テキヤ稼業のフォークロア

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  • 青弓社
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感想 : 6
  • Amazon.co.jp ・本 (165ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784787220455

作品紹介・あらすじ

路上や寺社の境内で商売をして祝祭空間を立ち上げる専業的な露店商=「テキヤ」とはどのような職業であり、ルールや縄張りなどの慣行をどう作り上げているのか。名所スカイツリーがある東京・墨東地区などでの詳細なフィールドワークから迫る貴重な成果。

感想・レビュー・書評

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  • 自身も墨田区出身の研究者が、墨東地域のテキヤ社会のフィールドワーク(2002-03年)をまとめたもの。テキヤが学問的な研究の対象になることには意外感もあったが、たしかにカタギとは違う伝承を伝えていることが分かる。文献資料が残らないので、あるうちに調査しないとそのまま失われてしまう貴重な研究と言える。

    <序章>
    露店商(テキヤ)の性質
    1.露店商いで生計を立てている
    2.擬制的親族関係 親分−子分
    3.「昔から」「伝統」という言説で口頭で商いの権利を主張する
    4.集団は商圏としての縄張りを持っている
    5.地域住民との関係が良好 (墨東地域では「テキヤさん」と呼ぶ)

    神農を職能神とする・・・危険を顧みず百草を嘗めて薬草を見つけたとされる
    ただし信仰は人により濃淡があり、ややすたれ気味の観も

    露店商の慣行の分布
     静岡以東、静岡以西、沖縄の3パターンに大分される

    社会学的には社会病理として研究されてきた 昭和半ばのこと

    定量的な調査が難しいほか、調査対象の配慮により「見せてもらえる」ことも限定されてくる。聞き取り中心の調査の限界はある。調査者の属性も影響するだろう。

    <第1章>テキヤの社会−集団構造とその維持原理
    「組合型」と「親分−子分方」の露店商集団がある。本書の対象は「親分−子分方」。
    この擬制的親子関係でつながった集団をイッカ(一家)と呼ぶが、この呼称には指し示す対象が3つある。先行研究ではこの3つを区別できていないことが多い。
    ・「商業集団イッカ」:露店商いをする単位集団
    ・「社会集団一家」:商業集団イッカが複数集まった集団
    ・家名:社会集団一家が複数集まった大規模な集団

    2パターンの親分子分関係
    ・商業集団イッカ内での親分−子分。一人前(代目、一家名乗り)と見習い(若い衆)。親分の家族もイッカで働くが、テキヤ社会の正規構成員ではない。実子に跡を継がせるのよしとしない風習がある。

    ・商業集団イッカのそれぞれの親分が社会集団一家の構成員であり、彼らの中での親分−子分関係、すなわち元は同じ商業集団イッカの中にいた師匠−弟子筋の関係がある。自分の親分から「名乗り名」を引き継いでいき、本流−傍流の系列間の序列をなす。

    (析出)・・・子分が独立して傍流を作る。
    (収斂)・・・オヤブンが亡くなると独立していたコブンが跡目を継いで序列をひとつ上がる。高い序列の系列にいることはステータス。名門と呼ばれるイッカは○代目の数字が大きくなる。商業集団イッカ内のワカイシュウや、ジッシが継ぐことはない。この収斂のプロセス等により、序列は3〜4階層程度に保たれる。

    →血縁否定が興味深い。ひとつには実子に跡を継がせない。もうひとつは、集団加入(ワカイシュウになる)にあたって、実の血縁関係を否定させること。ある意味、実の血縁からもあぶれたようなアウトサイダー、ないし脱落者の受け皿としての機能があるのではないか。彼らの中で社会関係をすごく重視して確認しあうのも、それと符合する。

    <第2章>一人前の商人になる−名乗り名の継承方法と機能
    名乗り名は商売上だけの名。堅気の世間に対しては実名を用いる。
    名乗り名を告げる挨拶(よそのナワバリで商売するとき重要)は本来は口頭のものだが、近年は文書化したり名刺に刷ったりすることも多くなった。文書化により長くなる傾向も。テキヤのOA化。。。

    今は廃れたが、口頭の挨拶の型があった。著者は取材したテキヤのメモを紹介するが、漢字や仮名遣いがけっこう間違っている。古いからということもあるだろうが、テキヤの社会的地位を実感させる。正しく文章を書くことは当たり前なことではない。

    テキヤが采配する祝祭空間にはテキヤ以外の商人もいる。ひとつはカギョウチガイ。兼業的な露店商で、博徒系のゴトや、ボクと呼ばれる植木屋など。基本的にはテキヤの指示に従って出店する。もうひとつはカタギ。商店、PTA、農協などなど。テキヤとは没交渉。テキヤ同士であれば名乗り名を形式どおりに同業他者に告げることが無形の営業許可証となる。しかし墨東地区のような人口密集地域では、祝祭空間にテキヤ以外の商人が入ってくることは避けられない。カタギとは一定の距離をとって不要な争いを避けるそうだ。

    <第3章>縄張りを使う−商圏の運用と地域社会
    「なわばり」にも2つの意味がある。点としてのショバは、露店市が開かれている神社の境内などを指す。面としてのナワバリは、点としてのショバが分布しているエリア。

    テキヤたちは稼業の「自由さ」を語りたがる傾向が強いが、よその縄張りで商売をするには「それなりのしきたり」を踏まえなければならない。

    自分たちのナワバリでは、優先的に良い場所に店を出せる。良い場所とは、慣習的な場所(本殿、鳥居の近くなど。実入りが良いとは限らない)と、収入が見込める場所との両方がある。さらに出店経費の軽減がされることが多いが雑用の割当などもある。ただし、あまり実入りの見込めないショバでも誰かが義務的に出店しなければならない。

    調査した「東京会(仮名)」の例で言うと、他の集団とナワバリを共有するショバであるアイニワ(相庭)が、ナワバリ内のショバの8割以上を占める。アイニワでないショバはイッポンと呼ぶ。これはショバが多く人口の多い墨東地区の特徴かもしれない。アイニワでどれか勢力の強いところが仕切る役割分担型、または業態別(最近では各集団で差異がなくなったが昔は得意業態がそれぞれあったらしい)、またはアイニワにしない空間的なすみわけが見られる。

    ショバの責任者であるセワニンが露店商に出店場所を割り当てる。人の集まるタカマチ(周期的に行われる行事の市、祭りなど)ではシビアだが、縁日などのホーエー(売れない場所はボサとも呼ばれる)では、気の置けない者同士(同じ一家とも限らない)ののんびりした商いになる。墨東地域に長く暮らしていると馴染みのテキヤがいたりする。商売の自由を語りたがるテキヤ、若い頃などは遠方まで出かけて後にそれを「武勇伝」として語ったりはするが、実際のところ、ナワバリの内外問わず近場で商売をしていることが多いようだ。また、他人の扱わない魅力的な商材を扱えたりすると、ナワバリの外へ比較的遠くへも商売に行くようだ。

    <第4章>備忘録テイタを読む−記録される祝祭空間
    テイタ=手板。もともと板に書いていたのだろうが、現在はスケッチブックや大学ノート。事前計画と当日の実際の乖離や、符丁の使用、簡略な記述などにより、部外者がこれだけ見ても中身がよく分かるものではない。あくまで口頭伝承の知識・情報とセットになって使えるもの。

    飲食、遊戯、ギャンブル、物販など幅広い露店を持つのがテキヤの心がけとされる。

    テイタを見ると序列により出店場所を決めている様子や、ギャンブル系の店をまとめて遊興空間を作るなどの工夫が分かるが、著者にもまだ意味のわからない符丁があるなど、読み解くのは難しそう。あくまで口頭伝承に精髄があるようだ。

    <終章>民間伝承の力
    「東京会」には名門としてのプライドがあるので調査にも協力してくれたのだろうと。しかし各自のライフヒストリーについては、なかなか口を開かない人がほとんど。

    テキヤはヤクザなのか?テキヤにもいろいろある。「東京会」は、現代的な暴力団とは違う。ある人は「7割商人、3割ヤクザ」という。2通りの意味で、ヤクザみたいなテキヤが3割くらいいるというのと、一人のテキヤに気質として3割くらいヤクザ的なものがあるということ。

    祝祭空間に集まる商人は誰もがより良い稼ぎを求めている。そこでコンフリクトを回避するための慣行(親分子分関係、テキヤ集団間のアイニワでの調整、テキヤ以外との調整)をテキヤは有している。<b>テキヤは口頭伝承を好むため、その慣行は外部一般には流布しない。テキヤでもオヤブン以外はまだよく分かっていないことも。テキヤ以外の商人は基本的にはテキヤの指示に従うだけ。何らかのきっかけでコンフリクトの回避に失敗すると、慣行を知っているものが少ないので混乱が広まるリスクがあり、そのために祝祭空間の緊張感、非日常性が高まる。</b>

    都市下層の生業活動として、自律的な商いと、社会との接触をテキヤの道に入ったものに保障している。<b>テキヤ集団は地縁・血縁から離れた単身男性を主な構成員として想定しており、オヤブンは新入りを孤立させることなく、社会的な居場所を与える。こうした地域社会への帰属感があると、貧困は貧困でも「暗い貧困」にならない。</b>同じく都市的な貧困層の例として炭鉱町がある。

    ILOが言うところのインフォーマル・セクター研究と言われるが、筆者は違和感あり。民族学がこれまで「都市下層」をスルーしてきたので、民間伝承をネガティヴな「因習」まで含めて掬い取るフォークロアとして研究したかった由。

  • 隅田川下流のテキヤ職に関する文化人類学、もしくは民俗学的な事例研究。多くの民俗学研究では祭礼空間を演出する機能としてしか捉えられてこなかったテキヤだが、本研究では機能ではなく、テキヤ自体の構造や社会について詳細なフィールドデータに基づき記述されている。

  • 主にヒアリングを元にしているため、隅田川下流の組織に限定はされているが、しっかりとしたフィールドワークと事実に基づいた客観的な内容を持つ本書は、文化人類学的観点で露店商の伝統を記録している。恐らく、書籍として出版する際に表現上制限せざるを得ない内容もあったかと思う。それを知りたいと思うことと、是非とも関西版や東北版といった、関東外のテキ屋学を記録して行って欲しい。

  • 序章 露店のなかへ 1 本書の目的 2 墨東地域の露店商い 3 研究対象 4 露店商の研究史 5 研究方法とその限界 補足 用語リスト 第1章 テキヤの社会 1 集団構造と親分子分関係 2 集団維持原理 3 集団構造とその維持原理の特徴 第2章 一人前の商人になる 1 名乗り名の性質 2 名乗り名を告げる挨拶 3 名乗り名の機能 4 露店商いと名乗り名 第3章 縄張りを使う 1 縄張りをめぐるしきたり 2 「なわばり」と「すみわけ」 3 「なわばり」の運用と地域社会 4 地域住民と「なわばり」 5 賑わいをつくりだす「なわばり」 第4章 備忘録テイタを読む 1 テイタの内容 2 テイタを読む 3 露店商の慣行と記録 終章 民間伝承の力 1 調査協力者 2 テキヤはヤクザなのか 3 会の「伝統」の文化的特徴 4 テキヤ稼業のフォークロア



    血縁よりも、擬似親子関係であるテキヤ集団内での関係を大事にする。
    そのため、仲間内では名乗り名を使い、名づけ名は外部に対してしか使わない。外部の人間が、名乗り名を呼ぶことは失礼に当たる。
    名乗り名は、誰が自分の親に当たるのか、その親は誰なのか。ということを三代分くらい連ねて名乗る。
    ※CはBの系列で、Aの系列に当たる……ということを、テキヤは記憶していなければいけない。
    「●代目」と呼ばれることを光栄に思う。
    テキヤ内での序列などで、露店の場所割が変わる。
    自分の縄張り内での地域との関係を良好に保つ。

    などなど、テキヤはヤクザに必ず属しているのかと思っていたけれど、そうではないらしい。
    彼ら自身が「テキヤ七割、ヤクザ三割」と自称しているのは、行動においてであり、心情においてである。

  • 【新刊情報】テキヤ稼業のフォークロア 384.3/ア http://tinyurl.com/6wkha32 路上や寺社の境内で商売をしている専業的な露店商「テキヤ」とはどのような職業であり、ルールや縄張り、集団の性格はどのようなものなのか?詳細なフィールドワークから迫る。 #安城

  • 一口にビジネスマンと言っても、最近ではさまざまなワークスタイルを見ることができる。いわゆる会社勤めだけを見ても、フレックス勤務や在宅勤務というものがあるし、フリーランスや起業という働き方もすっかり定着してきた。

    とりわけその中でも注目を集めているのが、都市ノマドというスタイルであるだろう。昨今のインフラの充実ぶりを背景に、MacBook AirやiPadでクラウドサービスを駆使しながら、WiFiのあるカフェを点々とする。そんな身軽で自由な生き方が共感を呼んでいるという。

    しかしこの東京下においても、お祭りからお祭りへと点々と移動しながら、時には焼きそば、時には綿アメと手を替え品を替え、商いを行ってきたノマドたちがいる。それが本書の題材にもなっているテキヤと呼ばれる人々だ。

    「テキヤ殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降りゃいい」とは寅さんの有名な台詞だが、このような不安定な生業を続けていくために彼らが一体どのような慣行をつくりあげてきたのか?本書はそんなテキヤたちの間で継承されてきたナレッジを紐解いた一冊である。ちなみに標題のフォークロアとは民間伝承という意味だ。

    著者は新名所・東京スカイツリーの開業に沸き立つ墨東地区にてフィールドワークを何度となく敢行する。取材したテキヤ集団の組織名は本書の中で明かされておらず、仮称で東京会という名称が使われている。また、テキヤの商慣行とは、静岡以東、静岡以西、沖縄の三地域によって大きく分かれ、地域が異なれば常識も大きく異なるそうだ。

    まず何といっても気になるのは、テキヤはヤクザなのかということである。本書の調査協力者の一人は、テキヤは「七割商人、三割ヤクザ」と説明したそうだ。これには二つの意味が込められている。一つは、商人と見てよいテキヤが七割いて、商人よりヤクザと見做したほうがよいテキヤが三割いるといった意味。もう一つは、一人のテキヤの中に気質として商人が七割、ヤクザが三割交じっているという意味である。

    確かに気質としてはある程度通じる部分もあるのだが、ヤクザは「極道」、テキヤは「神農道」に生きているといった点が大きく異なるそうだ。(※神農は危険を顧みずに百草を嘗めて、人類に有用な薬草をもたらした伝説的な存在)

    なお、著者が調査した時点で東京会はどの広域暴力団の傘下にも入っておらず、東京地方の典型的な独立したテキヤ集団として、テキヤ社会の内外で知られる「名門」とされている集団であったということは予めお断りしておく。

    祝祭空間に集まるテキヤたちは所属する集団や立場は商人ごとに異なっており、商いに対する知識や経験にも差がある。このようなバラバラな商人たちを納得させて、混乱のない、にぎやかだが穏やかな祝祭空間を実現するために、どのような仕組みが設けられているのか?それが本書のメインテーマである。

    コンフリクトを回避するための慣行は重層的である。その基本となるのは個々のテキヤ集団にある内部的な統制である。墨東地域のテキヤ集団のひとつである東京会(仮称)は典型的な「親分―子分型」である。東京会の正規構成員になっているテキヤたちは皆、親分子分関係を基調とする擬制的親子関係でつながっていて、それを屋台骨として集団が形成されているのだ。

    このようなテキヤの集団は一家と呼ばれているのだが、その言葉が指す意味はいくつかある。最も狭い範囲では、露店商いをする単位集団「商業集団一家」、この「商業集団一家」が複数集まってできる中規模の集団「社会集団一家」、さらに「社会集団一家」が集まって東京会に相当する大規模な集団「家名」ができるという構造だ。

    「商業集団一家」は、一部に姻戚や血縁者を含んでいる疑似家族のような集団である。この構成員たちは経済効率をあげるために、出店ができる場所が同じ日に複数あるときには分散して商いをするのである。この集団の中でテキヤは「若い衆」→「一家名乗り」→「代目」というように地位を変え、出世魚のように階段を上っていく。

    その上位階層にあたる「社会集団一家」では、正式な構成員とみなされるのが「商業集団一家」の一人前の親分だけである。「商業集団一家」を疑似家族とすれば、「社会集団一家」は世帯主である親分たちで構成されているのだ。この中に一人前になっている者同士の序列差による第二の親分子分関係が相まって、集団の結束を強化しているという。

    この社会集団一家の序列差を見抜くものとして、名乗り名というものがあるそうだ。一人前になったテキヤは、駆け出しだったころに世話になった親分の名乗り名に自分の姓を書き継ぎ、それを名乗る。しかし、世話になった親分にもさらに親分がいたわけだから、原則を律義に守っていけば「佐藤〇代目 加藤〇代目 後藤〇代目 山田〇代目 鈴木〇代目」といったとてつもなく長いものになってしまうのだ。

    名乗り名には個人の系譜関係が表されているだけでなく、集団内部での序列も示されているため、代目披露などの大きな儀礼では、この長い名乗り名を間違えることなく流暢に名乗らなければならないという。また一生涯固定されるわけではなく、変化するということも特徴的である。一家名乗りというような枝分かれの図式や、社会集団一家の親分の死去など、集団による変化のプロセスそのものが名乗り名に表現されているのだ。この拡散と収斂を動的に繰り返しながら平衡を保っていくメカニズムは、本書の最大の見所の一つと言えるだろう。

    このようなテキヤの生業活動には、①商人に自律的に働くことによって生活しているという充実感をもたらす点 ②他者との接触を増やすことで社会からの孤立感を鈍らせる点、などの特徴があると著者は分析している。これらが、どちらかといえば都市の中で弱者に位置する彼らにとって、セーフティネットの役割を果たしているという点は注目に値する。

    さらに次の段階として重要になって来るのが、テキヤ集団同士の関係の調整というものだ。この調整の要となるのが縄張りというものである。いわゆるショバ(場所)には単一の集団が管理している場合と、複数の集団で管理されているものがあり、後者の方は、相庭と呼ばれている。相庭という慣行を通じて複数のテキヤ集団が互いの立場を認め合い、それによって祝祭空間の賑々しさが増しているのだ。

    現在東京東部にあるショバのほとんどは相庭となっており、縄張りも複雑に重なっているそうだ。そのようなケースにおいては、各々の集団が世話人を出し、最も勢力が強い集団の世話人が全体を取り仕切ることとなる。全体を取り仕切る集団は「良い」場所を選ぶことができ、出店経費も軽減されるかわりに、雑用もこなさなければいけないなどのルールがあるのだ。

    ちなみに慣習として「良い」場所は、賑わいの中心、たとえば神殿や本堂などに最も近い場所である。しかし慣習的に「良い」とされる場は、必ずしも商売上は良い場とは限らないという。また、そのほかにも小麦粉を使う商品を隣り合わせにしないようにする(お好み焼き、たこ焼き)、ギャンブルの店はまとめて遊興的な空間をつくる(射的、合わせ、片抜き)、綿あめは周囲に飴が飛び散り迷惑なので露店の列からはずれたところに店を出す、などの暗黙の了解事項もあるというから奥が深い。

    さらにテキヤとそれ以外の商人である稼業違い、堅気の人間などとの調整というのも存在するのだが、相手が商人であるかぎり基本的には没交渉で、多様性を歓迎するというのが基本スタンスであるそうだ。

    このように東京会の「伝統」は商いをするうえでは合理的な慣行の集合体であるが、本人たちがテキヤ稼業に入った当初には予想もしなかったさまざまな場面で個々のテキヤの人生を規定づけることもあるのだという。「伝統」には社会的に排除される要因になりうる因習的な側面と、テキヤ稼業を円滑にする機能的な側面の両方があわさっているのだ。

    どのようなワークスタイルを選ぼうとも一長一短はある。その中でもテキヤという伝統的な共同体と昨今の都市ノマドというものの間に共通点がいくつか見つかるのは興味深い事実だ。例えば親分子分の関係はメンターやロールモデルと呼ばれるもので代替されるだろうし、社会集団一家はソーシャルメディアそのもの、一家の中での序列というものも評判に基づくフォロワー数などで測ることできるだろう。

    しかし決定的に違うのは、その共同体が変動的なのか、固定的なのかということである。固定された共同体には窮屈さが付き纏う。ひょっとすると若者の「一家」離れ、蔓延する「一家」疲れ等の現象も起きているのかもしれない。それでも、その窮屈さと引き換えに、ネットでは為しえないものが存在しているのだということも本書は示唆している。

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著者プロフィール

1975年、東京都墨田区生まれ。博士(文学/総合研究大学院大学)。日本学術振興会特別研究員を経て、慶應義塾大学文学部、立教大学文学部、神奈川大学経営学部非常勤講師。国立歴史民俗博物館外来研究員。

「2012年 『テキヤ稼業のフォークロア』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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