日本の人種主義 トランスナショナルな視点からの入門書 (青弓社ライブラリー 108)
- 青弓社 (2023年4月26日発売)


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本 ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784787235190
作品紹介・あらすじ
欧米と日本の人種主義の歴史的・社会的な背景、基本的な知識を押さえたうえで、差別、偏見とステレオタイプ、アイデンティティなどの視点から、私たちの日常的な意識や振る舞いに潜む人種主義を浮き彫りにする。日本の人種主義を考える視点を提供する入門書。
感想・レビュー・書評
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日本は無自覚に人種主義を発露している。その整理となる論考だ。「日本人」が国民国家の誕生後に作られ、その時にアイヌ・琉球・被差別部落の人々を包摂したが、フランス同様にメルティングポットは失敗した。その見えない/見ようとしない軋みを提示してくれる。
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結局(公共施設からの貸借書籍无箆了(なので)…)読めずに返却しました。
似寶兼(のですが)…私の市区町村でも電子書籍リーダーに対応して桀焉(ますので)…電子書籍から再貸借したいと存了(ぞんじます)!…。 -
日本の人種主義 1/10~1/
河合優子 異文化コミュニケーション専攻
青弓社 2023/04/26
きっかけは、ゼミの担当教員に薦められた
担当教員から借りた
自身の研究分野に参考になると思ったから
第1章 欧米の人種概念
1人種の概念化
2人種と科学
3人種からエスニシティ
4人種、エスニシティ、ネイション
第2章 日本の人種概念
1人種の登場
2民族とフォルク
3人種から民族へ
4民族から「日本人」へー単一民族神話の定着
5一九九〇年代以降の「日本人」
第3章 人種混淆
1二十世紀初頭までの欧米の議論
2中南米の人種混淆
3二十世紀以降の欧米の議論
4戦前日本の議論
5戦後日本の議論
6一九六〇年代以降の日本の議論
第四章 多様な人種主義
1生物的・科学的人種主義から文化的人種主義へ
2制度的人種主義と人種なき人種主義
3戦前日本の人種主義
4戦後日本の人種主義ーイデオロギー的側面
5戦後日本の人種主義ー構造的側面
第5章差別
1差別とは
2日常の人種主義、マイクロアグレッション、人種主義の否認
3交差(インターセクショナリティ)
第6章 偏見とステレオタイプ
1偏見の捉え方の変遷
2偏見としての人種主義
3ステレオタイプの二つの特徴
4イデオロギーとしてのステレオタイプ
第7章 アイデンティティ
1自己と他己
2マイノリティとアイデンティティ
3アイデンティティと言説
4マジョリティ性
・人種とは肌の違いに基づいた分類であり、
・どのような人々の集団が人種とされるのか、そしてどのように分類されるのかは時代や国によって異なる。
・一般的に人種とエスニシティの違いは、人種は肌の色という身体的特徴の違いに基づく概念、エスニシティは文化的差異に基づく分類だといわれる。
・差別とはある特徴の有無を理由として異なる扱いをすることである。
・貶めることとは、権力を背景に他者を劣位に置くことを行為や言葉で表すことである。
・どのような行為が貶めることにあたるかは文化や社会の文脈によって異なる。
・「歴史的迫害と社会的周縁化」特徴は被差別者がもともともっているだけでなく、差別行為が積み重ねられた結果だということである。
・本書では具体的な行為が人種差別。
・日常の人種主義とは、人種に関する意味に基づく実践が日常的に繰り返されることで当たり前になり、それによって既存の人種観の権力関係が維持されるプロセスである。
・人種主義は一つではなく、歴史や社会の文脈によって多様なあり方がある。
・どのような人種主義であっても、強調の程度は異なるが、差異化と序列化の両方のりろんが組み合わされている。
・イデオロギー的側面とは人種に関わる意味、構造的側面とは社会的そして個人的な行為が創る現実に関わることである。
・第二次世界大戦前の欧米の人種主義は、序列化の理論を強調する生物的・科学的人種主義である。
・人種は分類によってつくられたものではなく、実際に存在するものであり、白人など「優れた」人種が「劣った」人種と混淆することは「退化」することだと見なした。
・文化的人種主義とは文化を本質化、つまり言語、宗教、習慣などの文化的特徴を生物的特徴であるかのように不変なものと見なし、ネイションやエスニックグループを差異化し序列化することである。
・文化的人種主義は生物的・科学的人種主義と比べて正当化されやすい。
・制度または構造(例えば政治、法律、労働、教育、文化など)が関わる社会的なものに分け、後者を制度的人種主義とした。
・人種という概念では、身体的・生物的特徴という変化させることが難しい要素に基づいて、「日本人」はほかのアジアの人々とともに黄色人種に分類される。したがって、白人を頂点とする人種ヒエラルキーの下位におかれる者としての共通性、そして白人の西洋に対抗するためにアジア文明などアジア内部の共通性を強調することになる。しかし、文化を軸とする民族という概念を使うことで、この人種秩序から離れ、アジア内部の差異を強調し、「日本人」を頂点とする新たな秩序を作ることが可能になる。
・日本の優生学の特徴は、遺伝を中心とした欧米の優生学とは異なり、環境をより重視したところにあり、欧米との生存競争で生き残るためには、生活と教育環境を整え、身体を鍛え、道徳心を養うことで「日本人種」の「改良」「改造」が可能だとした。
・言語という誰でもあとから習得できる文化的なものを生まれ持った生物的なものであるかのように捉えることで、民族は誰も参加できる集団ではなくなってしまう。
・民族は、主に国内のエスニックマイノリティや国外のエスニックグループ間の紛争について使われるようになっていく。
・1960年代には高度経済成長で日本国内の地域格差が減少していくことで、戦前の「多民族帝国」にかわって「単一民族社会」という国家イメージが定着していった。 -
あらすじ(青弓社より)欧米と日本の人種主義の歴史的・社会的な背景、基本的な知識を押さえたうえで、差別、偏見とステレオタイプ、アイデンティティなどの視点から、私たちの日常的な意識や振る舞いに潜む人種主義を浮き彫りにする。日本の人種主義を考える視点を提供する入門書。
アメリカでの黒人への暴力事件と抗議運動、ヨーロッパでの移民排斥、コロナ禍におけるアジア人への差別などがクローズアップされ、海外の問題と思われがちな人種主義や人種差別だが、日本でも歴史的に、そして現在でも深刻な問題であり続けている。
欧米の人種概念と人種主義の歴史的・社会的な背景、基本的な知識を押さえたうえで、日本の人種概念を捉え直し、近代から現代まで、日本で人種主義が展開してきた足跡をたどりながら、トランスナショナルな視点から日本の人種主義の特徴を整理する。そして、アジア地域の植民地支配をはじめとする日本の歴史的背景や「日本人とは誰か」という問いと結び付きながら、日本社会に意識的・無意識的に根づいている人種主義の現状を具体的な事例をもとに明らかにする。差別、偏見とステレオタイプ、アイデンティティなどの視点から、個人の日常的な意識や振る舞いに人種主義が否応なく結び付いていることも浮き彫りにする。
国際的・領域横断的に蓄積されてきた人種主義に関する議論をまとめ、「私たちの問題」として日本の人種主義を考える視点を提供する入門書。(https://www.seikyusha.co.jp/bd/isbn/9784787235190/)
こんな本が欲しかった。というか修論書くときに出会いたかった〜〜〜!
人種主義の研究はやっぱり欧米がリッチだし、でもそればかりやってても肝心な日本の人種主義への意識が欠けてしまう。日本の人種主義の成り立ち、経緯を大事にしつつ、欧米で確立された概念や理論で説明可能なところはわかりやすく説明+そのつながりや共通点にフォーカスする。めっちゃいい。
以下、引用
福祉国家政策と優生政策は対立するかようにみえるが、北欧で優生政策が実施された背景にあったのは、社会福祉を充実させるためにも、社会福祉に頼る必要がある人を減らすための優生政策が必要という論理だった。(p.37)
→福祉に効率性とか生産性みたいなものを持ち込むの危険よね…怖い…
人種は文明、民族は文化という概念とともに使われ、人種は「アジアとしての共通の運命性とそれによる欧米との対抗という主張」、一方、民族は「共通性のなかにある差異への注目を通して、そこに序列化を設定し、日本の優位性・主導性の主張」で使われることが多かったという。つまり、人種という概念では、身体的・生物的特徴という変化させることが難しい要素に基づいて、「日本人」はほかのアジアの人々とともに黄色人種に分類される。したがって、白人を頂点とする人種ヒエラルキーの下位に置かれる者としての共通性、そして白人の西洋に対抗するためにアジア文明などアジア内部の共通性を強調することになる。しかし、文化を軸とする民族という概念を使うことで、この人種秩序から離れ、アジア内部の差異を強調し、「日本人」を頂点とする新たな秩序を作ることが可能になる。(p.52)
→対白人と、対日本人以外のアジア人で他者に対する二つの自己観を構築してたことが、日本の人種主義や植民地主義に繋がっていくのね…
一九六〇年代から現在に至るまでの「ヘゲモニックなハーフ性」にみられるような「白人系混血・ハーフ」の可視化と肯定的な評価は、同時に「黒人系」や「アジア系」の不可視化と白人系」と比べて相対的に否定的な評価を伴うものであり、これも人種が前景化した文化的人種主義だといえる。「ハーフ」を代表すると見なされる「白人系」は、「日本人」にとって「美しい」「あこがれ」の対象とされるが、一方で「黒人系」や「アジア系」は、「ハーフ」に含められていてもどこか二次的な存在であり、「美しい」「あこがれ」の対象とされることは少ない。(p.137)
→可視化される対象がいる一方で、不可視化されていく対象もいる…
さらに近年では、アメリカ軍基地が数多く存在する沖縄を国内で手軽にアメリカを感じられる場所、「エキゾチック・オキナワ」というイメージも強い。このようなイメージは否定的なものではなく、人種主義とは関係ないのではと思う人もいるかもしれない。しかし、このように沖縄を表象することで、日本のアメリカ軍専用基地・施設の七〇パーセント以上が沖縄に集中し、土地が奪されて経済発展が阻害され、県内所得や失業率が長く全国最下位であるという側面がみえにくくなってしまう。(p.139)
→自省も込めて。素敵なところだけじゃなくて、日本が沖縄に押し付けている問題もちゃんと見据えなくては。
このように人種主義は現在の日本社会でも深刻な問題だが、それが主要な社会問題として認識されることが少ないのはなぜだろうか。一つめの要因は、人種主義を人種と民族という二つの日本の人種概念のうち、人種だけが関わるものとすることである。これによって、人種主義は主に白人が有色人種に対しておこなうものとなって、日本社会にはあまり関係がないものになり、同じ黄色人種であるアイヌや沖縄の人々、在日コリアン、部落出身者などの人種的・民族的マイノリティに対するものは人種主義ではないというような認識が生じてしまう。二つめの要因は、「(名無しの)単一民族神話」である。この神話によって、まず、日本にはほぼ「日本人」しかいないということになるため、人種主義の問題も発生しえないことになる。加えて、「日本人」の意味に民族概念が関わっているにもかかわらず、それが不可視化されることで、人種主義を実践する主体としての「目本人」は民族ではなくなり、民族というもう一つの人種概念が関わる人種主義もみえにくくなってしまうのである。(p.141-142)
マジョリティとしての「日本人」が人種主義と闘い、自己を解放するためには、交差を意識して「日本人」の多様性に目を向け、「日本人」「日本語」「日本文化」が三位一体になった「日本人」アイデンティティから自由になること、つまりそのような「呼びかけ」に振り向かず、自分も「呼びかけ」をしないことが重要である。一方で、人種的・民族的マイノリティが日本社会の人種主義に異議申し立てをするときには、「日本人」であることを引き受けなくてはならないだろう。日本の人種概念と人種主義は、北海道そして沖縄を含めたアジア地域の植民地支配、侵略戦争の過去と密接に結び付いていて(第2章と第4章を参照)、そのような過去と向き合うことなくして解決は難しい。さらに、マジョリティ性の構造的優位性、立ち位置、文化的実践という三つの特徴を意識化するためにも、「日本人」アイデンティティを引き受ける必要がある。(p.241)
このように、私にとってもやはり人種主義は、自分が住む社会や「日本人」である私自身が関わる問題ではなく、アメリカや南アフリカの問題であり、白人の黒人に対するものだった。反アパルトヘイト運動が盛んだったころ、在日コリアンを中心に、外国人登録時に義務だった指紋押捺に反対する運動もおこなわれていたが、これを人種主義に関わる問題として捉えたことはなかった。アメリカで大学院に進学し、自分が人種的マジョリティから人種的マイノリティになって、大学院教育と日常生活での学びのなかで、「人種とは」「人種主義とは」についての考えを深め、日本の人種主義についての見方を改めていった。(p.252) -
日常の差別が構造を作っていくということ。マジョリティによる「単一民族神話」が、さまざまな人々を周縁化し、透明化し、傷つけてきたということを引き受けること。
著者プロフィール
河合優子の作品





