思います。