- 本 ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784787234971
作品紹介・あらすじ
フェイクニュースはどのように生まれ、広がるのか。選挙やコロナ禍のデマを事例に、ソーシャルメディア、ミドルメディア、マスメディアの相互作用によってフェイクニュースが生成・拡散するプロセスを実証的に分析し、汚染の連鎖を断ち切る道筋を指し示す。
感想・レビュー・書評
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正しさ求め誤る矛盾 回避必要
評 武田徹(ジャーナリスト)
<書評>フェイクニュースの生態系:北海道新聞 どうしん電子版
https://www.hokkaido-np.co.jp/sp/article/614312?rct=s_books
フェイクニュースの生態系 | 青弓社
https://www.seikyusha.co.jp/bd/isbn/9784787234971/詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
読み終えた直後の、さらりとしたまとめ。
増えつづけるフェイクニュースに対して、私たちはどうすればいいのか。
嘘を見抜く、と個人スキルだけでは、もう既にどうにもならなくなっており、ニュースそれ自体の「生態系」を見直さなければならない、と著者は述べている。
騙された方が悪いだとか、見破るスキルを身につけるべきだ、といった、「自己責任論」で片付けていない点は、あまり類を見ないような気がします。
また、「疑ってかかる」ことを盲信的に取り組むのが、なぜいけないかについても言及されている。
インターネットで見るような、「メディアリテラシーの身につけ方」に留まらないような内容の深さがあって、その点においても、おもしろい本だ、と思いました。
ニュースそのものを見るべきではない、と主張している、『News Diet』 (ロルフ・ドベリ著)も正しい。
しかしながら、ソーシャルメディアがあまりに浸透している現代に、それをやってのけるには、段階的でないと難しい。
フェイクニュースとどう向き合うか。
私にとっては、第6章で取り上げられた、『ニュースを「景色」として見る(P210)』、という考えが、受動的でありながらも選択的な考え方であって、ものすごくしっくりくるな、と感じました。 -
ロシアがウクライナに仕掛けた戦争。ロシアの方からのプロパガンダがすごいのですが,それに気づかないロシア国民もたくさんいるようです。今日(2022/03/22)のテレビにも,ロシアの若者が出てきていて,「軍事施設しか攻撃していないと思う」「ほかの国で流されているのは,以前の戦争の映像だ」などと言っていました。自分が信じてしまうと,本当の映像もフェイクニュースになってしまうんですね。だから,このフェイクニュースというのは扱いづらいのです。
本書は,その扱いづらさがどこから来ているのか,ということを明らかにしてくれます。わたしたちは,もう,いつもフェイクニュースに囲まれて生きています。先のロシア人のように,本当のフェイクをフェイクと思わずに,ちゃんとした映像の方をフェイクと判断することだってあるのです。こうなってくると,どうすればいいのかわかんなくなります。
著者は,なんでも疑ってかかるという態度も危ないといいます。それこそ,フェイクに突き入られることもある。確かに,正しい情報には正しく付き合うのがいいんですからね。なんでも疑うことで,正常な判断ができなくなります。
その一方で,情報にだまされたくないからと,情報に対して常に受動的になろうとする若者が増えているのではないかという指摘もあります。
ニュースに対して受動的であろうとするのは,能動的に読み解くと,考え方が固定化したり,極端な言説に近づいたりしてしまう危険性が高まるため,一歩引いておくためである。景色とバイキングという言葉で表現される若者の態度は汚染されたニュース生態系で生きていくために経験的に獲得したサバイバルの知恵と言える。(本書212ペ)
だから「新聞の社説は読まない」と言っている若者もいるそうです。これって,昔々のノンポリの態度なのかな。このところ「支持政党なし」という国民が多くなっているようですが,もしかしたら,どんな政党からも騙されたくない,だから,わたしの立ち位置は自分だけの立ち位置でいたい,ということの現れかも知れません。がしかし,それでいいのかと心配になります。何事も中立でいたい,と思うのは勝手ですが,そんなことはできない。中立というのは結果的には多数派を助けるだけですからね。ということは,いつも多数派に流される生き方をしていることにもなる。
本書から離れてしまいそうです。
本書の特徴は,フェイクニュースを見破ろうと呼びかけるのではありません。それはすでに無理がある。それほどまでに,わたしたちはフェイクニュースの生態系の中に住んでしまっている。生態系ですから,自分だけでどうにかなるものではない。フェイクニュースは作る人がいるけれども,それを拡散する人もいる。わたしたちは,そういう人たちの生態系の中に一緒に住んでいる以上,そのフェイクニュースとは付き合っていかなければならない。
わたしとしては,自分にはフェイクニュースを見破る力がほしいなと思います。そのためにも,いろんなことを学習する必要がある。
今回のウクライナのことも,なぜ,戦争になったのか。プーチンだけを責めることはできるのか? イスラエルがアラブに武力行使したとき,なぜ,世界の国ぐにはだまっているのか。よく分からないです。日本のマスコミが報道するのは,アメリカ発の情報ばかり。これで,本当に戦争が収まるのでしょうか。ウクライナに武器を与えれば与えるほど,戦争は長引くだけです。そして多くの人(ウクライナもロシアも)が死んでいく。もし,武器を与えなければ早々に降参する。降参したら,両国で生き残る人間が増える。それがいいことなのか,いけないことなのか。
こんな時に中立なんて言っていられるのか。ウクライナ支援に募金した人は「ウクライナ人よ,もっと闘え」と言っているのだろうか。逃げてきた人には親切にしたいという気持ちだけなのか。
残念ながら,わたしの中の結論はなし。将来の歴史が証明してくれるのだろうな。
でも,今一度,ロシアやウクライナの歴史を学習する必要があると思う。ということで,少しずつ調べているのである。 -
コロナ禍で発生したデマを捏造し拡散させているのはSNSでもなんでもなくて朝日新聞やモーニングショーであることが実証されている。
この傾向は今でも同じと思われる。
こたつ記事の撲滅は効果が高いらしい。
ページビューの広告モデルが諸悪の根源ではあるが,これは変えようがないだろう。 -
「フェイクニュース」は、今の時代、何らかの形で見聞きする。
著者は、フェイクニュースは情報汚染であり、生態系の問題と指摘している。個人で見抜けるレベルを超えているからだ。
テレビやラジオのような既存メディアがフェイクニュースを広める役割を果して、更にはYahoo!のようなポータルサイトも拡散するツールとなっている。
最後でメディアリテラシーに欠けている視点について次のように述べている。批判的に情報を読み解くことは、自らの考えの正しさを求める姿勢と表裏一体である。そもそも情報はあいまいなものであり、社会には正解がないことが多い。
試験問題のように模範正解を追い求めても人生には模範解答はないのだから、清く正しいが正義から抜け出さないとフェイクニュースの思うツボかな。 -
詳しい内容だけれど
生態系
というならばもう少し理論的なモデル化などもあると良かったかな -
フェイクニュースがどのように生まれ、広がるかを明らかにした本。
個人の問題ではなく、生態系そのものに原因があるとする。
1章:
フェイクニュースの定義は曖昧。政敵への攻撃等に利用されることもある。ユネスコの定義では、ミスインフォメーション(誤った関連付け)、ディスインフォメーション(嘘の文脈で拡散)、マルインフォメーション(情報リーク、ヘイト、ハラスメント)
2章:
ヨハイ・ベンクラーの唱えるプロパガンダパイプラインとは、インターネット周縁の不確実な情報を、既存メディアや政治的エリート等の中心部に到達させる仕組み(p41)。
実際のフェイクニュースの広がりを検証することで、ミドルメディアが「フェイクニュース・パイプライン」として大きな役割を果たしていることを検証。ミドルメディアとはマスメディアとソーシャルメディアの橋渡しをするポータルサイト。
3章:
2020年コロナ初期のトイレットペーパー不足のニュースを検証。実際には紙が不足しているというデマは無かったが、マスメディアが「このようなデマが広がっている」と取り上げることでデマが発生する構造。
一方で地方ニュースは追いきれず拡散しない、中央集権的傾向がある。
こたつ記事による話題の捏造。マスメディア時代の記事は、検証した上で報じられていることを前提としていたが、それゆえに既にメディアに載っている情報の検証が甘くなる。
4章:
フェイクニュースの検証。2018年の沖縄県知事選挙で流れたフェイクニュースを、沖縄タイムスが検証してみた。
検証の負担は大きく、一方で選挙報道の公平性(それぞれの候補を同程度に報じなければならない)との両立が難しい。
フェイク検証の記事はページビューが高い。沖縄地方紙のニュースには地方性という価値がある。地元の人なら信じないようなデマを検証することはそれ以外の地域の人に向けての発信でもある。
5章
ファクトチェックは、攻撃手段として使われることがしばしばある。ページビューも多い。
フェイクニュースを多く発信するSNSアカウントには、排外的、反メディア的書き込みが含まれることが多い。ページビュー狙いのビジネス保守も多い。
ファクトチェック推進団体のFIJがあるが、役割を十分に果たせていない。
6章
若者(沖縄の学生)へのインタビュー。ネットでネガティブな経験をすることに慣れており、景色のように「受け身」でニュースに接している。「受け身」は本人たちの表現だが、極端な言説を見たら対抗言論を検索するといった行動も含んでいる。能動的に読み解こうとしてかえってフェイクニュースに深入りする危険を避けるための知恵。
選挙で地方紙への接触頻度が増える傾向。ポータルサイトは地方ニュースに弱いため、地方紙はそうしたニュースへの需要の受け皿になっている。
第7章:
フェイクニュースを見抜く力(の欠如)は若者に限らず、幅広い世代に見られる。
メディアリテラシー教育には一定の効果があるが、変化が必要。たとえばチェックリスト方式は、容易に偽造できる部分も多く、時代遅れ。
またメディアリテラシー教育で得られる批判的思考により、闇雲なメディア不信につながり、かえって陰謀論に陥ることもある。
第8章:
ニュース生態系の汚染を防ぐ方策。
こたつ記事の根絶によるフェイクニュース・パイプライン無効化。汚染者のネットワーク停止。共同規制によるチェック体制。
プラットフォームとメディアの区別。プラットフォームは免責される代わり、第三者機関に従う。メディアは自由に発信するが自ら責任は問われる。 -
ビジネス保守の登場など、基本的には「カネ」と結び付いていることを留意したい。ニュースは受け流すことが肝要かも。
著者プロフィール
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